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大分から熊本へ② 森の水鏡



 熊本県阿蘇郡産山村の、牧草地の細く曲がりくねった道を抜け、谷間の原生林を進んでゆくと、やがて「山吹水源」と呼ばれる小さな池に辿り着く。
7万年前の九重火山群火砕流によって形成された台地に浸透した雨水が、何年もの時を経てやっと地表に湧き出た泉である。この清らかな水を神が産湯にしたという伝説がこの地に残っている。

 辿り着くまでの道はカーナビで表示されなかったため、幾度となく迷うことになる。たまたますれ違った小型ダンプカーを運転していた中年男性に道を尋ねる。すると満面の笑みを浮かべながら、まるで氏神の名を唱えるような親しみと誇りを込めて、その泉を『ああ、水源のことだね』と言い、嬉しそうに道順を教えてくれた。ここから流れ出た水はやがて地元の田畑を潤す恵みの水となる。 

 数年という時間をかけて台地の地下深くを流れてゆく水の速さはいったいどれ位なのか。調べると平野部では1日に数ミリから数メートル、1年では数メートルから数百メートルというオーダーで移動するという。
途方もなくゆっくりとした地下水の流れだ。「くじゅう連山」の神々しい山並の地下で磨き上げられた水はあまりにも透明で清らかで柔らかく、そして神聖だ。

 この谷間は気温がやや低い。周囲の森はすでに紅葉のピークを過ぎ、数本の樹だけが色づいた葉を残していた。それでも水面に映る森の情景は、澄んだ水の湧き出る勢いに揺らめきながら色彩の輝きを一層増しているように見える。

 時が経つのも忘れる位にその幻想的な美に酔いしれた。
溢れ出た水が流れ落ちる小さな堰を覗き込めば、周囲の色彩すべてを取り込んで、最後の一瞬、虹色に発光しながら川の流れへと落ちてゆく光景に出会う。

 この世に未来永劫続く確かなものなど何もない。
泉に映る秋の情景は一瞬幻のように煌めき、やがて消えてゆく。
泉を離れようとすると、泉の底から氏神が「この世は幻世よ。」と囁いたような気がした。

 


























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