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日本人の「途上国への関心度」はこの40年でどう変わったのか?

ユーラシア大陸の端に位置する島国・日本からすれば、海外(途上国も)は遠い存在であっても仕方がない部分もある。とはいえ時代はグローバル。

日本人の「途上国への関心度」は時代とともにどう変わってきたのか。ganas編集長の主観を交えながら追ってみたい。見方はおそらく世代、個人によって大きく異なる。ちなみにganas編集長は1970年生まれ。海外へ初めて行った(住んだ)のは1985年。途上国へ初めて行ったのは1985年か1986年。住んだ外国は5カ国。

この記事を読んだ皆さんからご意見をいただけたら嬉しい。

【1980年代】


国際化の幕開け。当時は「国際人」という言葉が流行っていた。僕が受験した大学の入試の小論文のテーマも「国際化とは何か」だった。国際を冠した大学名、学部・学科名が雨後の筍のように誕生した。

1985年8月のプラザ合意で1ドルが240円から100円を切るまでに円高に。飛行機代をはじめ旅費は劇的に下がった。これにより海外は一気に身近な存在に。バックパッカーとして旅する人も! この前の時代は金銭的に大変だっただろう。

とはいっても、一部のマニアを除けば、まだまだ米国一辺倒の時代。東南アジアから戻ってきた帰国子女(この言い方、なんなんですかね)の中には、東南アジアに住んでいたことを隠していた友人もいた。イケイケどんどんだった当時の日本社会からすれば、東南アジアのイメージは「遠い未開の国」。カミングアウトしにくい環境だった。

また、80年代後半から90年代前半にかけては、東南アジア出身の留学生に対する露骨な差別もあった。大久保界隈にタイ人、コロンビア人の立ちんぼがいたし、フィリピンパブが全盛だったこともあってか、友人のフィリピン人女子学生は、夜道を歩いていると、日本人男性から怪しげな声をかけられることも少なくなかったと話していた。

【1990年代】


途上国、とりわけ東南アジアを旅する人(バックパッカーも)が増えてきた。その登竜門的な国がタイだった。90年代初めはノンビザだと2週間しか滞在できなかったと記憶している。

今はなき伝説の日本人宿といえば、バンコクのヤワラー(中華街)にあった「ジュライ」だ。確か2000年ごろに閉鎖され、一部の間ではちょっとした話題になった。

このころは日本経済も強かったので、円の強さにものを言わせて、「フリーター+バックパッカー」(日本で年に数カ月だけ働き、残りは安い東南アジアなどで沈没する)として暮らす人もいた。猿岩石が世界を貧乏旅行する番組「電波少年」も人気を博した。まさにバックパッカー全盛の時代だ。

90年代の終わりごろからバンコクの物価が上がってきたので、沈没組はタイの北部やカンボジアなどの安い近場に移動。プノンペンの「キャピトルゲストハウス」は有名だった。うろ覚えだが、この目の前に、クーロン黒沢が経営していたカレー屋兼本屋(?)があったような気がする。

翻って日本ではタイ料理がブームに。タイなどから日本へ一時帰国すると、友人は決まって「タイ料理に行こう」と誘ってきた。こっちはおいしい日本食を満喫したいのに。

【2000年代】


脱・東南アジアの時代に突入。ラテンアメリカを例にとるならば、ペルーのリマ⇒ナスカ⇒アレキパ⇒クスコ⇒プーノ⇒チチカカ湖⇒ボリビアのラパスを旅する日本人も多かった。このゴールデンルートは、東南アジアでいえばマレー半島縦断やベトナム縦断のようなもの。旅をしていると、同じ人と数回会う。90年代前半にラテンアメリカを旅したときは日本人バックパッカーはこんなに多くなかった。

クスコで沈没するバックパッカーの中には元ジュライ組もいた。聞くと、バブルのころから、一度も就職せずに沈没を繰り返してきたという。日本人(旅行者など)を騙しながら生きている、と評判の悪い人もいた。

また東南アジアは1997~98年のアジア通貨危機を乗り越え、00年代には急激な発展を遂げる。バンコクやマニラなどの大都市はほぼ先進国のようになった。日本では東南アジアの存在(行くこと、料理など)が一般化していく。

【2010年代】


東南アジアが一般化したのに伴い、セブなどでの英語留学がメジャーになった。フィリピンの英語なんて英語じゃない、と90年代は揶揄されていたから、本当にびっくりした。

東南アジアへのスタディツアーも一般化。とくにカンボジア。向井理主演の映画「僕たちは世界を変えることができない」も大学生の間で大人気に。僕の世代にとっては「深夜特急」と同じ位置づけか? 僕よりも前の世代だと、小田実の「何でも見てやろう」か。

猫も杓子も東南アジアに行き、また駐在員とその家族も急増したことから、東南アジアの大都市は日本人だらけになった。まるでハワイのよう。ただセブの場合、韓国人が日本人の何倍もいた。90年代の韓国人の少なさからすれば驚きだ。韓国経済の成長を身をもって感じた。

日本の普通の若者が東南アジアの人と交際したり、結婚したりするようになった。国境が低くなったような気がする。

さらに緒方貞子さんが打ち出したJICAのアフリカシフトもあってか、青年海外協力隊員の多くがアフリカへ。日本人にとってアフリカが近い存在になり始めた。アフリカが一部の間ではブームに。

【2020年代】


アフリカがもっと身近になっていくかと思いきや、コロナ禍で一転。海外へ行くのが一般的でなくなり、途上国への関心度・親近感が急低下した。この傾向がとくに顕著だったのは大学生。大学に入ったら「途上国デビューする」というトレンドがストップした。円安も重くのしかかる。2020年代はどうなるのか? まずはこの夏の動きに注目だ。

さて皆さんはこの40年とこれから、をどう見ていますか?