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〜一人高校野球〜64年前の夏休み日記

昭和33年8月9日

僕は退屈の時、一人で野球をします。
縁側にある"靴脱ぎ石"(石段)にゴムまりをぶつけて(跳ね返りを)とります。
点を書く黒板(スコアボード)を作って備えました。

今日の試合は全国高校野球の東京代表の試合で明治高校と早実の試合です。
一回の表、明高は三者凡退に倒れ、早実はその裏、一つのフォアボールと
ヒットで、ワンアウト1、3塁と早実早くもチャンス!

僕は一人で(実況中継さながら)言いながら靴脱ぎ石めがけて投げました。
丁度、(石段の)下の直角の所に当たり、僕の右を破るヒット!
一人ホームインして1対0、早実1点のリード!
僕は取ろうとした拍子にすっ転んでしまいました。
しかし、明治も三回と四回に1点づつ入れ、2対1で早実に逆転勝ちです。

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兄貴二人が中学から明治に通っていたせいか、僕は御茶ノ水の街が大好きで、この日記を書いた5年後の高校2年頃から頻繁に足を向けた。
当時(昭和30年代後半~40年代初)は御茶ノ水駅前信号の真正面の「ジロー」(シャンソン歌手深緑夏代の喫茶店)が僕の御茶ノ水のランドマークだった。楽器店が並ぶ明大通りを下り、大学手前の小道が"とちの木通り"、右折すると右に大学浪人の聖地「駿台予備校」、その前に画材+イタリアンの「レモン」、ちょっと戻って左奥には「山の上ホテル」(著名小説家がここに籠もって執筆していた)がある。
とちの木通りを更に進むと、右にTVロケ常連の「文化学院」、並びに喫茶店「ゴロー」、斜向かいに喫茶「マロニエ」、その右隣奥に半円形のカフェ「FINE」(男坂の上に浮かぶ、当時でもカフェのおしゃれ感)があった。
更に進むと右に杏林大学、正面は庭で食事ができる「コペンハーゲン」、
水道橋駅への坂の直前左に外国語の学舎「アテネ・フランセ」があった。
尚、山の上ホテルの先の錦華公園の傍にあった「ニューポート」という
ジャズ喫茶に高校仲間とタバコを吸いに(or モダン・ジャズを聴きに)行った。(ワルだったな) 近くの有名女子高校生が店で”ラリって”いた 。(笑)
気が遠くなるほど昔の話だ、この界隈は当時の面影は今はほとんどない。
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ps. 当時の駿河台の街並みの説明に間違いがあれば、ぜひご指摘ください。



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