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「高校生シリコンバレー派遣留学プログラム~ワールド寺子屋~」  Day4:学校、研究員インタビュー

 2024年3月16日~25日は10年後か、20年後か、はたまた50年後かに私の人生の転換点として認識されることだろう。私は早稲田大学とNPO法人EdFutureが企画、運営する「高校生シリコンバレー派遣留学プログラム~ワールド寺子屋~」に参加した。これは私が初めて異国の地を踏み、風を感じ、変容していく過程を記した随想録である。自己の観察は殊に重要であるが、概して他者からの視点とは大きく異なるものである。故に、いずれ訪れる人生の節目で、岩に断たれる水となることを厭わない、そんな心構えの一助になればわざわざ振り返った意味もあるというものだ。プログラムの主旨については以下のサイトを参考にされたい(初回の記事より引用)。

今日の朝食

 今日は昨晩アラームをかけていたおかげで6時30分に起床する(日本時間では14時30分)。日本では「明日は何時に起きる」と念じるだけでその時間ぴったりに起きられるのだから、みえない時差ぼけがあるのだろう(私の自宅の寝室が和室で障子から光が差し込むのも要因の一つかもしれないが)。ちなみに参加者の一人はアメリカに来てから毎日分数1桁まで同じ時間に起きるという現象が発生していた。ともかく、自室で作業し、ホストファミリーが起床したころを見計らって寝室をでた。本日の朝食は写真の通り。甘いものとフルーツに目がない私にとってはうれしいメニューである。ただ、日本人としてカリカリになるまで揚げたベーコンは胃が驚かざるを得ないようだ。緑茶がうれしく、毎朝ティーポットいっぱいに用意してくれる。

自転車で学校へ向かう

 8時20分ぐらいに家を出て学校に向かう。カリフォルニア州では17歳から車を運転でき、バディは普段自動車で登校するそうなのだが、本プログラムでは「バディの運転する車に乗ってはならない」という規則がある(お互いにその方がいいから)ため、自転車でむかう。前にも述べたが自転車に乗る際にはヘルメットの着用が義務付けられている。アメリカではロードバイクの形状のものが多く、いわゆるママチャリの様なものはあまり見かけない。セミアップハンドルの自転車は目算で30台に1台といったところだろうか。買い物などには車をつかうから、運動用が多いのだろう。

街並み

自転車で通った街並みである。20分ほどの道のりではあったが、大通りや住宅街、ポニーの牧場、広場、公園などが存在した。このエリアは、詳しくは知らないが広い家は建てることができないらしく、アメリカにしては小さいらしい。しかしかといって二階建てにするような工夫は見られないし、庭のない家も見かけなかった。道路は滑らかに舗装され、日本のように少し材質が変わるということもない。境界ブロックは日本よりも穏やかな印象を受けた。アメリカの左側運転にはやはり慣れない。

高校の自転車置き場

高校に到着。来るのは早くも3回目である。この写真は駐輪場だが、この場所だけではない。生徒たちはU字型の固定場所にロックする。右手に見えるのは自動車通学している生徒のための駐車場所である。駐輪場と駐車場の面積だけでも学校が1つ建てられるほどの広さがある。駐車場の入り口には警備もいる。思っていたよりもバック駐車の車が多い。日本ではまず見られない土地の使い方である。時間になればほとんどすべての場所が使用される。自転車で通学しているか自動車かでその生徒の学年がある程度わかる。生徒の服装はもちろん私服であるが、女子は日本よりも露出が多めである。ただし、すべての人がというわけではなくきっちり固めた服装の人もいる。男子はおしゃれだと思う人も多いが、割合的には日本人よりも見てくれを身にしていない人が多い気がする。バディは友達に会うと必ず「Hey, ~(Name)」とあいさつをして胸の前で手を取り合っていた。女子生徒はあまりそのような挨拶をしているようには見えなかった。男子と女子の人間性の傾向の違いはアメリカでも同じようだ。アメリカでは生徒によってクラス(授業)がまるで違うため、各自が自分の教室に移動する。チャイムが緊急時のサイレンのように聞こえて落ち着かない。


アメリカ史の教室の様子

 私はバディと一緒に行動していたのだが、一限目はアメリカ史であった。授業時間は日によっても違うがこの日は45分。アメリカ史の教室には天井に世界各国の国旗が張られていた。壁には地図などが存在した。先生の机に、日光三猿の置物(黒)があったので話してみたところ、どうやらネパールからのもののようだった。見るからに日光のものだったので謎である。三猿は仏教などと関連しているのだろうか。机といすは合体してたため、座りにくく、変に座ると机が動いてしまった。この日は最初に15分ほどのミニテストが行われた。生徒は壁にあるスマホ入れにスマホを預けていた。私も軽くテストを受けてみたのだが、すごく難しいというものではなかった。もちろん日本ではアメリカ史という科目はないが、ほとんどの問題を解答することができた(高校受験の際の塾での世界史レヴェル)。最後に気づいたのだが、どうやら問題用紙には書き込んではいけなかったらしい。悪いことをした。私は部外者なので一人で受けたのだが、生徒は2人1組でテストを受けていた。日本ではとても考えられないことである。話し合いによって知識をすり合わせていくのだろうか。この組み合わせは生徒がはやいもの勝ちで決めていて、成績が良いと思われる人が人気だった。人種によって分かれるということはなく、男女のペアもごく普通に見られた。テストはそのまま回収された。その後は授業が行われた。生徒たちは自習をしてきたようで、覚えてきたワードを年代順に黒板で分けるというないようだった。これは4、5人のグループに分かれて、代表者が書きに行くという感じだった。間違えてしまっている班もあったが、先生も明るく、「違うよー」というような感じで、生徒たちも先生に話しかけるとき「Mr」等の敬称を付けていなかった。2限目は「living skill」だった。日本でいう道徳のような授業だ。この授業では参加をゆるされず、わきで見ているだけだった。内容もほとんど入ってこなかったがグループワークや発表が中心だった。生徒に尋ねると「この授業は必要がない。わかりきっていることだけ。」と口をそろえて言っていた。授業時間の間に一度休憩があったが、皆外に出て話したりしていた。日本のようにスマホをいじっているという人はいなかった。


演劇クラブの様子

 その後はランチだった。私はバディの所属する演劇クラブの練習が昼休みにあったので、その場所に行って食べた。有名な話ではあるが、日本のように弁当箱を持っている生徒はおらず、茶色い紙袋にサンドウィッチ、フルーツなどだった。私はサンドイッチ(ピーナッツバターのようなもの)とパックに入った剥きミカン、お菓子一袋だった。バディも飲み物を飲んでいる様子がなく、自動販売機にも炭酸飲料しか売っていなかったので、日中は水分なしで過ごすことになった。演劇クラブは精力的に活動していた。ほとんどの生徒が集まり、即興の演劇を行っていた。演劇クラブは役者と裏方の人がいるが、裏方の人も楽しそうに応援していた。裏方の人に話を聞くと、学校の敷地内にプレハブの様なものを立てることを計画していた。発想の自由さとそれが実現できる環境の良さを実感した。そしてどんな人にも自分の構想を離すことができるという羨ましさも。

 

振り返り

 13時より、プログラムの参加者で集まって振り返りを行った。皆楽しんでいるようで何よりである。振り返りでは参加者同士での体験の共有とスタッフからの連絡、ビデオインタビュー(録画)などを行った。同じ場所に来ていても参加者の目的意識の違いによって、体験もまったく異なり、面白い。振り返りは大切であるが、貴重なアメリカでの時間の内、約2時間を費やしてしまう。この間バディは別行動で授業を受けていた(バディは演劇の授業)。

 次の時間は言語学だった。日本でいう国語である(日本人にとっては英語の授業)。最初に暗記してきた英単語のテストが行われた。テストと言っても中心で円になって手をたたきながら先生が意味をいって対応する単語を一人ずつ答えていくというものだ。分からないと笑われてしまう(嘲笑ではない)。ほとんどの生徒がクリアしていた。アメリカ人が勉強する英単語なだけあって、ほとんどが知らないものであった。英検一級を持っている参加者も半分程度は分からないと言っていた。その後は英文学の本をみんなで読んでいた。著作名は忘れてしまったが、古典的な作品だった(シェイクスピアだったかな?)。シェイクスピアのものだから内容も難解そうだった。これで今日の授業は終了である。

 

井口さんと


その後、バディと参加者のMとともに自転車でスタンフォード大学へ向かった。自宅から最寄り駅までの自転車はあまり好きではないが、スタンフォード大学までの道のりは、アップダウンも多いが、自然が多いので気持ちがよい。スタンフォード大学に来たのは日本人研究員の井口雄介さんの研究室を訪問するためである。このアポを取ってくれた参加者のHと合流して研究室へ向かった。棟はすぐにわかったのだが、入り口をなかなか見つけられず、ぎりぎりの時間に到着。何とか間に合って僥倖であった。この方は超電導などを専門としているが、別の顔としてスタンフォード大学内の日本人会といえるJASSの創設者でもある。部屋にてスライドを使って研究などをご紹介いただいた後、研究室を見学させていただいた。

超電導を計測する機器

 この写真が世界でも数えるほどしかないという超電導を計測する機器である。日本国内には存在しない。失礼な言い方ではあるが、教授ではない一研究者がこのような危機を使用できているというところに日本との差を感じた。民間の富豪などからの寄付が日本と比べてとても多いと聞いた。集めた資金を大学が資産運用してさらに増やしているという話も聞く。日本が導入した国際卓越大学(東北大学が選出)と同じような機能が昔から存在するのである。これでは追いつこうにも追いつけない。

 18時ごろに帰宅し、ホストファミリ―と夜ご飯を食べた。ホストファザーは明日からハワイの学会に向かう。ゴルフクラブとアロハシャツを用意していて、日本人は憂鬱そうに出張に向かうのに楽しそうであった。実際海水浴なども楽しむらしい。12時頃に就寝。
See you later!

 



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