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自己紹介 ダルマダースになった時のこと

2002年の5月だったと思います。バラナシのヴィシュヴァナート寺院近くの「アウム・ロッジ Om Lodge」に、長期滞在を前提に一部屋借りて住み始めました。毎朝日の出前、ガート沿いを20分ほど歩いて「シュリ・ガウリ・ケダレシュワル寺院(श्री गौरी केदारेश्वर मंदिर)」に行き、内陣の柱を背中にして座り、サンスクリット語の祈りの詠唱を1時間くらい(練習)しました。戻る途中、南インドスナック屋さんで「イドリ・サンバル」を朝食にし、またぶらぶらとガート沿いを散歩する日々を送っておりました。

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ある日、ぶらぶらと歩いて、焼き場のある「マニカルニカ・ガート」も通り過ぎ、広いシンディア・ガートまで行き、チャプチャプ、ガンジス河の波の音が聞こえる所で眼を閉じて静かに座っていますと、行き交う人々の喧騒の中から、なんだか、シヴァ神のマントラが風に乗って聞こえてくるなあ、という気分が満ちてきました。周りには水行する人たちがいて、水飛沫がかかったりしておりましたが、構わず座っていると、すぐ隣にどなたか座ったように感じました。その人は私の服をチョンチョン突っつきます。えぇっ、何?と思いましたが、その人の何か持物が当たっただけかもしれないと思い、そのままにしていると、「サドゥ・ババ・ジー」と明らかにこちらに向かって呼びかけて来ました。「うム?何?」と振り向くと、長ーい髪の毛を頭で結んだおじさんが、じっとこちらを向いております。

その人は「あんた、毎日、ケダレシュワル寺院で詠唱してるやろ」と言いながら、私の詠唱している句を唱え始めました。「あの中に、何か秘密のマントラがあるようだが」と言います。実は、ヒンドゥ教の寺院ですが、梵語の般若心経や法華經を詠唱したり、いろいろ混ぜてやっていましたので、聞きなれない文言に興味を持ったようです。何を唱えても構わないんだよ、と言いながら、「しかし、問題がある、順番が良くない」と急に迫ってきました。話し方が丁寧だし、r(爪弾き音)や śa,ṣa,sa の発音がきれいだったので、受け答えをいろいろしました。<何のために、練習しているんだね>なんて尋ねてはきませんでしたが、「マントラの詠唱は、クルジャー・シム・シムだから、扉が開いたら、中に入らなきゃ」と言ってきました。「クルジャー・シム・シム(開けゴマ)ですか」と復唱すると、明日も会おう、とその日は終わりました。

翌日から、早朝のルーチーンの最後がシンディア・ガートになり、その人に会って「扉を開けて、中に入る」ことについて、いろいろと指導を受けました。

相当日にちが経ってから、名前を尋ねると、にやりと笑って「ア・ナーム」でいいよと答え、あなたに名前を授けようと言い「ダルマ・ラージはどうだ」と言われました。「ユディシュティル युधिष्ठिर の名前ですか、ダルマ(法)のラージ(王)はね、ちょっと凄すぎるね」と躊躇すると、「じゃあ、ダースはどうだい」とかぶせて来ます。ダルマラージは、マハバーラタの中に出てくる、パーンディア王家の長男ユディシュティル王子の尊称。そんな名前もらったら、大変ですよね。ダース दास は、奴隷、世話人、奉仕者という意味なので、「ダルマ・ダース धर्म दास(法の奉仕者)」だったらぴったりかな、と思い、受け入れました。

「ア・ナーム」とは、名前(ナーム)がない(ア)という意味で、それはその人が自分の名前を言いたくないという意味ではあるけれど、その後、指導を受け入れていくうちに、そもそも「物事の名称」を否定するという哲学の持ち主でした。物事に名称を与えると、必ず「名前、名称」に頼って、事物の本体を観る事がなくなり、それ故に錯覚を起こして、真理には辿り着かない、名称を捨てろ、「ことばは、形容詞か副詞しかない」と言っておりました。時が経てば、物事はどんどん変化していきますから、たしかに、名付けた時の状態そのままではないですよね。

「扉を開けて、中に入る」とは、マントラを詠唱し、その意図する世界に立ち入って、瞑想を展開するということです。その後4カ月ほど、毎日のルーチンの中で指導を受けたのは『シャイヴァ・ウパーサナ』という瞑想法で、それは、シヴァ的な世界観を瞑想の中で構築していく、有象(有相)瞑想でした。

不思議なのは、私は「指導を受けて、習っていた」んだけど、それは、私の意図ではなく、私はただ受け入れていったんですよね。実にアナームババは不思議な人でした。何しろすべてが一方的だったんですが、それでもすごく自然な、その時のバラナシの一風景として、私とアナームババはそこで会合して(出会って)おりました。ちょうどぴったり教えたがっている人がいて、ちょうどぴったり習いたがっている人がいて、意欲(生命)と時間と場所がぴったり一致した、という事だったんでしょう。
「いた、〜でした」という過去形でここに書いているのは、残念ながら、1年半後くらいからはお会いすることはなくなってしまいました。バラナシに行く度にガート沿いをウロウロするんですが、なにしろ「ア・ナームさん(名前がない人)」ですから、捜しようもなく、今に至っております。

「ア・ナーム・ババ」という名前、日本語に訳せば「名前のない人」ですが、実は「名付けようがない人」というのが、日本語としてはより良い表現ではないかと、思い至るようになりました。「名前、名称」という枠にはまらない、常にその時その場所で、唯一無二であることを求めている人、ただ、そこに在り、もうそこにない、そんな人という意味なんでしょうかね。

そんな「ア・ナーム・ババ」に ”名前” をいただいた「ダルマダース」です。ですので、突然立ち現れ、そしていつの間にかいなくなる、そんな伝統を受け継いでいくのかもしれません。

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普通の自己紹介は下記を参照ください
自己紹介 簡潔版 https://note.com/dharmadas/n/n85c3639d40dd

日本/東南アジア/インドを彷徨するノマド型僧侶[修行者]。人生前半の回想録を書いています。出会った人々、出会った書物、得難い知識、生きる技など、思い出したら直ぐに、ここに書き置きいたします。