アパレルの衰滅とユニクロの勝利
アパレル産業がここまで衰滅するとは、とても想像ができなかった。ユニクロのひとり勝ち。ユニクロをアパレルと呼んでもいいのか?自分にとってのアパレルとは、コムデギャルソンやY's とかだった。そうした、かつての《服》の概念は消滅した。
子供のころ、学校に行くには制服があったが、私服は親に買ってもらっていた。が、高校になるとそうも行かない。自分で私服を買う必要が生じたが、田舎者のバカな親には判ってもらえなかった。やむなく新宿にジーパンを買いに出かけた。
千葉の田舎には若者向けの洋服屋が見当たらなかった。それに当時、服はけっこう高かった。それで新宿の安売りの店に行ったのだと思う。新宿や浅草には映画を見に行くことが時々あった。
新宿のジーパン屋のあんちゃんに「おたくに似合いそうなのは云々」と言われ、始めは何を言っているやら解らず、ようやく「オレのことか!」「東京では客のことを《おたく》と言うのか!」と甚だ驚いた。それがこの言葉を初めて耳にしたきっかけ。以後も安い服をどこで買うか、はなはだ苦労してきた。高い服は買えなかった。
ブランド物が流行ったのも、そうした衣服事情と関係がありそうに思う。大学時代は自分でけっこう稼いでいたし、面倒なのでブランド物を現金で買ったりして、マルイの店員に驚かれた。バブルだったし。
認めざるを得ないのが残念だが、ユニクロは私どもを解放してくれた。どこに行っても同じような服が同じ値段で買える。店を探す必要がない。新宿まで行かずとも、近くにユニクロがある。歩いて10分のところにあった時代もある(すぐ潰れたけど)。
オレらは服にさして関心などない。安くて、それなりの服ならいい。とはいえ誰にとっても服は必要だ。全裸で街は歩けない。なのに、かつての服は高く、買える場所も限られていた。その間隙をユニクロが襲った。旧態然とした洋服屋に勝ち目などなかった。ユニクロは服を大衆に解放したのである。
いまや服はどこでも買える。ネットでも買える。かつての高級ブランドはもっぱら富裕層を相手に商売を続けているが、庶民には縁遠いものになった。いまの若者はナイキやらアディダスやらの比較的安価なスポーツブランドを身につけるのが普通になっている。ユニクロはさすがに恥ずかしいと感じる向きもあるかもしれないが、着る服についてまず悩む必要がない。こんな時代に生まれたかった。
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