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「受けるより与える方が幸福」…ってやっぱりキレイごとじゃなかった!


価値観は様々あれど…

「幸福」を定義するのは人それぞれの価値観があるとして…
人間本来の身体や脳の造りとしての「幸福」を感じる仕組みから言えば
どんな国に生まれようが、どんな環境に置かれていようが、
どんな文化や価値観の中で成長しようが
みんな同じ法則が当てはまるのではないかと思う。

「与えることは幸福」

「受けるより与える方が幸福である」
イエス・キリスト

かの有名なイエス・キリストの言葉。
多分これに多くの人が同意はすると思う。
しかしどこかリアルな生活の中で、この考え方はいささか「理想論」のようだと感じる事も少なくないのではないだろうか。

人のためにやったって感謝もされなければ評価もされないではないか。
こういう人が他の人に利用されてしまうんだ。
愛され大切にされて「受けている人」の方が幸せに決まっているではないか。
これはキレイごとに過ぎない。と。

人の価値は何によって測られるか

「人の価値は当人が与えるものにあるはずであり
受けることのできるものにあるのではない」
アルベルト・アインシュタイン

イエス・キリストよりずっと後代の理論物理学者のアインシュタインもやはり同じような事を言っている。
確かに、人の価値が「受けること」によって測られるなら、それほど理不尽で不公正なことはないだろう。
どんな家庭に生まれるか、どんな教育を受けるか、何を与えられて育ったかなど本人の意思とは無関係のところでその人の価値が決まってしまう。

一方、その人が「与えられるもの」に本人の幸福と価値がかかっているなら、それは私たちみんなが自分でコントロールでき、等しく幸せになるチャンスがあることになる。

どんな家庭に生まれても、限られた教育しか受けられなくても、わずかしか与えられずに育ったとしても、自分の意思で自分の価値と幸せを手に入れられることになる!
もちろん「与える」といっても資産や知識ばかりではない。

自分の時間、体力、気遣い、関心、笑顔、元気づけるメッセージ、…一杯の冷たい水でもいい。
誰かの心を喜ばせたり、安心させたりできるものをみんな持っているからみんな幸福になることができる。何というポジティブな考え方だろう!

自分はついついネガティブな方向に引っ張られがちなのでこういう考え方を知れた時、本当にみなぎるエネルギーを感じれた。

脳科学的にも証明されている理論

そして最近見たのがこの動画だった。

脳科学者の茂木健一郎さんの動画だ。
これを見て心底「やっぱりあの考え方はキレイごとじゃなかったんだ!人間の脳は利他的に与えて幸せになるように造られているんだ!」と納得できた。

そしてこの考え方は自分が幸せになるだけでなく周りの人も幸せにすることが理解できた。
利他的な人の思考は常に自分以外の人、もしかすると自分とは違う価値観の人や真逆のところにいる人のためにさえ役に立てる何かを探そうとするからだ。
そういう「与える」人の発揮するエネルギーは膨大だ。

自分の幸せだけを追求することは結局幸せにつながる道ではない。
というより、本人はそれで満足できていてある意味「幸せ」なのかもしれないが、
本当はもっともっと大きくて広がりのある「幸せ」を得損なっているのだ!

利己的な人ではなく利他的で気前良く与える人の方が断然幸せなのである。
そしておまけとして、そういう人は社会のニーズに敏感なアンテナを持っているのでビジネスマンとしても成功する人なのだ。
やはりどんなビジネスも人を相手にしているので、“人間の心を持った人”に人間は惹かれるのだと思う。
でも同時にその人は「得よう」ではなく「与えよう」としているので、ビジネスにおける成功でさえ本人にとっては副産物に過ぎないのではないだろうか。

「与える」ふりして「得ようとする」人

私もろう者を取り巻く色々な人を見てきた。
一見「与えている」ようで「得よう」としている人も残念ながらいた。

自分の持っている学習能力と時間を費やし手話を勉強しているのだが、そうして得た素晴らしい能力、つまりろう者とコミュニケーションが取れるという能力でさえ
その人にとってはただの“ステイタス”で、結局は自分を高めるためのつまらないプライドにしかなっていないのだ。

こういう人たちを見ていると自分への戒めにもなる。

「相手のため」と言いながら自分の価値観を押し付けたり
頼まれてもいないアドバイスをしたり…
「与える」フリをして自分を高め、「得よう」とている人にはなりたくない、と。

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