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モヤモヤ働く私の霧を晴らしてくれた一冊の韓国エッセイ

あやうく一生懸命生きるところだった』訳者・岡崎暢子インタビュー(1)

「この本を読んで、会社を辞めました」と語るのは、翻訳家・岡崎暢子さんだ。彼女が翻訳した韓国人著者のエッセイ『あやうく一生懸命生きるところだった』が今、売れに売れている。
 40歳を目前に会社を辞め、一生懸命生きることをやめた韓国人著者のエッセイなのだが、韓国では25万部のベストセラー、日本でもすでに10万部突破と絶好調だ。必死で生きることに疲れてしまった人が居場所を見つけられるような、優しさに溢れる本である。
「必死に生きない」という生き方を提案する本著に出合い、人生が好転しはじめたという翻訳家・岡崎さん。誰もが良しとする「一生懸命」な生き方とは相反する価値観を持つ本著の魅力とは──。岡崎さん本人に取材した。(取材・構成/川代紗生、撮影/疋田千里)

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岡崎暢子(おかざき・のぶこ)
韓日翻訳家・編集者
1973年生まれ。女子美術大学芸術学部デザイン科卒業。在学中より韓国語に興味を持ち、高麗大学などで学ぶ。帰国後、韓国人留学生向けフリーペーパーや韓国語学習誌、韓流ムック、翻訳書籍などの編集を手掛けながら翻訳に携わる。訳書に『あやうく一生懸命生きるところだった』(ダイヤモンド社)、『クソ女の美学』(ワニブックス)、『Paint it Rock マンガで読むロックの歴史』、翻訳協力に『大韓ロック探訪記(海を渡って、ギターを仕事にした男)』(ともにDU BOOKS)など。

「社会のものさし」との葛藤

──この本をはじめて読んだとき、びっくりするくらい刺さりました。エッセイでここまでグサグサ刺さるような本、読んだことあったかな?っていうくらい。

岡崎:うんうん、そうですよね、わかります。

──原書で読まれて、ご自身で翻訳もされた岡崎さんは、この本の魅力は何だと思いますか? どこに一番惹かれました?

岡崎:最初はやっぱり、意外性のあるタイトルに惹かれました。「あやうく」って、「まちがえば」とか「もう少しのところで」とか、否定的な意味を持つ言葉でしょう。たとえば、「あやうく事故に遭うところだった」みたいな使い方が自然ですよね。

 それなのに、『あやうく一生懸命生きるところだった』っていうタイトル。「え? 何それ?」という意外性がありますよね。一方で、たぶん多くの人がじつは心の中で思っていたことを、ハ・ワンさんがはじめてちゃんと言葉にしてくれたんだと思います。

──たしかに。無意識に「どうしてここまで頑張っているんだろう?」って私たちは思っていたのかもしれませんね……。

岡崎:そうそう。私も共感する部分はたくさんあった。この本を読んだのは、身の回りのことでいろいろと疲れていたときだったんですが、プロローグでいきなり「今日から、必死に生きないと決めた」と出てきて。

 ページをめくっていったら、ところどころ入っている挿絵にも「ムダな抵抗はやめろ! ムリしてやる気を出すな!」っていう台詞が書いてあったり(笑)。それで結局、この本を読んだことが、仕事を辞めるきっかけになったんですよ。

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(C)hawan 『あやうく一生懸命生きるところだった』より

──本を読んでいきなり気持ちが変わったんですか?

岡崎:読んですぐに「よし! 辞めよう!」と決意したわけではありません。でも、たぶんそのとき悩んでいた気持ちに、この本の言葉がすごくぴったり来たんですよね。ページをめくっていくうちにだんだん気持ちの整理がついてきて、決意が固まっていったんだと思う。「そんなに無理して一生懸命やらなくても、もういいかな」って、ふと思ったんですよ。

 じつは、「翻訳の仕事をやりたい」と前からずっと思っていたんです。ただ、年齢も年齢だったし、当時在籍していた会社で契約社員から正社員になれたタイミングでもあった。この年齢で正社員になれることもなかなかないから、やっぱり「社会のものさし」的なことを考えると、迷ってしまって。「正社員になれて良かったね!」って周りの人も言うし「そうなのかな……」とモヤモヤしていました。

 でも、『あやうく~』を読んで、「もうちょっと自分の気持ちに正直になってもいいのかな」と思うようになったんです。

必死に頑張ってきた人にこそ響く本

──岡崎さんの場合も、それまで「一生懸命生きて」きたからこそこの本の言葉が響いたんでしょうか。

岡崎:うん、それはあるかもしれないです。私、バブル崩壊後の就職氷河期第一世代なんです。大学卒業後すぐに正社員にはなれなくて、アルバイトをしつつ、派遣社員のような感じで出版社の仕事をしていました。

 2001年に韓国へ留学したあとは、東京で韓国人が経営する小さな出版社に入りました。でも、いろいろありましたよ。社長が給料をくれないまま夜逃げしたりとか。

 その後は、韓国人向けのフリーペーパーを作る会社の中で良さそうなところに電話してみたんですが、次に入った会社でも、たまに給料が出ないと、社長の奥さんがパチンコでお金を増やして、みんなに配っていたことがありました(笑)。懐かしいです。

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──そういう環境でしばらく働かれていたんですか。

岡崎:3年くらいですね。私の場合は、限界だと思ったらすぐに転職するタイプではあったんですけど、いつも、ものすごく頑張っちゃっていましたね。自分が最後に会社の鍵を閉めるような日が続くことも多くて。

 その仕事だけだと一人暮らしで生計を立てられないので、土日にコールセンターのアルバイトをしながらやってました。ほぼ休まずに、ずっと働いていて、やがてふと、どっと疲れて折れる……。その繰り返し。

 バブル世代の背中も見ているので「一生懸命やってるのに、どうして私の暮らしはイケイケにならないんだ?」と思ってしまうこともよくあった。全然、給料が上がらないとか、ボーナスなんて無縁とか……。希望が持てないというか。この本の著者のハ・ワンさんも同世代で、だからこそ刺さる部分はあったのかもしれません。

──この本は、ある種、これまで「頑張っても報われない」という思いをしつつも、がむしゃらに頑張ってきた真面目な人にこそ響く本なのかなと思いました。「最初から頑張らない人生でいいよ」という本ではないのかな、と私は解釈したのですが、岡崎さんはどう思われますか?

岡崎:本当にそのとおりですよ。一瞬でも、何かを一生懸命やってきた人だからこそ、「あ!」と強く共感できる本なんだと思います。

 頑張ることは、もちろん悪いことじゃないですし、この本も、それを否定しているわけじゃありません。だけど、やっぱりどうにもならないことはあるわけで、そのときには「諦めてもいいんじゃない?」「自分を死ぬほど追い詰めなくてもいいんじゃない?」と言ってくれている本なんですよ。だから、必死に頑張ってきた人にこそ、共感してもらえる本だと思います。

満員電車に乗れないくらい、追い込まれていた頃の自分へ

──私は、この本を読んでみて、同世代のアラサーたちにすごく読んでもらいたいなと思ったんです。私もそうなんですが、30歳前後って一番将来に悩んだり、それこそ「一生懸命生きないと」って思ってしまいがちだと思うから。パッと浮かんだのは仕事に悩んでいる親友の顔で、「次に会ったときに絶対プレゼントしよう!」って決めました。岡崎さんは、この本をおすすめしたい「誰か」の顔、浮かびますか?

岡崎:うーん……。私の場合は、やはり昨年の今頃の自分ですね。

──ちょうど岡崎さんがこの本に出合った後くらいですね。振り返ってみて、やはりそのころの自分に必要だったということでしょうか?

岡崎:はい、一年前は本当に苦しかったので。「とにかく仕事でなんとか自分を保たなきゃいけない」というプレッシャーが強すぎて、ほかのことが何も見えなかったんです。「ちゃんとしなきゃ!」って常に思っていました。ものすごく苦しかったんだけど、でも、そこから外れるという選択肢を持てなかった、なかなか踏み切れなかったあの頃の自分に、渡したいですね。

──そこまで大変だったんですね。

岡崎:本当にね、満員電車に乗れなくなってしまうくらい、精神的につらい時期があったんです。その会社ではスタッフが少ないこともあり、皆さん自分のことで手一杯で。

 一人でこなすポジションだったので相談する人もいないし、苦しみを共有できる人もいない。でも、いつもその苦しみに蓋をして、騙し騙しやっていて。そんなときにこの本を読んで、「もう少し自分に正直になってもいいかも」って思ったんですよ。

 私、まさに『あやうく一生懸命生きるところだった』んですよ。一年前までは。「誰のためにやっているんだろう」って思ってた。もちろん私がやりたいっていうのもあったんですけど、ただ、正社員になってからは特に「会社のために」っていう気持ちが強くあった。この仕事に関わる人たちの生活もある。私が編集する本を楽しみに待ってくれているお客様もいる。

 変な話なんですけど、「私が支えなくちゃ」みたいにそのときは思ってしまっていたんです。そこでふと、「誰のために、何のためにやっているんだろう」と思って……。今思うと、結局、自分のためじゃなかったのかもしれません。自分で自分の首を絞めているような感覚でしたね。

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──そんな岡崎さんを救ったこの本を、岡崎さん自身が翻訳されているって、すごいことですよね?

岡崎:そうですね、翻訳を担当できたのは本当に奇跡なんですよ!「この本がすごく好きだ」とか「この本を読んで、会社を辞めようと思った」とか、そういう話は、翻訳する前からいろんな人にしていました。

 それで、たまたま版権を扱っている方のところに、ダイヤモンド社さんからお話があって、「これ岡崎さんがすごくいいって言ってたあの本じゃない?」と繋がって、私が翻訳させてもらえることになったんです。

――じゃあ、決まったときはやっぱり嬉しかったですか?

岡崎:いやー、びっくりしましたよ! たぶん30センチぐらい跳びました(笑)。本当に私はタイミングが良くて、こういう素敵な本を翻訳するチャンスに巡り合えたのもありますし、今は、前から「やってみたい」と思っていたことをやれているから、この本に出合えて本当によかったです。

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 これは裏話になるけれど、じつは本書の出版は、編集を担当したH氏の悲願でもあった。「やりたいことをやって生きていこう!」と、バリバリ頑張る風潮が勢いを増していくなかで「生きづらさ」を感じている人たちを救う本をつくりたいと思っていたところ、本著を見つけ、手を挙げたのだという。取材時、同席していたH氏のそんな裏話を聞いていた岡崎さんは、ふとこう呟いた。

「本当によかったですね。なんか、本当によかった……。もっといろいろな人に、この本を読んでほしいですね」

 韓国から広がり、そして、日本へ。岡崎さんが翻訳した言葉が、生きづらさを感じている多くの人たちの心に光を灯すのは、まだまだこれからだ──。

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【取り上げられた本】

あやうく一生懸命生きるところだった
 ハ・ワン(著)/岡崎暢子(訳)

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<内容紹介>
「正直なところ、この選択がどんな結果を生むのか僕もわからない。“頑張らない人生”なんて初めてだ。これは、僕の人生を賭けた実験だ――」。
韓国で25万部超のベストセラーが待望の邦訳! 
他人の目を気にせず、自分らしく、頑張らずに生きることを決意した著者が贈る、生きづらさを手放すための言葉
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