見出し画像

ビジネスにも使える、 科学者の「仮説」を立てる方法

『若い読者に贈る美しい生物学講義』著者・更科功インタビュー(3)

 生物とは何か、生物のシンギュラリティ、動く植物、大きな欠点のある人類の歩き方、遺伝のしくみ、がんは進化する、一気飲みしてはいけない、花粉症はなぜ起きる、iPS細胞とは何か…。分子古生物学者である著者が、身近な話題も盛り込んだ講義スタイルで、生物学の最新の知見を親切に、ユーモアたっぷりに、ロマンティックに語る『若い読者に贈る美しい生物学講義』が4万部突破のベストセラーになっている。
「生物学」「科学」という視点から、私たちは何を感じ、何を学び取ることができるのか。知のプロフェッショナルである科学者は、どのように仮説を立てて、真理に迫っていくのか。生物学の専門家であり、本書の著者である更科功さんに、じっくりと話を伺った。
(取材・構成/イイダテツヤ、撮影/疋田千里)

画像1

更科功(さらしな・いさお)
1961年、東京都生まれ。東京大学教養学部基礎科学科卒業。民間企業を経て大学に戻り、東京大学大学院理学系研究科修了。博士(理学)。専門は分子古生物学。東京大学総合研究博物館研究事業協力者、明治大学・立教大学兼任講師。『化石の分子生物学』(講談社現代新書)で、第29回講談社科学出版賞を受賞。著書に『宇宙からいかにヒトは生まれたか』『進化論はいかに進化したか』(ともに新潮選書)、『爆発的進化論』(新潮新書)、『絶滅の人類史』(NHK出版新書)、共訳書に『進化の教科書・第1~3巻』(講談社ブルーバックス)などがある。

科学も刑事コロンボも方法は同じ

──『若い読者に贈る美しい生物学講義』では、生物学の話をする前に、「科学とは?」という問いから入っています。生物学の本としてはめずらしい導入だと思うのですが、どのような意図があったのでしょうか?

更科 1つには「科学とは」という前提を理解しておかないと、その後の話が説明できないからです。

 実際に本の中にも書いたのですが、科学では、

 まず仮説を立てる。
 その仮説を、観察や実験によって検証する。
 観察や実験によって仮説が支持されれば、より良い仮説となる。
 繰り返し支持されてきた仮説は、とても良い仮説である。
 
 という前提があります。

 仮説が繰り返し支持されれば、それは「良い仮説」となる。こうした考え方は、科学のみならず、あらゆる方面で役に立つと思っています。ビジネスに置き換えても使えますし、生活のなかで活用できる場面もあるでしょう。

 これは『刑事コロンボ』でも同じです。さまざまな推理をしながら、仮説を立てていきます。その後、捜査を重ねていくなかで、何度も支持された仮説は「より良い仮説」になり、ついには犯人を突き止めます。まさに科学の前提となる考え方です。

 コロンボも科学も、100%正しい真理に到達することはできません。仮説を少しずつよい仮説にしていくことしかできません。これはとても大事なことだと思います。

 そもそも私は、生物学とか、物理学というのは便宜的な分け方に過ぎず、科学は一つの学問だと考えています。だからこそ、この本でも、「科学とは」という前提を踏まえるところから始まって、さまざまな具体的な話に展開していく。そんな構成になっています。

──たしかに、後半の「直立二足歩行の話」「人類は平和な生き物」というあたりを読んでいくと、「何度も支持されているのは良い仮説」というベースの考え方が効いてきますね。

更科 「人類は平和な生き物」であることが、現在では有力な仮説になっているんです。でも、これを認めないというか、納得しない人もけっこういる。「人類は残酷で、好戦的な生き物だ」という具合ですね。

 じつは、これって古い迷信というか、古い説が根強く残っているだけで、おそらくは、スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』という映画の影響が大きいんです。

 観たことがある人も多いと思うのですが、『2001年宇宙の旅』の冒頭のシーンには、類人猿が出てきて、大きな骨を武器にして、他の動物、あるいは、仲間を殴り殺します。そのときに「快感だ!」と言わんばかりに、類人猿は本当に嬉しそうな顔をするんです。空中に放り投げられた大きな骨が、宇宙空間で宇宙船と重ね合わせになるというシーンからこの映画は始まります。

「武器から文明が生まれた」というメタファーですね。人類が直立二足歩行になったことで武器を扱うようになった。武器を使うから牙が不要になり、その武器で仲間と殺し合うようになる。ーーーー言ってみれば、人類は残酷な生物として生まれたと描いているわけです。

 じつは、この考えは、レイモンド・ダートという人類学者の仮説が根拠になっています。しかし、現在では、レイモンド・ダートの仮説は、否定されています。

 この本にも書きましたが、生物学的な定説では、直立二足歩行によって手が空くようになり、たくさんの食料を運ぶことができるようになったんです。その結果、子どもに十分な食料を与えることができ、子どもの生存率が上がった。

 そういった生活をするためには「どれが自分の子どもなのか」を判別する必要があるので、一夫一妻制だとつじつまが合う。結果、メスを奪い合うオス同士の戦いが少なくなり、牙も退化し、平和的に暮らすようになっていく。

 類人猿と比べて、人類はとても平和な生き物です。この説には証拠もあるんですが、正直言って、弱い証拠しかない。でも、なぜ生物学の世界でこれが定説になっているかと言えば、人類が直立二足歩行をすることと牙がないこと、この両方の仮説を説明できるからなんです。証拠が弱いときは、多くの仮説を説明できる方を良い仮説とするのが、科学の方法です。

私たちは「進化の奴隷」になってはいけない

──この本では「人間は平和な生き物」「ヒトは地球に何をしてきたか」など、生物学の話でありながら、哲学や思想にも繋がる深いメッセージを感じます。更科先生は、意図的にそういう思いを込めているのでしょうか?

更科 じつはまったく込めていないつもりです。もちろん、自分の考えが出ているところはあるかもしれませんが、「人として、こういうことが大事だ」と伝える意図はありません。なぜなら、それは生物学的な事実とはまるで無関係だからです。

 たとえば「人種差別をしてはいけない」という考え方がありますよね。そもそも生物学的には「人種」はない。たとえば「黒人」という一つのグループは存在しません。

 こうした事実を踏まえて「生物学的に人種は存在しないから、人種差別はナンセンスだ!」と主張する人がいますが、でも、そうでしょうか。人種差別をしてはいけない理由は、生物学的に人種が存在しないからではありません。たとえ生物学的に人種が存在していても、人種差別をしてはいけないのです。

 10年前に比べると、DNAの解析速度は倍以上になりました。これからもどんどん技術は進んでいくでしょう。もしかしたら、人類のいろいろな集団のあいだに遺伝的な違いが見つかって、さまざまな能力や性質の違いが明らかになるかもしれません。

 そのときに大事なのは「生物学的に違いがないから、差別をしない」のではなく、「生物学的に違いがあろうとなかろうと差別をしない」ということです。

画像2

 この本では「人類は平和な生き物」という話をしていますが、それは「人類は最初から残酷で、好戦的な生き物である」という、ある種間違った理解が広がっていたので、現在の生物学の定説を紹介したに過ぎません。

 でも、それは「人間が平和な生き物だから、平和を目指さなければいけない」というのとはまったく違います。チンパンジーに比べて人間が平和的なのは事実ですが、そんなことは関係なしに、人を殴るのはよくないし、平和を目指していくことが大切です。

 ときに私たちは「科学で見つかった事実」に抵抗して生きていかなければならない、と私は考えます。科学的な事実を踏まえ、その進化の奴隷になるのではなくて、私たちは自らの行動を決めることができるのです。

「自らの行動を変えることで、進化の道を変えることができる」というのは、ダーウィンの時代から言われていることです。

生物学的な視点から浮気を肯定するのは…

──「科学で見つかった事実に抵抗して生きていく」「進化の奴隷にならない」というのはとても胸に刺さる話ですね。

更科 話はちょっと横に逸れるかもしれませんが、そもそも生物の「オス・メス」というのは受精するときに生殖細胞が小さいのがオス、大きいのがメスと決めているわけです。構造上、オスはメスに比べてたくさんの子どもを作ることができることがふつうです。

 でも「だから、男性が浮気をするのはしょうがない」とか「生物学的に見て、一夫多妻制が自然の姿だ」と言ってしまうのはナンセンスです。

画像3

生物のなかにも一夫一妻制はいくらでもあって、テナガザルもそうです。また、ヤドクガエルの中には、オスがオタマジャクシを背中に乗せて運ぶものがおり、ほぼ一夫一妻制に相当する生活形態をとるものもいます。

 こうした事実と「私たちは、こうやって生きていかなければいけない」というのはまったくの別ものです。でも、そういうことを考えるきっかけになるという意味でも、自分の専門外の知識ーーーーたとえば生物学について学ぶことには、とても大きな価値があると思っています。

――――――――――――――――――――――――――――
【取り上げられた本】

若い読者に贈る美しい生物学講義
 更科功(著)

画像4

<内容紹介>
出口治明氏
「ドーキンス『進化とは何か』以来の極上の入門書。」

養老孟司氏
「面白くてためになる。生物学に興味がある人はまず本書を読んだ本がいいと思います。」

竹内薫氏
「めっちゃ面白い! こんな本を高校生の頃に読みたかった! ! 」

山口周氏
「変化の時代、"生き残りの秘訣"は生物から学びましょう。」

佐藤優氏
「人間について深く知るための必読書。」

生命とは、進化とは、遺伝とは、死とは、多様性とは、生き延びるために必要な生存戦略とは――。本書は、読者に向けて、生命とは何かを平易な言葉で伝える、いままででいちばんわかりやすく、いちばん感動的な生物学の本となる。後半の病気に関連した部分は、医学的な解説ではなく、生物としてどのような現象が起こっているのかを解説する。

生物とは何か、生物のシンギュラリティ、動く植物、大きな欠点のある人類の歩き方、遺伝のしくみ、がんは進化する、一気飲みしてはいけない、花粉症はなぜ起きる、IPS細胞とは何か・・・。最新の知見を親切に、ユーモアたっぷりに、ロマンティックに語る。あなたの想像をはるかに超える生物学の授業! 全世代必読の一冊! !

きっと、どんなことにも美しさはある。そして美しさを見つけられれば、そのことに興味を持つようになり、その人が見る世界は前より美しくなるはずだ。きっと生物学だって、(もちろん他の分野だって)美しい学問だ。そして、この本は生物学の本だ。もしも、この本を読んでいるあいだだけでも(できれば読んだあとも)、生物学を美しいと思い、生物学に興味を持ち、そしてあなたの人生がほんの少しでも豊かになれば、それに勝る喜びはない。(本書の「おわりに」より)
――――――――――――――――――――――――――――