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事故肯定感

わたしはネット上で、失敗したことが何度かある。

SNSを閲覧していると、いろんな人に出会う。
自分のメイクを紹介する美容垢、推しを全力で推す推し垢、胸に溜まった独り言を放出する裏垢など、表社会では出せない自分を存分に出している人が多い。

その中で、「闘病垢」と呼ばれるアカウントでつぶやいている男性に出会った。その方は、「自分には精神疾患があるから」と後ろ向きになりがち、色んなことにネガティブで、一歩踏み出せないようだった。
でも普段のつぶやき、リプライなどを見ると、思いやりもあり、決して悪い人ではない。一生懸命生きているし、仕事も頑張ってきている。転職やその時々の人間関係でうまくいかなかっただけのように思えた。
だから、「〇〇さんにはこんなに良い部分がありますよ、だから〇〇さんはもっと自信を持っていいのでは」といった主旨を話した。
そうすると、とても喜んでもらえたが、その後「俺って最強」などという言葉を連発する人になってしまった。自分を肯定できるようになったまでは良かったが、不用意に思い上がらせるきっかけを作ったり、持病に対する慢心まで招いてしまったのだ。これは良くないな、と反省した。

また、別な人でも、こういうことがあった。
とある賞レースに取り組んでいて、日夜努力している姿を発信し、頑張っている方がいた。
そしてその方が、ついに大きな賞を受賞した。
誰に対しても低姿勢、私はその人の腰の低さや努力家なところがとても好ましいと思い、この人になんとか陽があたらないものかと常々思っていた。
だから受賞された時、あたかも自分の夢が叶ったような気分になり、高揚した気分のままメッセージを送ってしまった。
「〇〇さん、すごく頑張ってたし、本当に良かったです。〇〇さんの魅力がちゃんと伝わってよかった!受賞という形になってよかった!こことここの部分がとてもよくて‥」と、溢れるように思いのまま語った。
「本当にありがとうございます」と感謝していただいたものの、とても謙虚で優しく、丁寧な人だったのに、その後、話し方や雰囲気が少し変わったのがわかった。
「上から下を見てモノを言う人」の顔つきがチラホラ伺えるようになったのである。その時また、「あれ、やばい、上げすぎた!」と思った。自己肯定感エレベーターに乗って、最上階まで行ってしまった彼を下ろす術が見つからない、どうしようと。

自信満々を超えると、ヒトは自信過剰になる。
わたしがメッセージを送ったことで、その人の心の中の「自惚れ」や「虚栄心」といった、開けなくていい変な扉を開けてしまったのだ。
褒めて伸ばすという言葉があるけれど、長所を伸ばすどころか、長所を奪ってしまったのではないかと、わたしは思い悩む。
自分を認めてあげられる、自己肯定感をあげるのは大事なことではある。
しかしどうやら、私は他人の「自己肯定感メーター」を振り切るくらい、爆上げさせてしまうらしい。
もうこんな事故は起こしてはいけないと、必要なところだけ褒めるように心がけてはいる。が、やはり頑張っている人に対しては、心から褒め称えたくなるし、褒め方に熱もこもってしまう。

そんなことに悩んでいる時、私と同じようなことをしている人に出会った。

「ろばこさん、お弁当一緒に食べましょ!」

幼稚園のおやこ遠足で、お弁当の輪に誘ってくれた、社交的で友達の多い、佐藤さん(仮名)。
私は声をかけるのが苦手なので、とても救われた気持ちで、おしゃべりに加わった。座るやいなや、同席したお母さんのお弁当を見て、佐藤さんはイキイキと褒め始めた。
「このお花みたいな卵焼き、めちゃくちゃ可愛いですね!どうやってつくったんですか?」
「錦糸卵を作って、切ってくるくる巻いただけですよ」
「スゴイです!動画とかだと、よくわからないんです、今聞けてよかった!わかりやすい説明です!」
その他に同席していたお母さんが、
「わたしは割と動画で調べてますよ、結構いいですよー」と言うと、「動画もいいですよね!そういうの観たい時もありますよねー」と言う。
どっちがいいのだろうな?と思っていると、話しかけられた。
「ろばこさん、夏休み、遊びませんか?」
「わたし、夏休みは帰省しちゃうんですよー」
少し間を空けてから、
「帰省!しましょう!いいと思います!」
帰省先がない彼女は、1か月ほど子供たちを家で保育するのは大変だろうし、自分だって帰省したいだろう。が、私の身になって「いいと思います!」と全力で言う。

でも私は佐藤さんを見て、無理に持ち上げているとか、お人好しとか、気を遣っているとかではなく、「ただ、相手の後ろに乗っている状態」なんだという気がした。

たとえば、サーフィンをしている、その人のサーフィンボードの後ろに乗せてもらったような感覚。
「SNSが嫌い」な人の波に乗れば、ああ荒波だ、そうだよね、嫌いだよね、飲まれるのつらいし、と思うし「SNSが好き」な人の波に乗れば、色んな波が来るね、こんなに楽しい波がいっぱい来るよ、これも楽しいよね、と一緒に体験している。
乗ろうとする波の形や速度は人それぞれで、荒波に果敢に挑戦するチャレンジングな人のボードに乗れば、自分も何かに立ち向かうチャレンジ精神が湧いてくるし、静かな人のボードで優しい波に乗れば、こういう穏やかさっていいな、と思う。
誰が正解、間違いと言うことはなく、その人の乗り方がそこにあるだけ。ボードに乗る人はみんな頑張っているし、わけのわからない動きをする波に乗って生きているだけでみんなすごいなと思う。

いろんな人のボードに乗せてもらうのは楽しい。きっと佐藤さんも、だれかのボードに乗る楽しさを肌で知っているのかもしれない。
私は内向的だから、社交的な佐藤さんのように、声をかけてたくさん友達を作ったりできない。でも色んな人の人生の波に乗せてもらうのは、きっと楽しいって事だけはわかる。
一緒にワクワクしたり、悲しくなったり、頑張ったことをわかってあげられる。だから思い切り褒めてしまう。

わかる、わかるよ、その気持ち。こんな荒波に乗ってたら当然そう思うよね、次の波くるの不安だよね、と。一緒にサーフィンしてしまう。
だからこれからも、人より余計に褒めすぎてしまうかもしれない。
私に褒められる人は、お願いだから事故だけは起こさないでほしいので、今後の行動に留意しながら生きてほしい。

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