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「観の目」「見の目」、いい俳優は周辺視野で演じる。

先日タモリステーションの大谷翔平特集を見ていたら、大谷選手は打席に立ってるとき「周辺視野」で見ていると解説されていて、なるほど!と。
以前から大谷選手はホームランを打つ打席は構えたときに「キョトン顔」をしているよねーと思って見てたのだけど、そうか!
あのキョトン顔は「周辺視野」で世界を見ている時の顔なのです!

「観の目」というやつですよね、宮本武蔵の『五輪書』の。
ピッチャーを見るでなく、投げたボールを見るでなく、守備の動きを見るでなく、ランナーの動きを見るでなく、キャッチャーの動きを見るでなく・・・空間全てをまるっと把握する視野。

優秀なボクサーやサッカー選手、バスケ選手、卓球選手などはみな同時に数か所を見ているので素早く反応できる、でおなじみの「周辺視野」、そして「観の目」。いままでいまいちピンときてなかったんだけど、ようやくわかった。
状況を空間ごとまるっと把握して、すばやく反応する・・・これっていい俳優が芝居の時やってるのと同じやつじゃあないですか!

名優アル・パチーノの「観の目」。

ホームランを打つ打席の大谷選手のキョトン顔・・・芝居に集中している時のアル・パチーノの顔と同じ目をしてます。

目が大きく見開かれていて情報をぐんぐん吸い込んでる。そして目の焦点がいまひとつあってなくて、キョトンと目の周辺の力が抜けている。
これってアル・パチーノが『ゴッドファーザー』や『狼たちの午後』などの多くの映画のクライマックスシーンを演じている時の顔そのものですよ。

シーンの個々の事象を個々に観察するのでなく、シーンを状況を空間ごと、そして「おおきな時間の流れ」込みでまるっと把握する・・・その膨大なインプットでパチーノの内面が静かに激しく揺さぶられている。
これって「内面の芝居」をしているとよく勘違いされるんですが、目をよく見てください。パチーノの意識は彼の内面に向かっていません。
じつはパチーノは目を細める芝居を演じることがほぼ無くて、瞳はつねにパッチリと見開かれています・・・それは外からの情報をバンバン受け取っている「インプットの目」です。
しかもそのシーンで起きていることを個々に見てゆくのではなく、すべてを同時に見ている・・・アル・パチーノは世界をいつもそのように見ています、わかりますよね?
それこそ「周辺視野」であり、『五輪書』で言うところの「観の目」なのです。

これはアル・パチーノだけの専売特許ではありません。
ボクがこの「観の目」のキョトン顔で演じる俳優たちに気づいたのは2014年、映画館で『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』を見ていた時で、主演のマイケル・キートンやエマ・ストーンたちがまさにこの「観の目」で演じていました。素晴らしかった。
この映画は数シーン1カットみたいな超長回しで撮影されていたので、俳優たちは周辺視野を使っていつも以上に観察力を駆使して演じざるを得なかったのですが、その結果俳優たちはいつも以上の大きなインプットに心を大きく揺り動かされています。
そしてこの「大きなインプットによって大きく心が揺れ動いている芝居」に反応して観客であるボクの心も揺れ動きまくることが衝撃で、思わず何度も映画館に通ってしまったのを覚えています。

このキョトン顔と言うか「観の目」で演じている俳優はアル・パチーノだけではありません。 たとえば『羊たちの沈黙』におけるアンソニー・ホプキンスや、『アイアンマン』におけるロバート・ダウニーJr.、古くはチャーリー・チャップリンやグルーチョ・マルクスも。そして格闘シーンに於いてはジャッキー・チェンやブルース・リー(彼は『五輪書』の愛読者)も。
本当に多くの名優たちがこの「観の目」で演じているのです。

「相手を見る」は「見の目」ではできない。

俳優が演じるまさにその時に大切だとよく言われる「相手をよく見る」「相手のセリフをよく聞く」・・・これって演技の基本なのですが、同時に実はけっこう難問であることでも有名ですよねw。
なぜ多くの俳優がすなおに「相手を見る」ことに失敗してしまうのか?・・・それは多くの場合、俳優が「相手を見よう!」としてしまうからです。

相手を見よう!相手の表情を観察しよう!として、相手の目を見る、口元の動きを見る・・・でもそこには何の情報もありません。相手の部分をクローズアップして見てしまうと、相手の芝居の本質はそこには無いので、そこから自分の心を動かすディテールをインプットすることが出来ないのです。

相手のセリフも一生懸命に個々の「言葉」をクローズアップして聞いてしまうと、その音がゲシュタルト崩壊を起こして、文脈が見えなくなります。
それと同じく相手の表情も、一生懸命に個々の「表情筋の動き」をクローズアップして見てしまうと、その表情がゲシュタルト崩壊を起こして、その表情がいまなぜ生まれたのか?その意味が見えなくなるのです。

これは、宮本武蔵の『五輪書』に於ける「見の目」だけを使って芝居している状態になります。
『五輪書』の「観の目」と「見の目」についてはここで説明しきれないので詳しくは専門の本を読んで欲しいのですが、超簡単に説明してしまうと、
「観の目」は個々の事象に焦点を合わせずに状況をまるっと観察する目のこと。そして「見の目」は個々の事象一つ一つに焦点を合わせて観察してゆく目のことです。

たとえば武道に於いて相手と剣を交える場合、「観の目」を使えば相手の存在すべてが見え、「見の目」を使えば相手の目光や剣先の動きや足さばきを個々に見てゆくことになります。
そして「見の目」で見るとその瞬間瞬間の一つ一つの事象が個々に見えてくるのに対して、「観の目」で見るとそれら個々の事象が連動して見えるので、時間の流れが見えてきます。今に至る時間の流れが見えてくるとどうなるか・・・今後どうなってゆくのか「過去から未来に至る時間の流れ」が見えてくる。

だから「観の目」「周辺視野」を使うスポーツ選手は超素早く反応することが出来ます。ボクサーや卓球選手が信じられない速度で精密な動作ができるのも、野球選手が160キロ台の球を見事にバットにジャストミートできるのも、ようするに、「観の目」によってこの「空間における時間軸の流れ」が予測できるからです。
未来が予測できる・・・だから芝居の世界でも、「観の目」で見る俳優は即興的要素のある芝居で素晴らしい成果を上げるのです。

では「相手を見る」「相手のセリフを聞く」ためにはどうしたらよいのか?
「見の目」だけを使って個々の事象を個々に観察していたのでは、相手役にここまで過去どんなことが起きていて、未来にどんなことが起きようとしているのかを理解することは出来ない。
なので「観の目」を使ってその状況のその空間における相手の存在を把握して、ここに起きている事象が、なぜどんな流れで起きていて、それは今後どんな流れを起こしてゆくのかをまるっと観察できる・・・この時間軸による変化を把握することで演者の心は揺り動かされ、みずみずしい反応が生まれるのです。

「周辺視野」は脳で見ている。

YouTubeに面白いインタビュー動画があって、ソフトバンクホークスの山川穂高選手がホームランを打つ秘訣を答える時に「周辺視野」について喋ってました。ちょっと見てみましょう。

「ただ毎回はやっぱりできないんですよね。周辺視野っていうのを使うんですけど」 「ピッチャーもしっかり見ているわけじゃなくて(キョトン顔で)こうやって見てるんですよね」 「どこも見てないんですよじつは、だからボールもちゃんと見てないんですよじつは。もちろん見てるんですけど」
「あれを600回できればもっと打てるのかなと思いますけど、脳も疲労してない状態じゃないといけなかったりもするので、もっと集中力を高めないといけないなと思ってます」


面白いですよねー!ひじょうに分かりやすい。
大谷選手はなかなかここまで具体的に語ってくれないんですよねーw。松井秀喜選手も『五輪書』が愛読書だそうですが、ここまで具体的には語ってくれていないですしねー。

この「空間ごとまるっと把握する世界の見かた」を駆使すること・・・これは全てのスポーツに共通することだし、名優たちの演技にも共通していることだと思います。 そして言ってしまうと小説家や脚本を書く人も、このプロセスで架空の空間を見て架空の人物たちを観察して書いているのだとボクは思っているのですが、まあそれはまた別の話でw。

もし芝居で「相手を見る」「相手の話を聞く」に行き詰まったら、
相手にクローズアップするような集中のしかたをやめて、もっと引いた目で「シーンの空間のなかにいる相手」を観てみましょう。そして相手がこの感じに至った時間の流れを感じ、これから何が起きそうだろう?と大きな時間の流れを感じてみましょう。
するとインプットが一気にうわーッと流れ込んで、心が揺り動かされて、反応の芝居が瑞々しくなるかもしれませんよ。ぜひお試しあれ☆

小林でび <でびノート☆彡>


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