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嵐の後の静けさ



 今月初旬、3日間断続的に続いた線状降水帯による嵐のような風雨は、九州北部に大きな被害をもたらした。ようやく過ぎ去った日の翌朝、市内にある公園の丘へ登ってみると、途中の上り坂や階段には大量の土砂が流れ込み、周辺の森の枝葉が散乱するなど、その激しさを物語る荒れ果てた光景が広がっていた。

丘の頂上にある花壇もまた、ついこの間まで咲き誇っていた夏の花たちが傷つき、へし折れ、枯れているのが見渡せる。所々残っている花も元気がなく、よれよれと立っていた。

そうした中、花壇の片隅に唯一咲いていたのが薄紫色のヤナギハナガサ。細々とした枝葉の先に小さな花が密集して咲いていた。その構造ゆえに、どんなに風雨が強くても耐え凌ぐことができたのだろう。

ヤナギハナガサ(柳花笠)は、クマツヅラ科クマツヅラ属の多年草。別名サンジャクバーベナ(三尺バーベナ)。
南米原産で、園芸品種として栽培されていたものが野生化して、全国的に繁殖しているようだ。茎は強健で断面が四角形で中空。南米原産の植物たちは、流石に雨の少ない過酷な環境でも生き延びることができる強さを秘めているものが多い。
小さな花が密集して咲くのは、最小限度の大きさでも昆虫たちに気づかれやすくするための智慧だろう。国内でも耐寒性、耐暑性に優れ、植えっぱなしでもこぼれ種から毎年開花するとのこと。


そのヤナギハナガサの周囲には、一頭のナミアゲハがしきりに飛び回っていた。他にはほとんど花が咲いていないために、ここに集中するしかなかったのだ。
蝶もまた、この数日間の雨風を凌いできた。強い風がまだ収まっていないため、羽根をばたつかせて姿勢を保ちながら、必死に花にしがみつく。一度風に煽られ飛び上がっても、すぐにまたこの花に戻ってくる。久しぶりに吸う蜜の味はまた格別だったに違いない。

「嵐の前の静けさ」とは不吉なことが起こる前兆として、不気味なほどに平穏であることを指す言葉だが、英語には「嵐のあとには静けさが訪れる(After a storm comes a calm.)」という表現の諺もあるそうだ。

嵐の前の静けさと、過ぎ去った後の静けさは、同じ静けさであっても同じではない。
蝶が花の蜜を吸う光景は、見る機会少なくなったとは言え、あまりにもささやかな日常のひとコマ。しかし嵐が去った後の花とその蜜を求める蝶の小さな出会いには、安堵の空気感のようなものが漂っていた。それは痛々しくもあり、また神々しくもある姿に見えた。


昔若い頃に、インドでヒーリングワークのトレーニングを受けている最中、我が恩師バドレーナ・ジェミン氏が語っていた印象深い講義の話を思い出した。

『人が大きな癒やしを経験すると、遺伝子組み換えが起こる』

それは心身に不調をもたらす「原因」が取り除かれたならば、人により健康的な状態が再生される可能性があるという意味合いのものだ。

もしそうであるなら、花や蝶にとって繰り返し嵐を通り抜ける度に、何らかの教訓を学び、鍛えられ、よりよく環境に適応するための遺伝子組み換えが起こり、受け継がれていくということもまた然りだろう。これまでも命あるものはすべてそのようにして生きてきた。

もしかしたらこの時のナミアゲハの中ではこう感じるものがあったのではないか。

『嵐のあと、ちいさな紫色の花が生き残り、命をつないでくれた』

そのような、ちっぽけな癒やしの経験が、遺伝子に微かな振動を与え、配列を組み替える一因となるのかもしれない。
花も虫も動物も、そして人も。
これからもきっとそうやって生き続けていくのだと思う。




北九州市 県営中央公園花の丘




































letting go
Chad Lawson




P.S. にゃんこたちも元気




みぞおち空間さん
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