海外に出て学んだこと

新型コロナウイルスの影響で、世界中がパニックですね。
私の住む香港でも症例が出ており、死者も一人出てしまいました。
一刻も早く事態が収束し、元の環境に戻ることを切に願います。

そんな状況下ではありますが、香港にきて約1年半がすぎました。
これまでの期間、本当にいろいろなことを経験しました。
私にとって、長期で海外に滞在するのは香港が初めてです。
今回は、その経験がどのような学びに繋がったのかを書き出してみました。

変化する外部環境

海外で生活を始める、ということだけでも大きな環境の変化です。

私がきた当時の香港は活気溢れる街そのもの。
日本でも東京に住んでいたとはいえ、最初はその勢いに圧倒されました。
生まれてまもなくしてバブルが崩壊した私たち世代は、活気のある日本をあまり覚えていません。
「高度経済成長の時の日本もこんな感じだったのかな?」と感じさせてくれるほど、香港の勢いは凄まじいものでした。

毎日午後8時から実施される大規模な光と音のライトショー「シンフォニー・オブ・ライツ」。
この規模のショーが毎日やっているということがすごく驚きです。

不動産価格や、オフィス周辺のランチの価格帯にも度肝を抜かれました。

街の人々にも非常に活気があり、久しぶりに東京に行った際には「あれ?東京ってこんなに元気なかったっけ?」と感じたほどです。
みんな大阪のおばちゃんくらい元気があります。あと声がデカいです。

その後、香港に来て1年が経たないうちに状況は一気に変わりました。

逃亡犯条例改正案の提出により、デモが一気に激化。
それまでも中国の建国記念日にはデモがありましたが、この法案を機にデモが日常茶飯事になりました。

最初は平和的なデモでしたが、なかなか状況が進展せず、次第に状況は悪化。
私の家の前でも警察隊が催涙弾が放ち、デモ隊が火炎瓶で応戦し、混沌とした状況でした。
危険なため家から出れないことや、目の前で催涙弾が煙を上げること、そして催涙弾の残滓を受けて目が痛くなったり咳が出ることもありました。

この時期から香港への観光客が減り、街の活気が少し失われたように感じます。
いつも混んでいたお店でもすんなり入れたり、予定されていたイベントが中止になったり。
友人に「遊びに来て」と言いづらくなってしまったのも残念です。

時間はかかりましたが、その後に法案が撤回され、さらには国民選挙で民衆派が大勝したこともあり、デモの流れはようやく下火に。
ようやく街にも活気が戻りだした…と感じていた矢先に、やってきたのが今回の新型コロナウイルスです。

この影響は世界中で現在も続いており、今後どのように収束していくのかはまだわかりません。

たった1年半程度の期間でしたが、大きな変化がたくさん起きており、いかに変化に対応することが大切なのかを考えさせられます。

価値観の違い

香港には、香港人や中国人以外にも、アジア・欧米、他にも様々な国から人が集まってきています。

生まれた国、住む環境が違えば価値観はまったく異なります。

車がきてなければ信号が赤でも道を横切ったり、信号がない場所を横切る行為。香港ではその行為をよく見かけます。
(この行動は英語で jaywalking と言います。)
運転手もそういう人がいたらスピードを落として通してあげたりします。
(聞くと、香港でも法律的には違法らしいです。)

公共交通機関の中で、大声で通話してる人もいます。
車内では多くの人がカバンを背負ったままです。
日本だと周囲の目が気になることも、海外だと普通だったり。

食事をする時に、咀嚼音を轟かせて食べる人も多いです。
他にもジムなどで共用の道具を使ったあとケアしない、などなど。

日本の感覚のままでいると、ストレスが溜まることも多いかと思います。
ですが、ここは日本ではありません。
いろんな価値観がある、と受け入れることが大事なのだと感じました。

また同僚との会話の中で、政治や宗教、自国の話をすることも。
日本は、特に政治や宗教はタブーとされる話題です。
タブーとされるあまり知らないままでいました。
同僚たちは、自国がこのような方向に向かって欲しい、という意思をちゃんと持っています。自分がいかに勉強不足だったのかを思い知りました。

英語が話せるだけではグローバルに生きていくことはできないと感じます。
相手の価値観を理解し、自分の価値観を言葉にすることができること。
そして他国への理解、自国の理解。これらの大切さを学びました。

私が感じた日本の良さ

他の国で生活してみると、それまで見えていなかった日本の良さを感じることができます。

例えば、トイレ事情。
日本のトイレは本当にきれいです。しかもただきれいというだけではなく、日本だとどこにいても比較的容易にトイレを見つけることができます。
この安心感は、本当に素晴らしいと思います。
急激に催した時、周囲にトイレが見つからないというのは本当に恐怖です。

日本は、サービスのクオリティも高いと感じます。
日本にはチップ文化がありませんが、チェーン店のバイトの人でも、しっかりとした接客をしてくれます。
少し値の張る老舗旅館のおもてなしに至っては、心打たれるレベルでした。

こういった安心感や質の高さは、職人気質な国民性からきているのではないかと思います。

仕事でも、自ずから責任感を持って動いている人が多く見られます。
私の周辺では「仕事をやり遂げる」という意思を持った人が多いです。

外から日本を見ると、日本にいた時には見えなかった日本の良さが見えてきます。以前よりも日本のことが好きになったという実感があります。

私が感じた日本の課題

一方で、諸外国と比べると課題も見えてきます。

海外では Uber などのサービスが使えますが、日本では規制が厳しくまだ導入されていません。
言葉が使えなくても、目的地までたどり着けるこれらのサービスは、外国人にとって本当に便利です。
タクシー業界から反発があるのかもしれませんが、既得権益に忖度しすぎていてはイノベーションは起こせないと感じます。

そんな私ですが、香港での移動はほぼ公共交通機関かタクシーです。
圧倒的に安いからです。
香港と比べてしまうと、日本のタクシーはちょっと高すぎます。

公共交通機関もたまに全然こなかったり、日本ほど時間厳守ではありません。ですが香港の生活自体がそれほど時間に追われることがないため、慣れてしまえばどうということはなしです。

日本はルールやマナーに対して、他人の目が厳しすぎるように感じます。
どの会社もだいたい同じ時間帯に出勤時間を定めているため、朝のラッシュアワーが地獄と化したり、マナーの名の下に他人の行動を非難したり。
海外生活を経験してしまうと、息苦しさを感じる場面もあります。

私は、香港と日本でそれぞれ異なった働き方を経験しました。
どちらにも良い部分はありましたし、ビジネスによって合う・合わないもあると思います。
個人的には、日本の働き方に関して、もう少し海外の柔軟性が加われば良いな、と感じています。

自身の変化

最後は自分自身の変化について。

ポジティブな性格ではありますが、もともとの思考回路はややコンサバティブ寄りでした。
ですが海外に来て、良い意味でアグレッシブな部分も増えたと感じます。

変化にも積極的に対応できるようになりました。
デモやコロナウイルスなど、目まぐるしく環境が変化しました。その際、主体的に新鮮な情報(広東語や英語の記事)を収集し、日本人コミュニティ内にシェアするなどして共有、安全確保に努めました。

プライベートの時間の使い方も上手くなったと感じます。
平日は、なるべく友人を誘って夕食をとり、朝や夜は自己研鑽の時間を確保してスキルアップに努めました。
週末は山に登ったり、積極的に外に出てアクティビティを楽んでいます。

教養として専門以外のことについても学ぶようになりました。
日本の歴史や文学、世界の歴史など、まだまだ知らないことは多いです。

そして自分の知識・経験を積極的にアウトプットするようになりました。
私の知識なんて、腰を据えて学べばすぐにわかるものばかりです。
知識を隠すのではなく、誰かに伝えることによって自分も次のステージに成長していきたいと考えるようになりました。

おわりに

海外は、言葉も環境も文化も価値観も異なります。
日本は島国で、日本人の割合が高く、日本中どこに行っても言葉が通じて、インフラも発達しているので生活は快適でした。

しかし海外で働いてみて感じることは「これからも、もっと外の世界で働いてみたい」ということです。

海外には日本にはない選択肢があります。
日本ではできない経験ができます。

一方で、日本にしかない選択肢はいつでも選べます。

いつかは日本に戻り、海外で学んだことを日本に還元していきたいと考えています。
ですが、今は外の世界に触れていたい、というのが率直な気持ちです。

私のようなドメスティックな人間でも、海外で生活してみるといろんな学びがありました。
もし興味があるのなら、思い切って海外に飛び出てみてはいかがでしょうか?

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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