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なぜ中高生向けの「美術」の授業で、 「自分なりの答えを見つける力」が育つのか?

『13歳からのアート思考』著者・末永幸歩インタビュー(1)

 いま、中学教師による実際の「美術」クラスを再現した『13歳からのアート思考』という書籍が話題になっているのをご存じでしょうか?
 「技術と知識」に偏った従来の授業とは異なり、「ものの見方を広げる力」や「自分なりの答えを見つける力」を育むことができると
教育関係者のみならず、多くのビジネスパーソンからも熱い注目を集めています。
 なぜいま、「アート」というキーワードが取り沙汰されているのか?
 美術は、どのように私たちの生活や生き方に役立つのか?
 いままで誰も語ってくれなかった「『図工・美術』が持つ本当の意味」について、著者である美術教師・末永幸歩さんに聞いてみました。
 今回より全4回にわたってお送りします。
(取材・構成/イイダテツヤ、撮影/小杉要)

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末永幸歩(すえなが・ゆきほ)
美術教師/東京学芸大学個人研究員/アーティスト
東京都出身。武蔵野美術大学造形学部卒業、東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了。東京学芸大学個人研究員として美術教育の研究に励む一方、中学・高校の美術教師として教壇に立つ。「絵を描く」「ものをつくる」「美術史の知識を得る」といった知識・技術偏重型の美術教育に問題意識を持ち、アートを通して「ものの見方を広げる」ことに力点を置いたユニークな授業を、都内公立中学校および東京学芸大学附属国際中等教育学校で展開してきた。生徒たちからは「美術がこんなに楽しかったなんて!」「物事を考えるための基本がわかる授業」と大きな反響を得ている。彫金家の曾祖父、七宝焼・彫金家の祖母、イラストレーターの父というアーティスト家系に育ち、幼少期からアートに親しむ。自らもアーティスト活動を行うとともに、内発的な興味・好奇心・疑問から創造的な活動を育む子ども向けのアートワークショップ「ひろば100」も企画・開催している。著書に『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』がある。

「美術を学ぶ」のではなく、「美術を題材にして学ぶ」

――末永さんの『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』を拝読しました。この本は、実際の授業をもとにされているそうですが、本当にユニークな授業ですよね。末永さんは、なぜこんな「美術」の授業をやってみようと思ったんでしょうか?

末永 そもそもは、教員としていくつかの違和感を持っていたからですね。

 私は中学校・高校で美術教員をしてきたのですが、地域の学校が参加する美術展があったとき、ある学校の出展している作品がすごく見栄えがよかったんです。自画像が並んでいるんですけど、とてもよく描けていて。

 でもよく見ると、どの生徒の作品も描き方がまったく同じ。40人の生徒がまったく同じ「ものの見方」をして、同じ描き方をするなんてあり得ないですから、それを見たとき「これは美術教師が『1つの同じものの見方』を教えて、同じ描き方ができるように指導されたものなんだろうな……」と違和感を覚えたんです。

 私が所属していた学校内でも年1回の学習発表会があって、美術の授業としても何か発表するんですが、やっぱりどうしても最終的なアウトプットというか、でき上がった作品ばかりに焦点が当たってしまいます。

 生徒もそうですが、先生もそういう意識になっていて、途中経過や制作プロセスで「何を考えたのか」とか「何を得たか」ということはほとんど関係なく、「いかに見栄えのよい作品を作るか」「いかに完成させるか」というところばかりに集中してしまう。これにもすごく違和感を覚えました。

――私たちが受けてきた「美術」の授業は、まさに知識や技術が中心で、「いい作品をつくる」のが当たり前だと思っていたのですが、末永さんが感じた“違和感”とは、具体的にどういうものなのでしょうか?

末永 きっとどの学校でも似たようなところがあると思いますが、学校全体の風潮として、いわゆる主要5教科よりも美術の重要性は「ちょっと低い」という感覚を、生徒も、教員も持っているような気がします。

 将来「美術に直接関わる仕事」に就く人は少ないでしょうから、「美術の技術や知識」だけで言ったら、5教科の知識よりも重要度は低いかもしれません。でも、だからこそ「美術を通して何を学ぶのか」を考えることがとても大事だなと。

――「美術を学ぶ」ではなく「美術を通して学ぶ」に考え方を切り替えたわけですね。

末永 まさにそうです。「美術教育」そのものを考えたとき、小学校や中学校は専門教育ではなく、普通教育なんですよね。高校へ行くと一部には専門教育としてやっているところもありますけど、普通科の高校であれば、やっぱり美術は普通教育です。

 専門教育であれば、デッサン力とか、何かを作り上げるスキルを磨くなど、技術を教える必要もありますが、普通教育ではいったい何を学ぶことが大事なんだろう、と。

 美術を通して、その先にある「本質的なもの」を学ぶ。もう少し具体的に言えば、「ものの見方」を広げる、とか、「自分なりの答え」をつくる――それが大事だと私は思っているんです。現場ではけっこう忘れられがちですが、それがもともとの普通教育として美術を学ぶ意味だったのではないかなと。

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――なるほど。美術の授業に、そんな本質的な意味や目的があったとは考えもしませんでした。

末永 これは私個人の意見というわけではなくて、学習指導要領とか、大学の専門的な教育機関などではかなり前から考えられていることで、本来的な意味では、これがスタンダードなんです。

 でも、それが学校現場にはなかなか浸透していかない。どうしても多くの人が中高生のときに受けたような、従来型の「技術や知識に偏った授業」がまだまだ行われています。

 こうした現状に対する違和感こそが、「自分の授業を変えてみよう」と思ったいちばんのきっかけです。

学校教育のなかで「授業を変える難しさ」
をどう乗り越えたのか?

――「授業を変える」といっても、やっぱり学校という社会では、自分だけが方向性の違う「新しい授業」をやるのは、それなりの抵抗とか、やりにくさもあったんじゃないですか?

末永 そうですね。私の授業では、いわゆる“アウトプット”というか、作品の“見栄え”だけを大事にするわけではないので、従来型の授業を変えることへの抵抗というか、難しさはたしかにありました。

 たとえば、遠近法の技術をきちっと教えれば、それができるようになる子は当然増えます。簡単に言えば、見栄えはそれなりによくなるんです。

 でも、それでは「美術の技術や知識」を教えているだけで、本質的な「ものの見方を広げる」とか、「自分なりの答えを見つける」ということにはつながりません。

 美術を通して「本質的なこと」を考えたり、体験したりしようとすると、当然、なかには“見栄えのよい作品”をつくることができない生徒であったり、そもそもアウトプットまでたどりつけない生徒も出てきます。

 すると、前年まで他の先生がやっていた「授業の成果」とは全然違うものになってしまう。そうなると、他の先生方から「う~ん」「ちょっとねぇ……」という微妙な反応が返ってくることもありました。

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――「作品自体の質」が低いものになってしまうと、美術教師としての葛藤や、周りから理解を得にくいなど、いろんな難しさが出てきたというわけですね。

末永 ええ。でも、だからこそ、私としては途中経過というか、制作の途中で生徒が何を感じて、何を考えて描いたものなのかというところを、できるだけいろんな先生たちにも見てもらえるような工夫はしました。美術の授業で行っているプロセスの部分を伝えていく努力というか。

 もう一つ、私はずっと常勤の教師だったんですが、一度、非常勤になったのも大きかったですね。

 非常勤になってからは自分の授業だけに集中できたので、常勤だったころよりも時間的にも気持ち的にも余裕ができます。だからこそ「せっかくなら、自分が本当におもしろいと思う授業をやろう!」と思えたんです。

――少し気楽な立場で“ゴーイングマイウェイ”になれたというのは大きいですね。

末永 非常勤だったときには、働きながら東京学芸大学の大学院へも通っていて、美術教育を専攻していました。

 そういった大学の先生たちの存在も大きくて、私の思いとか、考えていることを話したり、発表したりすると、最先端の先生たちは全然びっくりしないんですよね。すごく当たり前の反応というか「そうだよね。そういうことだよね」「これがいま、いちばん必要な力だよ」と割とあっさり肯定してもらえたんですよね。それで自信を得たというか、確信を得られたという部分もあったと思います。

 実際、大学などの研究機関では、美術教育というのは技術とか、狭い意味での知識を学ぶことよりも、もっと広い意味での知識とか「人生に生かせるようなことを教えよう」という方向へ向かっています。

「生徒たちの変化」がいちばんうれしかった!

 授業を変えてみて、いちばんうれしかったのは、やはり生徒たちの反応が変わったことですね。最初は中学1年生にやってみたんですが、1年生って純粋だから、ものすごくストレートに反応が返ってきて、びっくりしたし、おもしろかったです。

――授業そのものに、すごく活気が出てきますよね。

末永 そうなんです。本のなかでも取り上げているんですが、たとえば「ピカソの絵にダメ出ししてみよう」というワークをはじめたら、生徒たちがものすごくおもしろがって本当に自由で、ストレートな反応がたくさん返ってきます。

 「なんでこんなにカクカクしてるの?」
 「ちゃんと見て描いたとは思えないぐらい、身体のパーツのバランスが悪い」
 「無機質で人間味がまったくない」

 そんな反応がとにかくおもしろかったですね。

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 それと、以前は見られなかったんですが、授業の前後に学校の廊下で美術の話題で盛り上がってる子がけっこう出てきたんですよ。先週やった美術の授業について廊下で女子生徒同士が盛り上がっていたりとか。とくに「美術が好き」という子ではないのに、めちゃくちゃ盛り上がっている姿を見たときはとてもうれしかったです。

 『13歳からのアート思考』というタイトルの由来にもなっている話ですが、小学校の「図工」の授業って、すごく人気がある科目なんです。でも、中学に入ると「美術」は途端に人気がなくなってしまう。じつはその下落幅は全教科のなかで第1位です。

 そんな人気急落の美術ですが、授業のやり方を変えてみたら、生徒たちが楽しそうに、ものすごくイキイキと盛り上がってくれるようになった。それが何よりうれしかったですね。

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【取り上げられた本】

『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』
末永 幸歩 (著)

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藤原和博・山口周・中原淳・佐宗邦威……各氏が大絶賛!! 論理もデータもあてにならない時代、20世紀アートを代表する6作品で「アーティストのように考える方法」が手に入る! 「自分だけの視点」で物事を見て、「自分なりの答え」をつくりだす作法が身につく!
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