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多数派のよりも多様派が力をもつ世の中の方が最適か?

1.思考放棄型民族が形成する多数派 

 2020年を生きる世界中の人間は、資金力を始めとする力を持つ者が流す情報と向き合いながらも、思想を形成している。あたかもそれが自分の確固たる意見であるという幻想に柵を抱きながらも現実には歪んだ意思決定を求められている。そうした中、意思決定の手法として、多数派の見解=是と解釈して決断される手法が多くの利害関係者が絡む案件では多く用いられている。これは多数派(声の大きさ)を力として捉え、反対勢力が少なく、面倒なことが起きないだろうからそうしようとした逃げの思考である。

 視点を変えてみよう。多数派になりたがる、即ち、群れる人間はどういった特徴があるだろうか。それは、思考により最適解を導き出そうとする姿勢よりも周囲の人間との間で波風を起こさないようにしようと必死で生きようとする生存戦略を取っているというものである。例えば、日本の多数派を形成する自民党。彼らに投票をする者はどういった嗜好であろうか。思うに、周りの者が投票しているから、自分が所属する職場や拠点では自民党を応援している、有名なあの人と握手した、昔からこの近辺では力がある、というように自分が主体的に投票するかどうかをあらゆる視点から検討していない者が多数ではないであろうか。そういった方が多数派を占める世の中であるからこそ、自民党は多数派を形成し、政策立案過程に大きな影響を与えることができるものと考えられる。

2.多数派による推進がもたらす少数派の息苦しさ

 これまで見てきたように、日本では民主主義というワードを聞いた瞬間に多数決・多数派の形成に紐づく思想となっている。しかしながら、民主主義には少数派の尊重という側面があることを忘れてはならない。多数派は群れを作る傾向にある思考放棄型民族で成り立ちやすいが、それとは対照的に、少数派は自分軸をしっかりと主張する思考稼働型民族である場合が多くなっている。そのため、少数派の特徴の一つとして、群れを作らない(或いは群れを作ろうと試みても、意見の擦り合わせに多くのコストがかかってしまい、結果的に分裂してしまう。)ことが起きる。日本の野党が群れようと試みても何度も分裂を繰り返す、又は、少数派のままで力を持てないのはこれが原因の一つではないであろうか。少数派が多数決という思考放棄型民族が優位な戦場(多数決)で多数派を形成しようと尽力したところで、少数派の特徴が仇となり、多数派に押し切られることになるのは目に見えている。価値観の多様化という概念が蔓延る世の中において、多くの価値観が異なる少数派が分断した状態で存在していては、彼らが権利を声高に主張したところで権利を獲得することはそもそも無謀な挑戦であろう。

3.多様派を是とした意思決定ができないか

 歴史を振り返れば、少数派や弱者が権利を獲得する手段は、多数派が振り向くための強硬なもの(例えば、クーデターや革命)となる。しかし、そうした少数派が何をしれかすかわからない恐怖が多数派の結びつきをより強固にし、少数派の弾圧を企てようとする。また、多数派は資金を用いてマス層である思考放棄型民族を多数派に組み入れるメディアなどを用いた策などを用いてより多数の派閥を形成しようと躍起になる。この循環から解放されるためには、どのような政策などを始めとする影響が大きな決定に関するルールが望ましいだろうか。ここで、一つ提案したいのが、ある一つのイシューに対する対応策について、賛否両論の割合が50:50に近い策を採用するといった多様決という概念である。この手法を用いれば、多数派の多数派工作や思考放棄型民族の合理性の無い主張を排除でき、少数派だからといって配慮されないような社会にはならないことが考えられる。勿論、何かを実行するにあたって責任を負わされる者は尻込みをするであろうが、何かを実施するにあたって賛否両論がある意見の方がイノベーションが生まれやすく、社会が活性化しやすくなる利点がある。

「ワクワクした社会を創りたいのでれば、多様決によって決められた物事を面白がって実践する。」このアイディアを踏まえ、政府や企業などの共同体は意思決定に関するルールメイクに励んでいただきたい。

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