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「無難な料理はカレー」説?

外食に行くと、新作や創作系料理に果敢に挑む人と、とことん同じものを注文する人に分かれる。

私は基本的には後者だ。
えびとブロッコリーのクリームパスタ、バタートースト、コールスローサンド、アップルカスタードクレープ、かためのプリンなどなど。
ここの店だとコレ!と自分の中で決まっていて、同じものをひたすら食べるのが私の日常だ。安定、安心、安泰。

初めて行くお店の場合はどうかというと、失敗するリスクが低そうなものを選ぶ。
私は基本的にどのお店でも無難なのはカレーだと思っている。具材を炒めて煮て、ルーを入れればいいだけで(ちゃんとしたレストランはスパイスの配合からこだわるんだろうけど)、よほど奇抜な具材を入れるか、隠し味が隠れていない場合以外は、なんとなくカレーっぽいものが出来上がる。


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以前働いていた職場の研修、あれは1週間くらいだっただろうか、同期とともに会議室下の食堂で昼食をとっていた。
メニューはお肉定食とお魚定食、麺類、カレーの4種類。お肉とお魚、麺は日替わりで、カレーだけはいつも変わらずポークカレーだ。私は1週間「カレーください」と配膳係のおばさんに言い続けた。
毎日無心にカレーを食べる私は、同期に「相当なカレー好きの藤原」として覚えられた。
決してそれは誤解ではない。確かにカレーは好きな食べ物の10本指には入る。しかし常日頃、1週間カレーを食べ続けることはない。あくまで状況に応じた消去法によるものだ。

その食堂は、調理、配膳してくれる職員の数が少なく、午前の研修が終わるタイミングでヌーの群れのごとく研修生が押し寄せる。結果、てんやわんや状態。多くの料理を作り、それをスピーディに盛り付けるからか、定食ものは、その日によって出来や量にムラがあった。完成してから時間が経っていることもあり、残念ながらおいしいとは言えないレベルだったという。(同期曰く)
汁物はというと、味は好評だったのだが、麺を啜るとスープが飛びまくるのが難点だった。びしっと決めたスーツにラーメンの汁が付着しようものなら、午後の研修のテンションはだだ下がりである。箸使いが下手で不器用な私が一滴も汁を飛ばさないなんて奇跡に近い。
…というわけで毎回カレーに至る。
カレーはいつ食べても同じ濃さ、同じ味付けで、安心して食べられた。そしてスプーン一本で食べられる手軽さ。疲れる研修の合間に余計なエネルギーを使いたくない私にはぴったりだった。それに、あまり量を多く食べられない体なので、ごはんを少なめにしてもらえるカレーは綺麗に完食できる気持ちよさもあった。


時間ができた現在は、いろいろなカフェランチを楽しんでいるが、カレーはやっぱりハズレが少ない気がする。 
カフェで他にありがちなメニュー。例えばパスタはどうだろう。茹で時間、湯切りの加減、ソースの濃さなど、たくさんの要素をクリアしつつ、手早さも求められるので難易度が高い。サンドイッチは具とパンの割合、ソースの量、パンの質感などシンプルだからこそ誤魔化しが効かないメニューだ。思わぬサプライズの可能性もあれば、大失敗!なんてこともある。


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カレーって無難!すごい!と、その信頼性について語ってきたが、思い返せばひとつ例外があったことに気づいた。

その例外を作った稀有な人が、私の亡き祖父だ。
祖父は食べることが大好きで、しょっちゅう自分で食材を買ってきては、祖母に料理をリクエストしていた。祖母は食材を買われてしまった以上作らざるを得なかったようで、さぞ迷惑だっただろう。しかし料理上手な人だったので、たいていのものは上手につくれたらしい。祖父は「うまい、うまい」と勢いよく食べていた。

そんな祖父は自分で料理をすることはなかった。大正生まれだし、「男子、厨房に入るべからず」の教えを守っていたのだろうか。

私がまだ幼いころ、祖父が何を思ったか、カレーを自分で作る!とのたまい、家族に振舞ったことがあった。
普段料理をしない人にとって、カレーはなかなか良い選択のように思える。材料を切って肉と野菜を炒めて煮込んで、と慌てず焦がさず作れば大概うまくいく。
さほど心配せずにできあがりを待つ祖母、母、私の3人。

つくりはじめて20分ほど、カレーのにおいがぷわーんと漂ってきて、「できたぞー!」と嬉しそうに祖父がお皿を運んできた。
あれ、予想より早いなと思いつつ、どれどれと受け取る私たち。
その“もの”を目にした一同、固まる。

「おじいちゃん、これ具材を潰したの?」
「ううん」
「煮込んでるうちに溶けちゃった?」
「ううん」
「え、じゃあなんで液状なの?」
「なんでって、カレーってお湯にソース(ルーのことらしい)を溶かして煮込むんだろ?」


…またしても一同、固まる。
そう、お皿に盛られていたのはちゃぷちゃぷとした茶色のスープと白米だったのだ。
祖父がさっさと食べ始めたので、我々は恐る恐るお皿の“もの”をいただく。
結果は…想像通り。
お肉の旨みとコク、野菜の甘みや風味、食感があってこそ、カレーがカレーとして成り立っているのだと実感する。そりゃそうだよね。

祖父には悪いが、あれは後にも先にも初めての新種のカレー(と言えるのか?)だった。ここまでまずく作れるのも一種の才能かもしれない。
たかがカレー、されどカレーだ。


✳︎
「カレーは無難」説を根底からひっくり返すようなことを書いてしまったが、まあいい。 

最近は、未知の味に挑む勇者の姿を見ると楽しそうで、たまには一喜一憂してもいいかもなぁ、という気になってきた。保守派の私が第一歩を踏み出す時も近いかもしれない。
要はその場の気分に応じた、刺激と安定のバランスだ。
私が信頼をおくカレーに関しても、なにこれ!と顔に出てしまうレベルのものと出合う日を密かに、そして怖々と待っている。

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