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紙の書物が好き

活字や図版は、所詮情報というソフトウェアであり、書物はハードウェアと言える。PCやスマホに取って代わられるのも機能上は無理のない話である。
メディア(媒体)としてもレコード(記録)としても人類最古のものであり、現代に於いても私達に最も親しまれている「本」。
書店の相次ぐ閉店に寂寥を感じるのも、私の世代までかも知れない。「本」という文化は生活に密着していて離れがたいものだった。図書館や書店や古本屋さんは知の遊園地であり、私達を日常から開放し別世界に誘ってくれた。

Breakfast at Tiffany's Paramount Pictures 1961
Breakfast at Tiffany's Paramount Pictures 1961

映画「ティファニーで朝食を」を子供の頃に観た。
ヒロインが男性に誘われて、ヨーロッパ様式の図書館に入る。男性は司書に話しかけて本を持ってこさせる。それが何と男性の書いた本なのだった。
カッコいい!
このシーンを観てから、成長した私が女の子を口説く時には、必ずこれをやろうと心に決めた。
これは現代に於いて、まだカッコいいだろうか?

学生の時、「明日に向って撃て」の真似をして自転車でコケて、前に座らせていた女の子の服を汚してしまった事ならあるが、まだ私の書いた本が図書館にないので、このドヤ・アピールは未遂に終わっている。国立国会図書館にならあるかも知れないが、絶対に出て来ないだろう。
そもそもが、こんな事がカッコいい時代は最早ないのかも知れない。

たとえば電子書籍をスマホで見せて、ドヤ顔ができるだろうか?
個人が書いた文章は、たとえ耐え難い駄文であったとしても、ネットで全世界に拡める事のできる時代だ。書物の持っている権威は、幻想と化してしまったのである。

それでも私は布張りの全集が好きだし、文庫本も新書も好きだ。まだまだ私はそういう世界に生きていて、これからも生き続ける。
私の死後、文明が機能として書物を必要としなくなっても、伝達や記録が別のハードウェアに委ねられたとしても、書物の文化は純化して残るだろう。
これからも私の読書シーンに、電子書籍リーダーやタブレットやスマホは登場しないだろう。私にとって読書はただ文字情報を得るだけの行動ではないからだ。


2023.2.6


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