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ドイツの生活。初めて、オランダに来た時。

僕は、九十年代に関西の大学で理工系分野を専攻し、基本的には、学校という制度は僕には全く合わないと思っていたにも関わらず、名古屋にある大学の博士課程まで行った。ひょんなことから、ハワイであった国際会議で知り合ったオランダ人夫婦の研究者から、「うちの大学に来て、研究続けたら。ポスドク(post doctoral researcher)のポジションが一つ空いてるから。」というお誘いの手紙をもらった僕は、博士号を携えて、オランダまで行ったのだ。オランダ行きの、文字通り片道切符と携えて、関西国際空港から両親と妹に見送られて、十五時間の飛行機の旅ののち、夢と希望に満ちた三十歳前の若者だった僕は、1999年5月、こうして、スキポール空港に降り立った。
長旅で、機内食は次々と食べるものの、飛行機の中では、出るものも出てくれない。(一体全体、飛行機の中でトイレの大きいほうをゆっくりとできる人なんているのかな)空港に着いて早々、僕は便所に駆け込んだ。大便用の個室に入って、便器に座ろうとすると、僕のお尻は、中腰の状態で既に便座の上に乗っていた。僕は身長が百八十七センチあるので、日本の洋式便所だと、文字通り「ウンコ座り」になる。僕の膝はお尻より高い位置に来て、三角座り状態で、用を足すことになる。こんな姿勢では、お腹が曲がってしまって、出るものも、すっとは出てこない。しかし、ここオランダでは違う。まるで茶道の先生のように、凛と背筋を伸ばして、便座に腰掛けて、用を足すことができるのだ。僕の膝は自然と九十度に曲がり、僕は、これまでに味わったことのない気持ちの良さで快調に用を足すことができた。これだ、これなんだ。オランダ、素晴らしいぞ。快適だ。ここは、背の高い人にとっては、地上の楽園だ。実際オランダ人は、僕くらいに背が高いじゃないか。いいぞ、オランダ。これで決まった、僕はオランダが好きになった。
僕は、パスポート検査を通って、ベルトコンベアに載っているトランクを引き取り、空港の検問領域外へと出た。オランダに着いた。空港は、海外からの旅行客やビジネスマンらしき背広を着た紳士、僕の飛行機に同乗してきたと思しき、ツアーガイドに率いられた日本人観光グループ、頭にオレンジ色のターバンを巻いたインド人らしき人の群れ、身長が百八十センチ以上ある、学校帰り風の若い女の子達、T-シャツから、健康そうな褐色の肌をのぞかしている、筋骨隆々のインドネシア人、ボロボロのリュックサックを背負ったカナダからのバックパッカー、髪の毛がブロッコリーのように盛り上がった褐色肌の女性とその横を歩く背の小さなヨーロッパ人、2メーターを超える白人の大男達で溢れかえっていた。外は晴れのようだ。空港の大きな出口から柔らかい初夏の光が差し込んでくる。今は、ちょうど十一時頃だ。
暖かい初夏の日差しを少しだけ浴びて、僕は少し気楽な気分になった。ここで、背をいっぱいに伸ばして、大欠伸したいところだが、如何せん、大きなトランクと手荷物のリュックサックを背負った、遠くは東アジアから遥々来た僕は、もし欠伸を一つしている最中にトランクが盗まれやしないかと、気が気ではなかった。
次に、目つきの悪そうな若い男のやっている通貨交換所で、手持ちの日本円紙幣を当時のオランダの通貨、ギルダーに交換した。当時は、換算価格が良いとか悪いとか、考える頭さえなかった。ただ、最初に見つけた交換所で、当面要るお金を手に入れた。おそらく、僕は大いに損したんだろうと、今から考えればそう思う。
スキポール空港から、僕のオランダでの勤務先となるアイントホーフェンの大学へは、南西に向かって、電車で1時間半ほどである。僕の記憶では、スキポール空港駅から普通列車でロッテルダム近郊のドルトレヒト駅まで乗って行って、そこでまた別の普通列車に乗り換えて、アイントホーフェン駅まで行く。僕は、ゆっくりと走る普通列車に揺られて、アイントホーフェンへ向かっていた。窓の外には、牛の放牧をする牧草地が広がる。緑の中に、遠くに見える茶色と白の点々に見える乳牛は、多分草を食んでいるのだろう。ある駅で、多分ブレダだったと思うけど、多くの乗客が乗り降りしてきた。その中の一人、若い20歳くらいの女性が、向かい合わせになっている客席の、僕の前の空いた席に座った。彼女は、学生らしき感、無地の半袖シャツとジーンズという服装で、身長が180cmあり、大半の金髪のヨーロッパ人同様、おそらく染めているのだろうが、いわゆる金髪で青い目の、美しいコーカシアン女学生だった。
彼女はまず、僕の前の席に座り、リュックサックを横に下ろすと、そこからティッシュを取り出して紙縒り(こより)を作り、片方の鼻の穴に突っ込み、それをねじ回し始めた。紙縒りで鼻を掃除するというのだ。しかも反対の手で顔を隠すのでなく、堂々と。最初右側、そして左。僕はその姿を見て仰天した。うら若き女性が人前で鼻を紙縒りでほじるなんて。家ならわかるが、ここは電車の中だぞ。他に乗客もいっぱい乗っているぞ。恥じらいとかそういうのは無いのか。それとも、よほど鼻の中が痒くて、どうしようもできなかったのか。
しかし、よく考えてみると、彼女の態度の方が正しいかもしれない、いや正しいんだろう。世間体や人目を気にして何になる。大体から、人前でするか人目につかない家の中でするかだけの違いで、結局、人間は鼻をほじる。人間は、鼻に溜まりすぎた鼻糞なるものをいつか掃除する。美人でもそうでなくても、老いも若きも、王様でも貧民でも、大人も子供も、男女、または第三の性の差に関わらず、我々人間は10000年以上、指で、葉っぱで、紙縒りや鼻紙で、鼻を掃除してきたんだ。水で毎日鼻の穴を洗うのも同じことだ。この行為は人間が未来永劫存在する限り、我々が日々行う行為なのだ。そう考えると、何か前向きな考えが湧いてきた。この瞬間、オランダ人は何て素敵なんだ、と思った。鼻掃除の終わったオランダ人女学生は、リュックサックから大学の教科書らしきものを取り出して、読み始めた。僕は、だんだんと過ぎゆく田園風景を見ながら、旅上を楽しんでいた。今日は、オランダで二つのことを学んだ。ここのトイレは僕用に作られているので、至極快適だ。前のオランダ人女学生を見習って、僕も世間体や人目を気にせず、自分がしたいことをしよう、またここオランダはそれが許されるのだ。
そうこうしているうちに、電車はアイントホーフェン駅に到着した。僕はプラットホームに降り立った。一緒にたくさんの乗客も下車した。アイントホーフェンは比較的大きな駅である。トランクを抱えて階段を降りる。そして駅を横切る地下通路に出る。左方向に行くと、街の中心部で、反対方向は大学のある方向だ。通路には小さな花屋の出店が出ていた。年配女性が綺麗な花束を包んでもらっていた。
その地下通路を通り抜けると、駅前広場に出た。タクシーの待つロータリーがある。その迎えには、道を挟んで、数件のカフェが並んでいる。昼間、オランダらしき人々が、テラスの席に座り、コーヒーや小さなグラスのビールを飲んでいた。日差しが少々強いので、多くはサングラスをかけている。僕はタクシー乗り場で、一番前で待っているタクシーの運転手に声をかけた。当時の僕の日本語風英語の発音は彼らには聞き取りにくかったろう。
僕『すみません。英語を話しますか?このホテルに行きたいのですが』
タクシー運転手『少しならしゃべれます。あなたの希望に添えるほどかどうかはわかりませんが』
これがオランダ人だ。この言い草が典型的なオランダ人だ。僕よりもはるかに上手に英語を話すじゃないか。僕は自分でトランクをタクシーのトランクルームに入れて、後部座席に座ろうと、後部ドアを開けると、
タクシー運転手『ああ、前の助手席に座ってください。オランダでは通常、お客も前の席に座るから』
僕は助手席側に行き、座った。その時初めて、僕は気づいた。オランダでは、タクシー運転手は女性なんだ。2024年の今なら、日本でもたくさんの女性タクシー運転手がいて、日々普通に働いている。しかし25年前の日本では、僕は一度も経験していなかった。あれは驚きだった。40代後半の恰幅のいいオランダ人女性がタクシーを運転する。彼女は、背広のようなものを着ていた。
僕の泊まるホテルは、駅から1キロも離れていないところにあるが、如何せん、重いトランクを持って歩いてはいけない、と思った。タクシー運転手はロータリーを回って、市街地の西側の道を走る。彼女はおもむろに、
『これ食べる?オランダ名物のお菓子なのよ。初めての人には、ちょっと変な味かもしれないわね。』
と言って、粉砂糖のかかった黒い色の豆のようなものをナイロン袋から出してきた。しかし、僕は少し戸惑った。5分前に偶然会った、異国オランダのタクシー運転手から、見たこともないような黒いものをもらって食べるかい?しかし、その反対に、親切なオランダ人が好意からくれるのだから、断るのも何だなあ、という気持ちもある。
『ありがとう。試してみます』
と、その豆なるものを受け取って、心を決めて、口に入れた。
そいつは、硬いグミのような、甘い飴玉のようなもので、変な、その時の自分では表現できないような味がした。飴系で甘いから、そういう頭で、甘い以外の味の部分を特定しようとするが、どうにもわからない。困ったような感じの顔をしている僕をみて、タクシー女運転手は、助け舟を出してくれた。
『どう、変な味でしょ。歯磨き粉の味がするでしょ。口に合わないかな』
ああ、そうか。歯磨き粉の味だ。単なるミントの味ではなく、歯磨き粉の味以外何者でもない味だ。
『ああ、本当ですね。こういうの、初めて食べました』
『これね、ドロップイェ(Dropje)っていうのよ。ヨーロッパでは、ラクリッツ(Lakritz、これドイツ語。この時、lとrの発音の区別もつかなかった)とかリコリス(licorice、これは英語)とかいうやつよ。多分、あなたの故郷では、こういうの、食べないんだろうね』
『食べたことないね』
『おいしくなかったら、ここに戻しなさいよ。ゴミ箱に捨てとくから』
と言って、心優しい、オランダ人女性のタクシー運転手は、僕の顔の前に彼女の右手を出した。そんなこと、できないですよ。初めて会った人からもらったお菓子が、おいしくないからといって、一度自分の口に入れたものを彼女の手の中に吐き出すなんて、到底できませんよ。
『いや、最後まで食べますよ。ありがとう』
というやりとりをしている間に、タクシーはホテルの前に着いた。僕は、タクシー料金をギルダー紙幣で払った。タクシー運転手は僕のトランクを下ろしてくれて、
『オランダでの生活、楽しんでね』
と声をかけてくれる。あの心優しいタクシー運転手は、再び、駅のほうへ向かって、ゆっくりと車を出していった。この時以来、彼女には会ったことがない。
ホテルに着いた。そこは、一階が深緑の木の窓枠に縁取られたレストラン風で、右側に普通の家と同じような木のドアがある。非常に古い建物のようだ。ここが入口のようだ。入ってみると、すぐ左の先ほどのレストランの広間に通じるドアがあり、まっすぐ2メーターほど行くと、オランダの古い家でよくみる、傾斜度が60度くらいあるかと思える、急な階段がすらっと二階へ向かって伸びている。とりあえず、レストランの方へ行ってみる。午後3時過ぎだ。予想通り、そこには誰もいない。少し待ってみるけど、誰もいない。僕は大きな声で、『すみません、すみません』と英語で声をかけてみる。5分ぐらい待つと、掃除をしている風の、年配の女性が出てきた。
『日本から来たもので、アイントホーフェンの大学で働くことになっている。大学の秘書から、ここに2週間、僕のために部屋をとってあると聞いて来た』
年配の女性は、すぐに裏の方に引き返し、ホテルの女主人、あとで聞いたが、かつてオランダのオペラ劇場で、ソプラノ歌手として歌っていたという、美しい、優雅な老婦人が出てきた。
『大学の方から連絡を受けてるわ。あなたの部屋は、2週間分、二階にとってあるわ。料金はすでに大学の方が払ってあるから、心配しないで』
老婦人は、レストランの壁側にあるバーの後ろから、僕の部屋の鍵を取り出して、僕に渡してくれた。古い鍵だ。重さ1キロ以上ある、部屋番号が掘り込んである真鍮製のキーホルダーに、これまた、キャプテン・フックが秘密の島に隠した宝石箱を開けるような、大袈裟な飾り鍵がついている。
『これが部屋の鍵。部屋番号はそこに書いてありますでしょう。明日の朝は、ここで8時から9時まで朝食が出るから、よろしかったら朝食をとってくださいな』
なんて優雅なご婦人だ。僕は、ありがとうございますと言って、レストランを後にし、階段を登り、今日から2週間過ごす部屋に着いた。道路に面した、一人用の部屋で、薄い緑色の壁で囲まれている。ベッドがあって、窓際に小さな机がある。机の上には、赤い色の花束を差した花瓶があった。それだけだ。テレビセットもラジオもなし。床は使い古した絨毯で覆われている。なんか、何もかも古風だ。唯一現代的といえば、簡単なデジタルの目覚まし時計が、ベッド横のナイトテーブルの上に鎮座している。トイレや風呂場はついていなかった。どうやら、部屋を出た前にある、トイレを共有するらしい。シャワー室もおそらくどこかにあるのだろう。ここからの記憶は、全く飛んでいる。多分、時差ぼけで疲れていたから、早いうちに寝込んでしまったんだろう。夕飯を食べたのか、シャワーを浴びたのか。街の方へ散策に出たのか、スーパーマーケットは見つけたのか。ビールか何か飲んだんだろうか。全く記憶にない。
翌朝、8時に目覚めた。まず、トイレだ。どうやら、空港で出た分だけでは足りずに、日本からの宿便が残っているようだった。トイレの場所は見つけてある。僕の部屋の前だ。小さなトイレに入って、用を足す。何と清々しいことか。なんかいい気分だ。溜まっていたものが全てで切った感じだ。なんかお腹も急に減ってきた。朝ごはんに行こう。まず、トイレを流さねば。ここで困った。トイレを流すノブがどこにも見当たらないのだ。狭いトイレ中を探す。こんな時、ホテルの人を呼んで聞くわけにもいかない。足元にもない。便器の横にもついていない。壁にボタンもない。よくみると、流す水のタンクは、便器の後ろの壁の高いところにあるから、どうやら、ここから水を流して、トイレを洗浄するようになっているんだろうということは推測できた。しかし、こういう形のタンクについている、金属や木綿でできた紐がどこにもぶら下がっていない。通常、こういう紐を引くと、タンクの底にある弁がテコの原理で開いて、勢いよく水が流れる方式になっているはずだ。どうしよう。焦る。どうやら、僕以外にも宿泊者がいるみたいで、トイレの前を行ったり来たりしている音が聞こえる。どうする?僕は苛立ちから、目の前に見えた、頭上に鎮座する水タンクと便座を一直線で繋ぐパイプを軽く叩いてみる。そうすると、便器に少し水が流れたのだ、しかし、わずかだ。チョロチョロと水が上から流れて、しばらくすると止まった。パイプはなぜかプラスティック製だ。僕は、このパイプを触ってみた。どうやら二重構造になっていて、中にも金属製もパイプがあるらしい。とにかく、このパイプを触れば、水が流れる。僕がパイプを捻ってみる。次はパイプを押してみる。何も起こらない。論理的な帰着として、最後に、このプラスティック製のパイプをぐるりと手で掴み、下に引いてみる。ビンゴ。上から水が勢いよく流れた。僕の排便も綺麗にトイレの中に消えていった。これにはまた驚いた。
服を着替えて、食堂に行く。年配の男性が一人、丸机に座って、朝ごはんを始めている。彼は、僕の方に振り返り、オランダ語訛りの英語で、
『君が大学に勤務する日本人か。まあ、そこの空いてるテーブルに座りなさい。ここにコーヒーがあるから、飲んだらどうだい』
と、ポットに入ったコーヒーを手渡しでくれた。僕は、ソーサーの上に裏向けて置いてあるコーヒーカップをとって、そこにコーヒーを注ごうとしたが、ポットにはコーヒーが入ってなかった。年配の男性は、レストランの後ろに向かって、大きな声でオランダ語で何か言い、しばらくすると、昨日、掃除している風であった女性が、コーヒーポットを持って来てくれた。このコーヒーの、何と美味しかったことか。オランダのコーヒーはこんなに美味しいのか、と感銘を受け、ゆっくりとコーヒーを飲んだ。年配の男性は、立ち上がって、パンやらチーズやらが置いてある、朝食ビュッフェ風のコーナーへ行き、お皿の上に色々ととってきて、また自分のテーブルに座り、再び僕の方を見て、
『好きなものをとって食べるといいよ。ゆで卵も出来立てのがあるから、食べるといいよ』
と親切に教えてくれた。僕は、立ち上がって、底にあるお皿を取って、薄く切ったパンやら、ハムやら、チーズやらを取り分けて、礼を言おうと、年配の男性の方を一瞥した。ここで僕は、またまた驚かされた。彼は、お皿の上に、最初に薄切りパンを一枚敷き、その上にバターを塗り、チーズを載せ、その上に薄切りハムを載せる。そうして、おもむろと、ナイフとフォークを手に取るのだ。そうして、自分で作ったサンドイッチを、左の端から、おおよそ2センチ角に切り分け、その切り分けた2センチ角のサンドイッチをフォークで、ゆっくりと自分の口へと運んだのだった。そうして、次々と彼はサンドイッチをナイフとフォークで食べていった。これは、初めて見る光景だった。オランダって、ちょっと違うな、パンをナイフとフォークで食べるのか、と驚きもし、感心もし、僕も彼に真似て、ナイフとフォークで僕の朝食を食べたのだった。

その後、大学へ初めて出勤した。その話ままた今度書くこととしよう。




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