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南風からのメッセージ②|祖父の旅立ちと音楽と

止まっていたnoteの更新。
思いを言葉にすることからしばらく遠ざかってた。
不器用なりに、新しい仕事が少しだけ楽しくなっていて言葉を紡ぐことよりも、足を動かすことに必死になっていた。

そんな時に突如舞い込んだ、母親からのLINE。
祖父の容態急変の内容。
沖縄に私は帰りますの文字。

私はずっとずっと祖父のファンだった。
頻繁には帰れない沖縄で、祖父に会うと口下手な私はおしゃべりに花を咲かせるようなことは出来なかったけれど、
豪快でいてチャーミング。
人徳溢れる祖父を私は尊敬してやまなかった。


そんな祖父は先週の水曜日に旅立っていった。
娘・息子に見守られながら。
92歳の大往生。
入院生活を拒否して、誰にも迷惑をかけずに逝きたいという祖父の願いが実った最後だったのかもしれない。

それでも私は現実を受け止めきれず
胸の奥が痛くなって口からは嗚咽が漏れていた。

「おじーは元気だけが取柄よ」
声量のある明るい声が耳の奥で響いてくる。
電話の時に必ず祖父が言っていた言葉。


それから夫と沖縄へ飛び
晴れ渡る空の下お見送りをした。

振り返れば、3月沖縄へ帰った時に祖父と親戚とでカラオケへ行った。
歌を歌うことが大好きだった祖父は熱心に歌唱し
みんなそれぞれが歌を歌った。
私の番は数えるほど。歌を歌うことは大好きだけれど人前となるとそれは別で。
カラオケという場になると特に歌えなくなる。
私は2曲ほど歌ってその後は聴くことに専念していた。


祖父の家へ戻り、そこで家庭用のカラオケをする祖父。私と母は1曲歌った後は、再び聴くことに専念していた。
祖父は、「歌うのは嫌いか?」と母に訪ね一人で何曲か歌いカラオケは終わった。
その日以来、祖父は家でカラオケをすることもなかった。


本当は歌を歌うことも聴くことも大好きな私。
かつてはお風呂で毎晩歌うほど。
不思議とここ最近は歌を歌うことも聴くこともない毎日を過ごしていた。

あの時、もう少し一緒に楽しく歌えていれば。
祖父と一緒にもっといろんな歌を歌えていたら。
叶えられない思いが心を満たして涙になる。
もう聞こえない祖父の歌声と、私の名前を呼ぶ声を思い出して胸の奥が痛くなる。


それから1週間がたち、日常が戻ってきた。
ただ一つ違うことは、かつてしていたように
お風呂で毎晩歌を歌っている。

届くといいな、祖父のもとへ。
そんな気持ちを携えながら。

テレビやYoutubeでひたすら音楽を聴くここ数日。
使う媒体こそ違えどそれはまさに思春期にしていたことと同じ。辛いことがある時は必ず音楽を聴き、救われていた。

祖父が亡くなり思い出す。
どんな時も私の心を支えて寄り添ってくれたのは音楽だったことを。

歌が大好きだった祖父の血が私にもちゃんと流れている。
だからこれからも沢山の歌を聴き
そして私自身も歌を歌って過ごしたい。

「あなたの場所から私が見えたら
きっといつか会えると信じ生きていく」

涙そうそうの歌詞が頭を巡る。
次会うときは必ず、カラオケ片手に思いきり楽しい時間を過ごすんだ。
今晩のお風呂では何の歌を歌おうか。
この気持ちを忘れぬように歌と共に毎日を過ごしたい。

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