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『少年の君』の泣ける観察と迷走の芝居。

中国・香港合作映画『少年の君』・・・マジで泣けました。
素晴らしかった。でもコレはいわゆる「スカッと気持ちよく泣ける映画」とは違うのかもしれません。むしろ真逆かも。

映画ってある意味「観客が安全な場所から他人の悲しい出来事を見物できる装置」じゃないですか。でもたまにこの『少年の君』みたいに観客がついつい自分ごとみたいに観てしまって、心が痛くなって、ぜんぜん安全な場所から見物できない映画ってのがあるんですよねー。
魂が揺さぶられ続ける映画でした。

この映画、真実しか映ってないんですよ。

作りごと・・・つまり演技が映ってないんです。俳優の意図も、演出家の意図も映っていない。じゃあドキュメンタリータッチなのかというとそうではない。物語と溢れる情感があって、観客を泣かすのです。そんな演技ホントにあるのかよって話ですが(笑)
・・・まずは『少年の君』予告編をご覧ください。

ね。予告編を見て分かる通り、表情などの演技が小さいでしょ。
アップのショットの演技に至っては「目の周りの筋肉のちょっとした緊張や緩和」だけだったりするんですが・・・複雑な感情のディテールが生々しく伝わってきます。

主演女優チョウ・ドンユイのこの演技の小ささ、どこかで見たことありませんか? そう、先日の演技グログ【『クイーンズ・ギャンビット』の「意図して」「意図せず」2つの感情表現。】の回で紹介したアニャ・テイラー=ジョイの演技と同じ種類のものなのです。これってここ数年で増えつつある新しい演技法なんですよね。

「複雑でかつ迷走的」チョウ・ドンユイの芝居。

今までの一般的な演技法でいくと、ビート(思考・感情の変化の瞬間)とアクション(ビートの都度発生する小さな目的・欲望)とかで脚本を分析して演じてゆくところなんでしょうが、このチョウ・ドンユイ演じるチェン・ニェンの芝居を見ていると、そんな風にハッキリと思考や目的が切り替わっていない事がわかります。
ビート・アクションで演技を組み立てると役の人物の行動が明確になる・・・と同時に役の人物の行動は「直線的」になるのに対して、チョウ・ドンユイの表情の変化はもっと「複雑でかつ迷走的」です。

でも我々が社会生活をしている時の表情って「複雑でかつ迷走的」なものですよね。相手や環境の状態を見たり感じたりしながら、感情や思考は千々に揺れ動きながら、迷いながら前に進んで行きます。だから我々はチョウ・ドンユイ演じる少女チェン・ニェンの小さな小さな芝居が理解できるんですよね、自分と同じだから。

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現代の我々に「一貫した目的」などあるのか。

そもそも我々はもう社会生活の中で「自分の目的のために相手を打ち負かす」みたいな行動は表立ってはとらないようになっています。周囲の人に嫌われるからです。そしてこの『少年の君』は「学校におけるいじめ問題」が大きなテーマの一つになっています。そう、登場人物たちは学校でいじめられないために、自分の目的を遂行することよりも、周囲の人間と調和するための行動を取ろうとします。つまり「一貫した目的」など無いんです。状況の絶え間ない変化によって目的はコロコロと変わってゆくので。

つまり彼らが、そして現代に生きる我々にとってのリアルな芝居は「自分の目的を遂行する」ことではなく「周囲を注意深く観察して、流動的にベターな行動をする」ことなのです。まさに周囲を観察し迷走するチェン・ニェンの芝居そのもの・・・せつない。

この観察し迷走する芝居のせつなさが、現代の観客の心を捉えるのだと思います。

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チョウ・ドンユイ演じるいじめられっ子の優等生の女子チェン・ニェンと、イー・ヤンチェンシー演じるストリートチルドレンの男子シャオベイの2人は出会ったばかりの時、お互いのことを観察しあい、そして牽制しあっています。
それは単純に相手に惹かれ合うとかそういうよくある芝居ではなく「自分にとって相手が危険か安全か」を観察する・・・そんな芝居です。それがだんだんと「自分たちにとって周囲が危険か安全か」を観察するという風に変化してゆくんですよね。

ここで2人の芝居が大きく変わるんですよね。ずっと緊張していた2人が、2人でいるときには笑顔を見せたり、リラックスした表情を見せるようになったりするんです・・・そこが感動的で!・・・泣きましたw。

そしてこの2人は、その後もう一度緊張した関係になり、ある事情で離れ離れになり、そして久々に2人が再会した時お互いに柔らかい表情で相手を迎え会うんです・・・泣くわー。

つまり、これは俳優の演技だけの問題ではなく脚本・撮影なども一緒なのですが、人物の表現の手法が「人物単体の心情の変化」で表現するものから、「複数の人物のコミュニケーションのあり方の変化」で表現するものに変わりつつあるんですよね。それに涙する時代が来たんだと『少年の君』を見て確信しました。

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セリフがなくても、全てが観客に伝わる。

この映画には幾つかのセリフのないチェン・ニェンとシャオベイのシーンがあります。その中でも特に素晴らしいのはバリカンのシーン、そして面会室のシーンでしょう。どちらもお互いがお互いを見るその目の微細な表情だけで、全てが語られているんです。2人の感情のやり取りが観客に詳細に伝わってくるんですよねー。これも泣く。

コミュニケーションの芝居、ここに極まれり!ってことだと思います。

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最後にもう一点だけ、涙の芝居が素晴らしかった。

涙って人間の感情がキャパオーバーになった時に出るものなので、じつは無表情でポロッと出たりするんですよね。これを俳優が涙を絞り出そうとすると顔がゆがんでしまってホント難しいんだけど、チョウ・ドンユイもイー・ヤンチェンシーも綺麗な無表情でポロポロッと涙を流してました。
これってようするに自分発信の感情の芝居でなく、外から入ってくる情報に反応して芝居してるからキャパオーバーになるんですよね。
難しいはずなんですけどねー、見事でした。

さて、そんな中国・香港合作映画『少年の君』、劇場での公開はBunkamura ル・シネマだけになってしまっているみたいですが、じきDVDも発売されるでしょう。
オススメです・・・とくに俳優さんに強くオススメです。これ、具体的にどうやったらこんな芝居ができるようになるのか・・・一緒に考えましょう。

小林でび <でびノート☆彡>


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