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あいまいなもの⑤―アジャン・チャーのマインドフルネスにまつわる講話

これからご紹介するのは、20世紀にタイのみならず、西洋でも大変尊敬され、瞑想の名師であったアジャン・チャーの名で親しまれてきた(アジャンはタイ語で先生の意)、プラ・ボディニャナテーラ師の講話です。アメリカ人の僧侶であるタニサロ比丘が翻訳し、無料冊子に収められているものです。以前ワット・ナナチャートでいただいたものなのですが、仏教の知識がなくても大変わかりやすく面白い内容でしたので、抜粋して日本語翻訳いたします。アジャン・チャーのシンプルで深い洞察、アジャン・タニサロの繊細な言葉えらび、ふたりの素敵なエッセンスが伺える短くも奥行のある一冊です。
(著作権)Not for Sure, Venerable Ajarn Chah, translated from the Thai by Thanissaro Bhikkhu for free distribution, copyright © 2007 The Sangha, Wat Pha Nanachat, Warin Chamraab, Ubon Ratchathani 34310, Thailand

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ダンマとはそういうものだよ。ものごとの共通性を例に話すしかないんだ。なぜかというと、ダンマそのものは何もないからだ。丸くもなければ、角もない。そういうこをいくら比べてみたって、ダンマが何かは解らない。そういうことが解っていれば、ダンマを理解することができる。

ダンマがなにか自分から遠くはなれたものだと思わなくていい。ダンマはあなたのそばにいつもあるものだ。ダンマとはあなたそのものだ。みてごらん、今しあわせだったかと思えば、次の瞬間悲しくなったり、充実しているかと思えば、突然誰かに対して怒りがやってきて、誰かを憎いと思ったりする。これがダンマだ。

自分をみつめてごらん。どこから苦しみが生まれてくるんだい?なにか発端になる行動があるからこそ、苦しみが生まれるんだ。だからその始まりのところまで、巻き戻してごらん。巻き戻して取り消すんだ。今まであなたは、そこをしっかり見てこなかったんだ。発端さえはっきり解れば、原因が取り除かれて苦しみは生まれない。一度その原因を取り消してしまえば、結果が生まれるコンディションも消滅する。もしそれでも苦しいのであれば、それはあなたが原因が何かきちんとわかっていないからだ。そうすると我慢しなければいけない。でもそれだと何かが違っている。お先真っ暗だと思ったり、苦しみに耐えがたいというならば、それは単純にあなたが何か間違っているからだ。反対にしあわせすぎると、今度はあなたのマインドは腫れあがっていく…ほら!また間違ってる!どちらでも構わないから、その状況を観察してごらん。

もしそういった風に練習できれば、立っていても、歩いていても、座っていても、横になっていても、あっちに行ったり、こっちに行ったり、何をしていても、あなたはいつでもマインドフル(サティの状態)でいられる。あなたがそうやってマインドフルで、いつも何が起こっているかに気づいていれば、何が間違っているのかが解る。そしてしあわせとは何か、苦しみとはなにかが解る。それが何か解っていれば、苦しみの原因を消去することは簡単なんだよ!そうやってあなたは苦しみが生まれないようにすることができるんだよ。

四聖諦(苦・集・滅・道)に、因果(パティッチャ・サムパダ)がはっきりと組合さってストーリーが展開されています。苦・集・滅がどうやって起こるのか、『道』=そのやり方を、はじめて話を聞く人でもわかるように、明確に示してくれています。

わたしのところに修行をしに来る人はね、集中とはこういうことだと解っている。そして座って瞑想するときは、もちろん座ったらいい。座ることだって鍛錬しなければいけない。別にそれが間違いということじゃない。ただそれだけじゃないってことだ。あなたは自分のマインドをあらゆる状況でも対応できるように試さなければいけない。どういう対応をしたらいいと思う?何をどういう風に対応すればいい?『ああこれは非永続的(無常=アニッチャ)で、ストレスなもの(苦=ドゥッカ)で、実体のない(無我=アナタ)ものなんだな、ということを洞察できるといいってことだ。すべてがあいまいで、不確かなものだってことをね。

言わせてもらうと、『なんて素敵なんだ!好きでたまらない!』ってことも、『全然ピンとこない』ってことも、あいまいで、不確かだってことだよ。そうだろう?絶対に。間違いない。でもみてごらん、そんな傍から『今度はこれを絶対に間違いなく手に入れるんだ』と思って、脱線する。気をつけなさい、どんなに気に入ったものがあっても、それが実体のないものだっていう洞察を忘れてはいけないよ。

食べ物を食べるときでも『わあ、おいしい!これ好きだな。』ということは勝手に起こる。そうしたときにあなたはすぐに『これもあいまいなもの』と洞察するんだよ。それがどれだけあいまいなものか、試してみたいかい?じゃああなたの大好きな食べ物を毎日続けて食べてみるといい。食べ続けてみるんだ。するとある日、『前みたいにおいしく感じないなあ』ということになる。それで、『あれの方がおいしいし、好きかもしれない。』と思う。でもそれもまたあいまいなものなんだよ。すべてのものごとは一つの状態から次の状態に変化しなくてはならない、呼吸みたいにね。息を吸って吐くから生きているように、変化があるから存在できるんだ。すべてのものごとは変化の上に成り立っているんだよ。

これは紛れもなく、どこかで起こっているのではなくて、自分の中で起こっている。これが腑に落ちていれば、穏やかに座っていることができるんだよ。立っていても同じことだ。瞑想はただ座っているだけでは起こらないんだよ。時々、感覚が麻痺するまで座ろうとする人がいるけれども、それだと死んでるのと変わらない。方角も判らないような状態でどうする?もし眠くなったら歩きなさい。姿勢を変えなさい。そうして内観できる状態でいなさい。眠くて仕方がないのであれば、横になって休みなさい。そして充分に休んだら、すぐに起き上がって観察を続ける努力をしなさい。休んでいる心地良さの中にずっと浸っていてはダメだよ。本当に瞑想したいんだったら、そうありなさい。何をするにもしっかりと動機を持ちなさい。洞察力と微細な感覚を培いなさい。鈍感ではなにもできない。ものごとの一面だけを見ているようじゃ瞑想にならない。ものごとが微細に変化する、すべてのサイクルを見極めなさい。

外を見るんじゃない。自分の中にある、自分の心と、自分の体の非永続性(アニッチャ)を知ることからはじめなさい。体も心もどちらもあいまいなものだ。それは他のすべてのものにも当てはまる。すべてあいまいなものだ。おいしいものを食べたときに、これを思い出しなさい。『この感覚はあいまいなものだ!』と。自分の好きっていう感覚にパンチを食らわすようにね。好きが沸き上がるたびに『あいまいだ!』ってパンチを食らわす。でも普通は反対に、そういった感覚からパンチされることの方が多いよね。好きじゃないものがあると、イヤだって感覚からパンチを食らう、そして痛みを感じるんだ。『あの人が自分のこと好きだったら、自分もあの人が好き』とかね、どんどんパンチが来る。別にあなたがパンチを繰り出しているわけではないだろ?どこからパンチが来ているのかを、解っていないといけない。好きだとか、嫌いだとかが沸き起こるたびに『これもあいまいだ』『あれもあいまいだ』って自分に言い聞かせるんだ。そうすると必ずダンマが見えてくる。そういうものだ。

だから座るだけでなく、立ったり、歩いたり、横になったり、すべての状態を練習しなさい。怒りはどんな状態の時でも沸き上がってくるものだろう?座っていても、立っていても、歩いていても、横になっても怒りは感じることができるものだ。横になっているときに、あれがしたいと思うかもしれない。でもそれは、歩いていても、座っていても起こりうる。ということは、すべての状態で、継続して練習しなければいけないってことだ。そこに何かを制限するものはない。それで智慧が育っていくんだよ。

マインドを鎮めようとあなたが座ったとたん、問題が浮上する。その問題が終わる前に、また別のことが浮上する。それが始まったらすぐに、それからパンチを食らう前に、あなたがパンチを食らわすんだよ。『これもすべてあいまいだ』ってね。

そこが弱点だってことを知りなさい。『すべてがあいまいなものである』ということをあなたが知っていれば、心とはどういうものなのか、その正体を少しづつ、少しづつ顕しはじめる。あなたがあいまいだということが確かであることを目にしてきたからね。あなたがそのあいまいさを確信すればするほど、心の中でたくさんのことが起こっていても、それらがすべて同じ性質であるということが解るからね。あとになって振り返ってみても、やっぱり同じ性質だってことが解るだろう。

水が流れているのを見たことがあるだろう?水面が止まっているように見えるときもあるだろう?穏やかなマインドというのはそれだよ!水面が止まっているように見える水の流れみたいなもんだ。今までのあなたには、流れている水か、止まっている水かの二択のアイデアしかなかった。それは止まっているようで流れている水を見たことがないのと同じだ。マインドもそれと同じだけれども、見たことがないから想像できないだろう?でも内観を培うことで解るようになってくる。マインドに目を向けると、それは流れる水のようであり、止まっているようでもあるんだ。反対に止まっているようで、流れているんだ。マインドとはそういう状態のものだってことが解ると、内観ができるようになる。

つづく↓↓↓


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