Dharmadas聖河微笑

靄ゆとう 聖河の岸辺 鐘の音も 薪の匂いも 波頭に映える 陽光に 包まれて 響きの内に…

Dharmadas聖河微笑

靄ゆとう 聖河の岸辺 鐘の音も 薪の匂いも 波頭に映える 陽光に 包まれて 響きの内に 静かに座る 賢者の眼差し  拈りし華の 微笑みが 私を観じ 穏やかに 過去尽未来際 立ち昇る 煙となって 宙宇に咲く

最近の記事

ヒンディー語講座 2022初夏

デーヴァナーガリ文字を学んだ方から、次にヒンディー語を学びたいという声が聞こえてきておりますので、5月中旬から週1回のペースでヒンディー語講座「初級編」を開講いたします。 言葉の習得には「発音」「文字」「単語」「文法/語法」「慣用」「運用」「継続/熟練」の7つのステップがあります。 ヒンディー語講座「初級編」では「文法/語法」「実践・運用」を目指す内容になります。自分の人生の中に「インド」を取り込んで行くツールとしてのヒンディー語力の習得を目指します。 日本語の「五十音

    • デーヴァナーガリ文字講座 2022春

      2022年春(4月・5月・6月) Zoomを通して、デーヴァナーガリ文字を学ぶ講座を開講します 言葉を学ぶには「発音」「文字」「単語」「文法/語法」「慣用」「運用」「継続/熟練」の7つのステップがあります。 デーヴァナーガリ文字は非常にシンプルな形(描線)をしていて、個々の文字は、口の形や舌の位置などに対応した体系でまとめられており、「発音」と「文字」がほぼ一致している優れた文字体系です。 インド亜大陸では、ヒンディ語、サンスクリット語、パーリ語、ネパール語、ネワール語、マ

      • 和洋天漢 祭礼暦 冬から春へ

        和 日本の伝統的祭礼、日本佛教、日蓮宗の祭礼行事 天(天竺) 北インド・ヴィクラムサンバット暦による祭礼行事 漢(漢字文化圏) 中華暦による祭礼行事   を、 洋(西洋一神教世界) グレゴリオ暦 を方眼紙にして、一堂に記述します。 グレゴリオ暦とその元になったユリウス暦、一神教のキリスト教やイスラム教の祭礼行事は、(今のところ)書き込んでありません。しかし、マレーシアはイスラム教国ですし、インドでもイスラム教の祭礼行事は、日常生活に大きな影響がありますので、カレンダーに書き

        • 自己紹介 ダルマダースになった時のこと

          2002年の5月だったと思います。バラナシのヴィシュヴァナート寺院近くの「アウム・ロッジ Om Lodge」に、長期滞在を前提に一部屋借りて住み始めました。毎朝日の出前、ガート沿いを20分ほど歩いて「シュリ・ガウリ・ケダレシュワル寺院(श्री गौरी केदारेश्वर मंदिर)」に行き、内陣の柱を背中にして座り、サンスクリット語の祈りの詠唱を1時間くらい(練習)しました。戻る途中、南インドスナック屋さんで「イドリ・サンバル」を朝食にし、またぶらぶらとガート沿いを散

        ヒンディー語講座 2022初夏

          写真家石川武志作品「Naked City Varanasi」

          写真家の石川武志さんが、バラナシの写真集「Naked City Varanasi」を出版されました。石川さんとの出会いは、おそらく2001年にアラハバード(現在名、プラヤーグ・ラージ)市のサンガムで開催された「クンブ・メーラー」の時だったと思います。 「クンブ・メーラー」とは、不死の妙薬「アムリタ」をめぐって、インドの神々(デーヴァ)が魔神(アスラ)と争っていた時代、妙薬アムリタが4滴、地上に落下してしまいました。その落ちた四つの場所(=プラヤーグ、ハリドワール、ナーシ

          写真家石川武志作品「Naked City Varanasi」

          インドとの出会い

          音楽がきっかけ おじいちゃんがクラシックファンで、母も音楽好きで、私にピアノを習わせたのが、音楽との出会いです。私はピアノは好きでなくそのうち止めてしまい、中学校に入学するとブラスバンド部に入って、フルートを演奏していました。筑波大学に入学すると、ヨーロッパの古楽を楽しむ「ブロックフレーテ同好会」に入会し、リコーダー(ブロックフレーテ)の合奏や合唱に没頭する日々を過ごしました。大学院生になった時、林田さんという会の先輩がネパールに太鼓の買い付けに行くというので同行しました。

          インドとの出会い

          自己紹介01 簡略版

          伊藤顯允(いとうけんいん):日蓮宗国際布教師 自己紹介01 簡略版 1962年岐阜県土岐市生まれ、筑波大学社会工学類「社会経済計画専攻」卒業、筑波大学大学院芸術学研究科「環境デザインコース」修士修了・博士課程中途退学。 1989年インド政府奨学金留学生としてインド・カルカッタ大学古代インド文化史学部大学院博士コース入学、テーマは「インドの石造建造物(主にヒンドゥ寺院)の研究」、1992年アラハバード大学ヒンディー語学科ディプロマコース転入学、1994年インド国立タゴール

          自己紹介01 簡略版

          自己紹介02 経済

          社会工学類社会経済計画専攻 高校時代、数学と社会(地理と世界史)が得意だったので、筑波大学社会工学類に入学しました。教育カリキュラムは、経済学を基本に、政策提言や企業の経営計画立案、都市計画など、実践的に社会とかかわる手法を学ぶものでした。私は特に、統計学、社会調査、計量経済学、記号論マーケッティングに興味を持ちました。 社会工学類の中で、私の専攻した「社会経済計画専攻」は、元々、1960年代の「高度経済成長、日本列島改造」を主導した経済企画庁のお役人さん達の天下り先でし

          自己紹介02 経済

          680日経ちました

          2020年3月17日、シンガポールからマレーシアに一旦入り、深夜便で脱出。翌18日、成田空港に到着。以来今日(2022年1月27日)まで、680日=1か年+10か月+9日間、ずっと日本に滞在しております。こんなにずっと日本に滞在し続けるのは、1987年以来のこと、33年ぶりです。思い返すと「ノマディック nomadic 遊牧民、放浪者的な」人生を送ろうと思ったわけではないけれど、1988年に留学しインドに魅了されて以来、ずっと海外での生活を主にしておりました。いま、現状に異議

          680日経ちました