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シモン・ボリーバルが生きていたら「難民をたくさん出すベネズエラの現状」をどう思うのだろう?

きょう(7月24日)は、ベネズエラをはじめ南米大陸北部をスペインから独立させた「解放者」であるシモン・ボリーバル(ボリバル)の誕生日です。ベネズエラのカラカスで1783年に生まれました。生誕240年。日本で言えば江戸時代の第10代将軍(徳川吉宗の次の次)のころです。

ベネズエラの正式な国名は日本語だと「ベネズエラ・ボリバル共和国」。

「ボリバル」を国名に入れたのは、マドゥロ現大統領のボスだった故チャベス大統領です。ボリバル憲法を制定し、ボリバル革命を推進しました(この中身は現実と乖離しているので割愛)。ベネズエラ国民の英雄であるシモン・ボリーバルにあやかろうと、なんでもかんでも「ボリバル」の名を冠しました。

チャベスの政策を継承するのがマドゥロ大統領。

下のグラフを見てください(最新のデータが入っていませんが、さらに増えています)。チャベス大統領が死去した2013年ごろからベネズエラは経済が崩壊し、その後、難民が一気に増えていきます。避難先として断トツで多くのベネズエラ難民が暮らすのが隣のコロンビアです。

ベネズエラとコロンビアは「兄弟国」といわれます。現在のベネズエラ、コロンビア、エクアドル、パナマなどが集まって、シモン・ボリーバルのリーダーシップのもと、まず成立した国がグランコロンビアだからです(その後、分裂)。だからベネズエラ、コロンビア、エクアドルの国旗は似ています。

ちなみにパナマは、パナマ運河の権益を欲しがった米国の介入があって、コロンビアから独立させられた経緯もあり、国旗はまったく違います。

ベネズエラでは、その町にある中央広場を「プラサ・ボリーバル」と呼びます。プラサ・ボリーバルの真ん中には必ず、シモン・ボリーバルの銅像が建っています(上の写真)。その数、町の数だけ‥‥。

ベネズエラ人いわく、世界で2番目に多い銅像がシモン・ボリーバル。1番目はイエス・キリストとのこと。

余談ですが、ベネズエラ以外のラテンアメリカの大半の国では中央広場を「プラサ・デ・アルマス」との言い方をします。アルマは武器という意味なので、一説によると、スペインとの独立戦争のときに武器をそこに置いていたから、とも。

また、南米のボリビアの語源もシモン・ボリーバルです。ボリビアの首都スクレの語源も、ボリーバルの腹心だった軍人アントニオ・ホセ・デ・スクレから。2人とも今でいうベネズエラ人。

スペインからの独立をベネズエラにもたらしたシモン・ボリーバル。そしてベネズエラ難民の増加を促したボリバル革命。なんとも皮肉なネーミングです。

そんなベネズエラ難民を徹底的に取材できるプログラムがあります。締め切りはあす7月25日!

現地取材を通してベネズエラ難民について深めてみませんか? 彼らから話を直接聞くことで、日本にいてはわからないことが見えてきます。