見出し画像

主役の感情表現と、ブラックボックス演技。

朝ドラ『おちょやん』、ボクはあいかわらず朝昼1日2回づつ見てるんですが(笑)
視聴率は17%台で安定して良くはないですね。 今週は生き別れになっていた弟がついに現れて、それが放火魔グループの一員になっていて・・・千代、怒りまくってましたねー!

しかし千代が怒り始めるとTwitterやSNS上では「朝からうるさい」「杉咲花、怒鳴りすぎ」などの不評の声が・・・おおお。

そうなんですよ。怒鳴り声とか泣き声って基本ノイズですから、耳に不快な音なんですよね。でも「じゃあもう朝ドラは怒鳴り声無しで!泣き声無しで!」てゆーのも違うと思うんですよ。だって過去に怒ったり泣いたりするシーン満載でも人気のあった朝ドラはありましたから。高視聴率だった『半分、青い。』とか『まんぷく』『スカーレット』とかも結構怒ってましたよね。『あまちゃん』なんか毎朝「じぇじぇじぇ~!」って怒ってた(笑)。

じゃあでも待ってください。この怒鳴り声と、あの怒鳴り声はなにが違うんでしょうか? 許されるノイズと許されないノイズがあるのでしょうか?

画像16

画像2

画像3

ノイズとは何か?それは理由のわからない大きな音です。

喫茶店とかで、知らない人が怒鳴っていたり泣いていたりしていたら、その音は我々にとって不愉快なノイズに感じられます。電車の中や居酒屋で知らない人達がゲラゲラ笑っている声だって「うるさいなあ」と感じたりしますよね・・・笑い声みたいなポジティブな音ですら!

そう我々、その喜怒哀楽の理由がわからない状態で聞く大きな声はすべてノイズにしか聞こえないんです。目の前で自分の友達が泣いてる時にその泣き声を「うるさいなあ」とは思わないですよね、可哀想に思います。それはその友達が泣いてる理由が腑に落ちているからです。怒る理由が、笑う理由がしっかり伝わっていて共感できていえば、うるさくは感じないのです。

演技でもそれは同じです。失恋のシーンで泣いてる人物に「うるさいなあ」と思わないのは、復讐のシーンで怒鳴る人物に「うるさいなあ」と思わないのは、観客がその人物に感情移入できているからです。
泣いたり怒ったりする理由が理解できていて「そりゃ怒るわな」とか「わかる、悲しいよねえ」とかその感情に乗れているからです。

となると千代が弟のヨシヲや一平に怒鳴ってるのを見て、視聴者が「うるさいなあ」と思うのは、視聴者が千代のその怒りの感情に乗れていないからなのではないでしょうか。
千代の気持ちの流れが視聴者とうまいこと共有できていない状態で、唐突に千代が怒鳴りだすから、「うるさい」と感じる人がいるのでしょう。

画像4

画像5

いや、杉咲花さんが怒る芝居をするのは、演技として正解なんですよ。
だって生き別れになった愛しい愛しい弟が、再会してみたらとんでもなく心の捻じれた不良になっていたんですから。姉としての責任感が発動して弟に対して怒ったり怒鳴ったりするのはスジが通っているし、しかもその怒ったり怒鳴ったりしてるその杉咲さんの演技自体は迫真で、すごく良い演技なんです。

ではなぜ視聴者に感情移入してもらえないのか? それは千代が「じつは傷ついている」という瞬間を視聴者に見せていないからです。

千代はじつは怒る前に傷ついているはずなんですよ。だって最愛の弟が再会してみたら酷いことになっていたわけだから、まずは怒りよりも先に悲しかったはずなんです。 傷ついて・・・そしてその次に姉として自分が弟を更生させなければ!という責任感というか使命感みたいなものがこみ上げてきて、で怒鳴る!になるわけですよね。

ところが実際にはこのシーンの演技の流れはどうなっているのか・・・録画を何度も見返したんですが、千代が悲しんでいる筈の時間の表情のアップのショットが・・・・無表情なんですよ。

演者である杉咲花さんの心の中では色々な激しい感情が渦巻いている筈だとは思うんですが、その感情のディテールがカメラに映ってないんです。
無表情・・・つまり千代の感情が「ブラックボックス」として演じられているので、視聴者がその感情を共有できていない。なので凄く察しのいい視聴者しか千代の感情に乗れない、感情移入できない芝居になってしまっているんです。

で次の瞬間、いきなり千代がガーン!と怒鳴りだすんで、怒る理由が腑に落ちてない視聴者の耳にはその声がノイズにしか聞こえないんです。

画像6

ボクが最初に杉咲花さんっていい女優さんだなと思ったのは『トイレのピエタ』という映画でヒロインを演じていて、無表情から唐突に笑顔がとび出したり、怒りが爆発したりするのが本当にスリリングで魅力的でした。つまりブラックボックス型の演技で輝いていたんですね。

でもその杉咲さんが朝ドラの主役をやるって知った時、正直ボクは「それって大丈夫?」と思ったんです。だって朝ドラの主役は視聴者の代表にならないといけないから。ブラックボックスではなく、もっとお茶の間の視聴者に対してオープンな芝居をしなければならないから。

それが『おちょやん』が始まってみたら!・・・杉咲さんは見たことないようなオープンな演技をなさっていて、うわあ、新境地開いたんだなあ!と感心しました。

その感動を【「撮影可能な感情」を演じる。『おちょやん』】というブログで書いたりしたのですが、まさに心の中で起きている感情がすべて可視化されているような素晴らしく瑞々しい演技でキラキラと輝いていたんです。

blogおちょやん01B

山村千鳥一座での『正チヤンの冒険』のくだりとか、トータス松本さん演じる父テルヲとの愛憎のシーンとか、コロコロとリアルタイムに変化してゆく千代の表情が本当に素晴らしかった。感情のすべてがその瞳と表情すべての上にオープンされていて、視聴者は千代の感情のすべてを理解できていたと思います。

それが、舞台が道頓堀の「鶴亀家庭劇」に移った頃から、ちょっとづつブラックボックスに戻っていった感触があるんです。唐突に怒鳴る、唐突に笑い出す、唐突に「ははーん、さては…」とかひとり相撲を始めるとか・・・理由は分かりませんが、一平やヨシヲと一緒にいる時に特にその傾向が出るように感じます。

いやこれはじつは過去の朝ドラでも度々起きている現象で、例えば『スカーレット』でも戸田恵梨香さん演じる喜美子が、イッセー尾形さん演じるフカ先生や松下洸平さん演じる八郎さんとのくだりではオープンで瑞々しい芝居をしていたのに、その数か月後の息子の武志とのくだりになってからどんどんブラックボックスで硬い芝居になっていったこと・・・『まんぷく』でも似たような現象が起きてました。

そうなってしまう理由は、俳優同士の相性の問題なのかなーとも思うのですが・・・とにかく朝ドラの主人公はブラックボックス芝居になってしまうと、うまく主人公として機能しなくなってしまうみたいです。

怒鳴るのはオッケー。でもその前に怒鳴るまでに至る「切ない気持ち」や「悲しみ」を、丁寧に視聴者と共有してほしい。・・・そんな切なくて、ちょっと笑えるドラマを毎朝見たいのです。

俳優が大切なシーンで相手役と向かい合っても何も感じないとき、焦るのは禁物。
感じるべきものがそこに何もないのに無理やり感じようとすると、芝居が自分の中で空回りして、無表情芝居になってしまいます。 そんな時はたとえば・・・「この人に何も感じない!」ということを感じてしまえばよかったりするんですよねw。

画像7

画像8

画像9

さてここまで、芝居がブラックボックスになってしまう事の弊害について色々と書いてきましたが、逆にそんなブラックボックス芝居を積極的にやるべき状況についてふれてみたいと思います。

魅力的なブラックボックス芝居というとボクが一番に思い出すのは、映画『パルプ・フィクション』のユマ・サーマン演じるミアです。彼女は内面をほとんど表面に出さずにずっとクールにキメてるんですよね。じーっと相手役のジョン・トラボルタを見つめている。で急に唐突な提案をしてきたり、唐突に意味深な笑顔になったり、またアンニュイになったり、ワイルドな振る舞いをしたり・・・90年代の世界の映画ファンはみんなミアに魅了されましたよね。あれこそブラックボックスの良い手本です。

あれが有効なのは、あのシーンの主役がトラボルタで、ミアはヒロインだからです。
トラボルタが見事にオープンな演技でミアに翻弄され、観客と一緒にミアの魅力にメロメロになってゆきます。 トラボルタが演じたのはヴィンセント・ヴェガというチンピラで、彼のボスの奥さんで「絶対に好きなってはいけない」ミアをエスコートしているうちに、どんどん好きになってしまいますw。そう、恋愛って相手がブラックボックスだから盛り上がってしまうのですよね。

シーンが恋愛のシーンで、しかも自分が演じる役が主役ではなく、逆に主役を翻弄する役であるときにはブラックボックス芝居をすると超効果的です。

アップのショットではむしろ内面をさらさずにじーっと相手を見つめましょう。ミアのように。

そんなユマ・サーマンですが、『キル・ビル』で主演を務めた時は見事なオープン演技で、まんまと彼女に感情移入した観客たちを地獄めぐりに引きずり回しました。
いや~主人公がやるべき演技と、ヒロインがやるべき演技ってこんなに違うのか!という、やはり良い例ですよね。

画像10

画像11

画像12

画像13

しかし『おちょやん』、もっと視聴率取って欲しいですよねー。

ほっしゃん とか超いいんですよ。
彼はブラックボックスとオープンをものすごく巧みに切り替え切り替え芝居していて、敵でもあり味方でもありという・・・すごい存在感を発揮しています。このドラマいちの姫かも(笑)。

ブラックボックス芝居とオープン芝居、まだまだ深いです。

小林でび <でびノート☆彡>

blogおちょやん01B

↑ 関連記事 【「撮影可能な感情」を演じる。『おちょやん』】



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?