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渦中にある時は、戦略的勝利に向かっているのか、わからなくなるときがある。 6月2日 A Successful Information-Based Organization 情報型組織の成功例

この週末から4日間、本日 #6月2日まで #ポケモンGo で わが街、 #仙台 は大賑わいです。

この4日間で来仙する観光客は5〜6万人が予想されているとか。

巨費を投じても、繁盛の見込みのない大阪万博よりも、万博会場を巨大なポケモンGo会場、ワンピース会場、鬼滅会場、ナルト会場といった具合に、ゲーム&アニメ祭の方が来場者は増えるんじゃない?笑。

いや、マジで2025年は日本中、国ごと「巨大なポケモンGo会場」にした方が観光客は賑わうでしょう。

辺鄙な場所に巨費を投じることなく、日本中の寂れつつある商店街に一匹ずつポケモンをバーチャル棲息させておくだけ。コスト?サーバー代??知らんけど。

そういうところじゃないかな?

さて、今日の #ドラッカー365の金言 テキストは、1989年刊行『新しい現実』 14章 情報化組織 306〜307ページより。

 「イギリスはあの広いインドをたった1000人で植民地統治した」というドラッカーの言葉は、1974年の『マネジメント』にも記されている、お馴染みのエピソード。(32章 経営管理者の職務の設計と内容 1974年版 下巻 42〜45ページ)


#6月2日  日曜日、本日ポケモンGo 仙台最終日のドラッカーのテーマは、  
#A_Successful_Information_Based_Organization  (成功する情報ベースの組織とは?)
#情報型組織の成功例

情報を活かすも殺すも組織リーダー次第です。

閉塞した既存政党の政治を王道に戻そう、という保守運動を唱える日本保守党が注目度の高い都知事選挙に不戦敗、と聞いて、個人的に、がっかりしています。

YouTubeとxを活用し、順調に党勢を伸ばしてきた日本保守党。設立後、わずか半年で4月28日投票日の江東区補選に飯山あかり氏を擁立し、落選はしたものの2万4千余りの得票(得票率14%)とこの選挙活動で新たに6000名の新党員を獲得し、さあ、次は都知事選。党首自らが参戦することで、ここからネットを知らない人たちに日本保守党の存在を知ってもらい、認知を拡大する機会として都知事選に挑み、負けても負けてもチャレンジする「あしたジョー」的な姿勢を見せつけながら、支援者を増やし続けながら、衆院選・参院選に挑むのか、と思いきや、「都知事選には出馬しません」と百田代表。

「自分は後10年」と言いながら、どうしたんだ?政党としては、ベンチャー。まだまだここから攻めるフェースと思いきや、何を守りに入っているんだ?と言いたくなりました。まあ、百田さんが自費を投じてこしらえた政党ですから、百田さんの好き嫌いで信じる道へと歩んでいかれればよろしいでしょうが、、、しかし、不戦敗とは。。。これは白けますわ。

既存政党に嫌気が差して、無関心になっていたところに登場したので、「これは違うぞ」と(勝手に)期待した人も少なくなかったわけですが、熱も覚めてしまいますわ。期待を抱いたまま、宙ぶらりんにされた東京都の党員たちは、まだ候補者が揃っていないのに、不出馬宣言で、都知事選への情熱の梯子をはずされ、白けてしまい、国政選挙まで興味・関心を持たせられ続けられないないんじゃないでしょうか。

確かに、人には、未来のことがわかりませんから、後から振り返って、「ここが桶狭間だった」と勝負の分かれ目を理解することはできません。特に資源の乏しいベンチャー企業の場合、乗るかそるか、の勝負どころがどこなのか、渦中にある時は判断つきません。どれもこれもに投資するわけにもいかず、おっかなびっくりに、少額をいろんなところにばら撒く、という、最悪の戦略「逐次投資」をとってしまいがちです。

かといって、「ここが勝負のミッドウェイ!」と主力空母を投じた戦いでボロ負けして、戦争開始わずか半年で、致命的な戦略ミスを犯し、敗戦必至となった国家もあります。

どこが大勝利、もしくは、大敗北のポイントなのか、やってる最中は、本当に見えないものです。で、ドラッカーのいうように「必要な情報を全員が手に入れるとき組織は成果をあげる」わけです。

今日の金言:
#必要な情報を全員が手に入れるとき組織は成果をあげる

ACTION POINT:
#あなたの組織とイギリスのインド統治に共通することは何でしょうか

インドの国土面積は 328.7 万 km2、世界で 7 番目に広く、日本の国土面積の約 8.7 倍に相当するわけですが、その統治をイギリスはインターネットもメールもスマホもない時代にわずか1000名程度で行なっていたそうです。

今や人口12億超え。ドラッカーが記したのは、19世紀後半のイギリス領インド帝国の統治についてであり、1877年の人口は2.6億人だった というから、今の日本人数の2倍である。にもかかわらず、1000人程度で行政を行えたというわけだからそれはそれですごいことです。

ただし、イギリスは最終的には統治に失敗しました。

「政治」的にみた場合、イギリスのインド統治は、支離滅裂と優柔不断と方針の欠如との歴史であった。そして結局は失敗の歴史であった。(中略)しかし、イギリスが権力の座にとどまれたのは、何よりもますインド総督府の際立って優れた「行政」能力のおかげであった。

『マネジメント』1971年版 下巻 42ページ より


 結局彼らが失敗してしまったのは「方針」を持たなかったためである。彼らは行政を行い、しかも良い行政を行なっただけなのである。(私の知る限り、イギリスのインド統治に最も通じた本は、Philip Woodruff, The Men Who Ruled India である。同書によれば、イギリスの基本的な失敗の原因は、「国王は君臨するのみ」という信念、すなわち行政だけで十分であり、方針や決定、方向づけの代わりを務めさせることができるという信念にあったという。)

『マネジメント』1971年版 下巻 44ページ より

どこへ向かうかと「方針」を持ち、行動すること。
今月もいい仕事を進めていきたいですね。

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