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酒とコーヒーを飲めない男の末路

私の妻は米処新潟出身で日本酒を中心に酒への造詣が深く、また、コーヒーも専門店で豆を買い自らミルで挽いて淹れる程のこだわりようだ。
一方、私はそのどちらをも大の苦手としている。
酒はアルコール臭がきつくてすぐ悪酔いするし、コーヒーはシンプルに苦すぎて飲めない。

そのため、カフェに行けば、メニュー表の片隅に追いやられて肩身の狭そうな茶やジュースを消去法で注文するし、対照的に妻は豊富な選択肢の中からコーヒーを注文する。居酒屋も然り。
別に不満があるという程ではないが、幸せそうに悩みながらメニューを吟味する妻を見ていると時に羨ましくなることもある。
そして注文したドリンクが運ばれてくると、大抵の店員はコーヒーを持ち私の方を見てくるので「あっ(キョドり)…そっちっす笑」と妻の方へ手をやり、店員は「あっ(察し)はーい笑」とドリンクを置き換えて去っていく。
確かに私はヒゲ面で比較的老け顔ではあるが、それだけでいかにもアルコールやコーヒーを好みそうな奴だと思われてはたまったものではない。
自分でも笑ってしまいそうになるが、ふと「お前が飲むんと違うんかーい!」と内心馬鹿にされているのではないかと被害妄想が湧き起こり、そのたび言い知れぬ敗北感に勝手に打ちのめされている。

ここで私のお子様舌遍歴を振り返ってみる。
大学時代、ゼミのグループワークで近所の商店街のとあるカフェを取材する機会があり、その流れで一杯頂く運びとなった。
しかし、そこではどうやら硬派なメニュー展開をされていたようでコーヒー以外のドリンクが一切なく、まだギリギリ耐えられそうなカフェオレを注文して失礼のないよう気丈に振る舞い飲み干しながら二度と行くものかと心に違った。
サークルでは新歓飲み会で意気揚々とジョッキを手にしたものの、自身の体質がアルコールに向いていないという現実を早々に見せつけられる結果となり夢見る理想のキャンパスライフに影を落とした。
また、新海誠作品『言の葉の庭』に触発されて雨の日に公園で一人チョコとほろよい(ビールは特に苦手なので断念)を嗜むも、空きっ腹にアルコールがよく回ったのか半分程を飲んだところで限界を迎え、帰宅までの我慢も叶わず駅のホームの片隅を汚す失態を演じた。以降「ほろよい半分で吐く男」という汚名は酒の勧めを断る決まり文句として定着することとなる。
その他、職場で缶コーヒーを差し入れされればそっとカバンに突っ込んで帰り妻に横流しするのは日常茶飯事だし、甘いもの好きな割にはあんこも苦手なため同様だ。
キッパリと苦手であることを公言するのも億劫だし、そもそもどうして差し入れの定番にそのような物ばかり蔓延っているのか。つくづく私に都合の悪い世の中である。


もし好んで嗜むことができたならそれに越したこともないが、無理に背伸びして特訓しよう、好きになろうとまでは思わない。
世の中の酒好きやコーヒー好きと同等のラインに位置する趣味と言えば、私の場合はミルクティーがそれに当たるだろう。

ここ最近、カフェやティーショップのミルクティーを飲み比べてはお気に入りを探しているのだが、辺りを見渡せば見渡すほどコーヒーのそれとは市場規模が明らかに数段小さく足りていない感が否めない。
職場近くの店舗からテイクアウトして昼休憩を優雅に過ごすことも増えたが、それは純粋にハマってリピートしているのが6割、後の4割は店が撤退してしまわないよう「買って応援」の気持ちだ。
都市住みだからまだマシなものの、田舎ではさぞミルクティー難民が人知れず涙を流していることだろう。
酒好きやコーヒー好きには、そうした嗜好飲料マイノリティーたちの屍の上に恵まれた環境が築かれていることを噛み締めて幸せを享受していただきたいものだ。


あと、くれぐれも苦手な人に「これ酒/コーヒーっぽくないから飲んでみて!」と安易に勧めないように。

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