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【和訳】ケリー・ライカート、小津安二郎に関するスクラップブックを披露

2023年11月にLetterboxdを通じてAlicia Haddickが執筆したインタビュー記事「Tokyo Storytelling: Kelly Reichardt presents her Yasujirō Ozu scrapbook at Tokyo Film 2023(東京で物語る:ケリー・ライカート、第36回東京国際映画祭にて自身の小津安二郎スクラップブックを披露)」が公開されました。全文を日本語に訳してみます。

第36回東京国際映画祭の小津安二郎生誕120年記念シンポジウム "SHOULDERS OF GIANTS"に登壇して間もないケリー・ライカート監督が小津映画の珍しいスチールとメモが含まれたスクラップブックを見せてくれた。

「小津は静止していても大丈夫だという安心感を与えてくれます。今ここにいても良いのだという安心感を」ー ケリー・ライカート

東京の映画と文化の中心、銀座のとある会議室で『ファースト・カウ』『ショーイング・アップ』『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』の監督ケリー・ライカートとの話に熱中している。インタビューの前日、ライカートは小津安二郎の作品に関するシンポジウムに参加した。黒沢清監督とジャ・ジャンク―監督と共に、小津の生誕120年を記念して彼の作品で好きなものについて語った。前日の三人の監督による対談の内容とほぼ繋がるような形で、著名な小津の作品と彼が遺したものについて話し合う。

「彼は映像的な言語を扱うのに非常に長けています。他の日本人がそうであるように、登場人物たちは礼儀正しい一方で、撮り方は人物たちの実際の状況を露呈するものになっています」初期のサイレント映画からカラーで撮られたキャリア最後の方の名作たちまで、小津の様々な作品に関するスチールやメモがきれいにまとまったスクラップブックを見せながら、ライカートは述べる。貼り付けられている写真は、単にリビングや職場での会話、あるいは川岸や地方での様子を切り取ったものではない。

ライカートのスクラップブックの一部、『秋日和』の写真を貼り付けた Alicia Haddick撮影

そこには小津の哲学を各作品の文脈に凝縮したメモがいっぱいに書かれていることがある。ライカートは、小津の最期に近い時期に公開された作品の一つであり、寡婦とその娘が結婚への社会的な圧に悩まされる様子を描いた『秋日和』のスチールが載っているページを見せる。スチールにある場面には母娘が登場する。

「他の映画でも数えきれないほどある話ですが、『秋日和』では娘が結婚し、残った母はそれをただ見ているだけなのです。母がこれまでやってきたことや子育てなどに観客は思いを馳せ、実際彼女もその瞬間を味わっています。その後、向かいの物干し竿が映されます。小津はその瞬間に至るまで余白を与え、物干し竿のショットは物語の核心をつくかのように、先の瞬間を強調し認める役割を果たします」

小津について語れば語るほど、ライカートがなぜ監督の生誕を記念するイベントに招待されたのかが分かる。小津安二郎は変化する戦前と戦後の日本社会を背景に、家族における世代間の分裂に焦点を当てることに長けていた。この家族の描き方こそ、カメラの後ろに立つ人々の中で最も尊敬される一人として、死後彼の地位を押し上げるものとなった。彼のゆっくりとした、観察的なスタイルは日々の生活の小さな問題を人類の縮図かつ批判として見るように仕向ける。このとき、人々の欠点はありのままに映される。

多くの人に賞賛され、ヴィム・ヴェンダースやホウ・シャオシェンなどの監督に影響を与えたこの辛抱強い手法の中に、ライカートの作品と似た部分を見つけることは難しくない。小津が日々の生活と普通の人々の中から日本社会を捉えたとしたら、ライカートはごく普通の人々の生活をアメリカ社会の縮図としてゆっくりと捉えている。1800年代を舞台にした『ファースト・カウ』や『ミークス・カットオフ』などを見ても、現代における普通の生活、芸術、労働階級の生活に焦点を当てた『ショーイング・アップ』や『ウェンディ&ルーシー』などを見ても、同様のことが言える。

二人の監督は生まれた時代と地域が違うだけで、自身のいる社会と似た関わり方をしているように感じられる。ライカートがどのように小津の影響を受けたのかを聞くのが自然のことのように思える。「彼は私の次回作において大きな影響を与えることでしょう。彼の作品ばかりを観ているわけですから」と答えながら笑う。彼女はこのイベントの準備過程について語ったばかりである。映画祭の何週か前からスクラップブックを準備しながら16作品、新しいものから始め、その後、映画祭の直前そして映画祭の間に初期のサイレント映画までを観たのだ。

2023年10月27日、小津安二郎生誕120年記念シンポジウム
"SHOULDERS OF GIANTS"でのライカート Alicia Haddick撮影

ライカートはこのイベントで初めて来日することになった。彼女はそれまで日本という国を小津安二郎、黒澤明、溝口健二などの映画を通してしか見ることができなかった。『お早よう』の上映後、彼女はドイツの監督ダグラス・サークの映画との共通点を語った。そして、来日前と日本を訪れている間の両方の時期において、小津の捉え方への意識が日本に住む人々の生活に対するライカートの見方を作り上げた。

「東京の様々な場所で道に迷っていたら小さな横道や電車が過ぎていくのを目にしました。小津の映画で見た場面があちこちに存在していました」とライカートは旅を振り返る。「日本人が細かいことすべてに注意を払う様子が見えました。すべてのことに気が遣われていたり、どんな仕事であれ日本人は最大限の力を発揮しようとしていたり、親子の関係性が見えたりといろんなことに気づきました」

彼女にとってこのような見方は、アメリカ映画での撮り方やフレーミングとは正反対の小津の撮り方から来るものである。廊下や路地の中に小津が見えるようになったのだ。「アメリカ映画においては、机があれば人物は向かい合うように配置されます。小津がいつもやっていたように、机の上にカメラを横に置いて撮るという発想はありませんでした」ライカートは続けて述べる。「彼は、ショット・リバースショットや外側から撮る方法は使わず、特定の人に焦点を当てて、また位置を変えて撮影するので、人物全員がカメラを向いており、視線の一致を気にする必要がないのです」

これは、距離のある第三者の立場から観察するのとは違った視点で場面を見ることと関係しているという。「彼のショットは常に誰かの視点から捉えたものです」とスクラップブック(小津テーマのカンニングペーパー【cheat sheet】と彼女は呼ぶ)のページを返しながら指摘する。「誰かを運ぶ電車とかではない限り、風景を捉えたショットが、誰かが見ているものでないことはほぼありません。男の子が遊んでいる様子を捉えたものであっても、それは母親の視点から捉えられています。場面の初めに働いている妻が映されるとしたら、それはもうすぐ夫にショットが切り替わるからです。風景を映すのは風景だけを映すためにあるわけではないのです。そこには恋しさが含まれています。時間が過ぎていく様子が表現されるのです」

ライカートのスクラップブックから『東京物語』の登場人物たち Alicia Haddick撮影

場面をその中で生きている人々の視点から捉えることは、彼らのありふれた悩みを捉え続けたり、自分の状況や家族の規範の中に置かれた登場人物たちの状況を観客が見直すことを可能にしたりするためには欠かせない。例えば、ライカートはアメリカ人で、小津の映画とは距離があることを認識しているものの、つまり日本社会における規範や文化を本当の意味で理解することはできないと分かっているものの、小津の作品を通して様々な日常が繰り返される様子は伝わるため、彼が批判しようとしていることについてじっくり考えざるを得ないのである。

「日本の文化について十分に理解していないので、(彼が社会規範をどのように取り上げているのかについて)あまり語ることはできません。それでも、彼はルーティーン、日常を見せるのが好きだということは何となく分かります。男性、つまり息子か夫が服を床に脱ぎ捨て、妻が文句を言いながら腰を曲げてそれを拾い上げる様子は、アメリカ人からすればかなり異様な光景です。しかし、すごく自然なことだと思えるように見せています。いつものことだと示している、あるいはその馬鹿馬鹿しさを示しているかのように感じられました」

「日本人と話すほど、小津はそれをいつものことだと示しているように感じられるのですが、何せそのような光景をたくさん見せるものですから、ある意味心の状態がぐちゃぐちゃになっている男性の様子を表現しようとしていたのかもしれません。様々な見方はありますが、はっきりと目につく光景であることには間違いありません」

「最近は自分の授業で(ロベール・)ブレッソンや小津など、フレームを効果的に使い、ゆっくりと時間が流れるようにしようとする人の作品を見せています」ー ケリー・ライカート

小津について語るほど、このような違った見方や技法の話が出てくる。話をしている間、ライカートは常にスクラップブックに目を通しており、シンポジウムの参加者に見せることは叶わなかったものの、中のメモは価値あるものとなった。ライカートは監督であるだけでなく、バード大学で教鞭をとっている。次の学期に学生とこれらのテーマをもっと深めていくことに話題が移る。

小津のスタイルと、戦前から戦後の復興と成長までの時期における彼の日本の見方を取り上げるには妥当ではあるものの、現代の日本とは全く違うため、難しいテーマである。彼女の教える学生の多くが小津の作品を捉える、21世紀のアメリカという時代と場所からも程遠い。なぜなら、今と比べ、ペースを落とした編集をしており、現代のメディアとSNS社会には見られないようなスタイルであるからだ。小津のようにゆっくりとさせることの利点を示すことも難しい。

「最近は授業でブレッソンや小津など、フレームを効果的に使い、ゆっくりと時間が流れるようにしようとする人の作品を見せています」とライカートは述べる。「(学生は)多くの場合、YouTubeなどの0.5秒に一度カットが入るような、とにかく見せることに重点を置いている映像をたくさん見ています。これらの映像は見ている側に自分自身で何かを発見する空間を残すものではありません。負け戦ですよ。インターネットは常に変わっていき、それについていける人たちがいるので。でも必ずしも興味があるから見ているわけではないと思うのです」

昔と監督と今の監督が違うのは、スタイルの問題というより、置かれている環境、自分の声を届かせようとしている世界の状況に原因がある。「若くして監督になろうとしていたとき、女性に対してその道が開かれていなかったことが主な問題でした。今はだいぶ開かれていますが、それまでかなり厳しい戦いが続きました。でも当時は別に誰もが映画監督になりたかったわけではなかったのです。それが最近は若い人々が無数の声の中から自分の声を見つけようとしています。親にとっても、経済学に関する講義よりも、映画についての講義を取った方が良いと思われうる時代に入ったのです」

「どうやって大量の情報の中から自分の声を見つけるか?フレームとその中でどのように人々が動いているのかについて、そして台詞ではない、単体で機能する言語があることについてじっくり考えられるような作品を観られるようになることが大事だと思います。まだそのような作品に関心は向けられています。しかし、TikTokの登場で関心がどれだけ続くか分かりません」

『ショーイング・アップ』でなかなか思い通りにいかない芸術家・先生を
ミシェル・ウィリアムズが演じる ライカート自身と似ている

芸術作品を保存することに関心が集まっているわけでもない。イギリスを初めとする様々な国で芸術に対する補助金は減額されるようになっており、アメリカでは公共放送局や文化機関が補助金を減額される前からすでに芸術を経済的に支援する動きはかなり少なかった。「武器をたくさん買う必要があるので、文化と芸術でお金を無駄にすることができないんですよ」とライカートは皮肉る。「戦争をしなければならないし、他に優先すべきことがあるらしいです」と。

しかし、これはアメリカだけの問題ではない。今でも日本で最もよく知られている監督の一人であり、戦後人気が絶頂に達していた頃には大衆も彼の作品を楽しんでいたにも関わらず、東京国際映画祭で小津に関する上映やイベントに参加していた人々は高齢の方が多い傾向にあった。

「これもまた負け戦なんです」とライカートは嘆く。「だからといって全てが消えるわけではないでしょう?アメリカではクライテリオン・チャンネルで小津のサイレント映画を含めた全作品を観ることができます。すごいことですよ。全てアクセス可能なので、興味があれば今ではすぐに観ることができるのです。ただ、人々が映画館に足を運ぶようになるのはまた別の話です。ニューヨーク、シカゴ、あるいはサンフランシスコに住んでいれば、そこそこ映画館で観る人はいますが、アメリカの真ん中の地域に住んでいる人々は興味がないのです」

この意味では、小津がこのように記念されるのは喜ばしくもあり、どこか悲しくもある。東京国際映画祭では、Letterboxd公式によるトップ250にも載っている彼の作品(『東京物語』『晩春』『秋刀魚の味』)と共に、『父ありき』などロシアで発見されたフィルムを復元し、より完全で見栄えの良いリストア版として生まれ変わった知られざる名作たちが上映された。彼の作品における教えやスタイルは今も昔も人々に影響を与えており、映画史を語る上で、彼の作品が登場しない時代は想像し難い。

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