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敗戦から学ぶ。

敗戦の記録

 昨日は終戦記念の日。久しぶりに上記3冊を引っ張り出してきて、再読しています。大本営陸軍参謀(堀栄三)、戦場に居た方(砲兵少尉(山本七平)・陸軍専任嘱託(小松真一))、大学教授(「失敗の本質」著者陣)とそれぞれの立場が違う中、それぞれが敗因と教訓とを記されています。

 そして、当時大本営や現場におられた方々は眼前にあった危機に対してどう向かい合ったか今も多くの教訓を学ぶことができます。

「戦略の失敗を戦術で補うことはできない」「過去の成功への過剰適応」「新たな環境変化に対応するための自己革新能力創造」「不合理性」「精神的弱さ」「バシー海峡」「普遍性なき文化」「生物学的常識の欠如」「情報軽視」など3冊に述べられている敗因はいずれも敬重に値するものばかり。

 これらの書籍は、「平家物語」のような物語として読むのではなく、先人からのリアルな申し送り書、引き継ぎ書として読むべきと感じます。なぜなら、75年前の対中・対米敗戦と今回の対コロナ・対中「見えざる戦争」による現在のところの日本の1人負けがシンクロして感じられるからです。

 今度こそは「感情よりも、そろばん勘定で。2度と負ける戦いはしない。戦わないわが国は愛と調和と積極財政(という計略)によって次は勝つ」を達成したいものです。

 太平洋戦争では300万人もの国民の命を失い、国土は爆撃で荒廃、船という船はほとんど沈められ、土地建物資産価値はほぼゼロに。戦後、戦災孤児がバタバタと倒れ、外国人が暴れまくり駅前商店街など好立地はじめ土地財産を不法占拠の上、GHQの徴税とデノミでわずかな手持ち財産も奪われ、悔しい想いをさせられた爺さんばあさんらから聞いてた苦渋の昭和昔話。玉音放送で戦争終わった、わーい平和じゃ、なんてTVドラマは現実じゃない。その後の数年は悲惨なのです。その時代を体験した先人を思うと、2度ともう敗戦はごめんです。

 では、なんでこんな国が焦土となるまで戦争しなくちゃならなかったんでしょう?そもそもの太平洋戦争の原因って何だっけ?習った覚えも無いのでgoogle調べたら、noteにこんな記事発見。

 この記事の説が正しいかどうかわかりませんが、確かに太平洋戦争敗戦の40年前に原因があるという指摘は鋭いと思いました。日露戦争に勝ったものの、当時被った「20億(当時)の戦費と20万人の死者」という大損害。ロシアからの賠償金でカバーしようという思惑が外れ、大増税で国民からは大ブーイング。しかも、10年後の第一次大戦後、スペイン風邪流行に、戦後恐慌、不作で米騒動、娘身売り、中小企業倒産の一方で、財閥がさらに膨張。そこに関東大震災、緊縮財政で大失敗。31年満洲進出し、その権益で回収しようとしたが、それは大義なき侵略だからダメと米英中から言われ、それもそうだと昭和天皇も東條に撤退させようとしてたが、そんな弱気でどうすると三国同盟を結び国連脱退してきた松岡が暴れ、現地で関東軍が暴れ、日華事変で死者が出るたび、ここで引けるか引いたら名が廃る、戦友に示しがつかんで突っ込んでいき、泥沼化。

 そもそも日露戦争開戦時に金がない。高橋是清が米英を駆け巡り、1904年から1906年までに13億円の資金調達をしております。つまり、借金して戦争だった。

 借金して戦争しても戦勝すりゃ賠償金と領土獲得で国力アップ、拡大して倍返しや!みたいな、まあ乱暴な国家経営の大日本帝国だったわけで。

 20億円の戦費と20万人の死者を出してロシア追い出し確保した中国権益ですが、朝鮮、台湾、満洲と外地への投資ばかりの赤字経営。それでも手放すまいと欲をかいてもがいた挙句、禁輸で干上がると戦った太平洋戦争の戦費は、当時の国家予算の280倍、4400兆円!そして、300万人もの尊い命。都市という都市は攻撃され焦土と化し、2度の原子爆弾を投じられ、満洲・樺太・北方領土を失い、57〜86万人がシベリア抑留となる。


日本の戦争目的は何だったか?

 なんでどうしてこんなに巨費を投じて、しかも、これほどまでの犠牲者を出してまで、勝ち目のない戦争を続けたのでしょうか。もちろん、当初はロシア南下に備える自国防衛、と思うのですが、、、。


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