【書評】絶望を希望に変える経済学
2015年、貧困撲滅を掲げたミレニアム開発目標(MDGs)は華々しい成果とともにその役目を終えた。しかし先進国では対照的に、国内の分断と格差拡大が叫ばれ、コロナによるパンデミック以前から閉塞感が漂っている。
世界は時間とともに良くなり続けている、という意見は最近いくつかの書籍で見かける。それは間違ってはいない。確かに貧困はここ数十年で激減したし、中世・産業革命期・大戦期に比べたら私達はずっと豊かで平和な暮らしを手に入れた。
だが、ごく短い10年や20年といった期間で、富裕国に限ればどうだろうか。両親が得たものより多くを得られる、成功できると信じられる人はどれほどいるだろうか。悲観的な観点から世界を見ると、顔も知らない1%のお金持ちだけがますます豊かになり、私達残りの99%はより悪化した経済状況に取り残されている。
そして、この本も決して楽観的ではない。
開発経済学のスーパースター
著者であるアビジット・バナジーとエステル・デュフロは2019年にともにノーベル経済学賞を受賞した、貧困を研究する開発経済学のエキスパートだ。MDGsが素晴らしい結果を生んだことも、彼らの導入した実証手法があってこそだろう。そして、ちょうどノーベル賞を受賞した直後に、原書は出版されている。
二人は以前にもコンビを組んで本を書いている。前著『貧乏人の経済学』では、固定観念を排して貧困の中で生きる人々の実情を描いた名作である。2011年に出版されたものだが、今読んでも面白いし、貧困そのものがなくなった後に読んでも面白いかもしれない。
ところが、今回出版された本は、彼らのこれまでの研究成果のお披露目の場という訳ではない。それどころか、アメリカやフランスといった富裕国がテーマになっているので彼らにとっては同じ経済学とはいえ分野外でもある。
自分の研究分野とは異なる領域について本を書く、というのは相当な労力に違いない。それでも彼らは執筆を始めたのは、富裕国の現状の課題は、彼らの研究対象である発展途上国が抱えていた、経済成長から取り残された人々、拡大する不平等、政治不信、分裂する社会といった問題とよく似ているからだという。
市場の失敗
経済学は非常に強い仮定を置く学問として発展してきた。自然科学とは違い、理論というものが証明不可能である以上、理論そのものが何か重大なことを見落としている、正しくないということも普通に起こりうる。
この本では国際貿易がその事例だ。経済学の理論では、それぞれの国がお互いに得意なこと(産業)に取り組み、お互いを補完する形で国際貿易を行えば、最終的には両国のGNPを増やすとされている。ただし、国を構成する全員が得をするにはいくつか条件があり、富の再分配が正しく行われること、それぞれの国の苦手なこと、即ち衰退産業から生き残った産業へ人々が移動する必要がある。
だが実際はそうはならず、人々は移動しないし仕事を変えることもしないという事実が指摘されている。理由はそう難しくない。特定の産業で発展してきた地方が産業の衰退とともに、経済が停滞し労働者は職を失う。だが、たとえ貧しくなる一方だとしても、自分の故郷から出ていくのは勇気がいる。持ち家があり、家族や友人がいて、何十年も同じ仕事をしていれば、今更シリコンバレーに移って一からエンジニアとしてやり直そうなどという気にはならない、というのは腑に落ちる話だ。職歴が長ければ長いほど、その仕事に対してプライドもアイデンティティも持つようになるだろう。
若年層を考えても、環境という要素は無視できない。米ボルティモアの麻薬取引を題材にしたドラマ『ザ・ワイヤー』では、とある母親が中学生の息子に対して、「父親のように路上で麻薬を売って稼いでこい」と叱り飛ばすシーンがあった。これはあくまでも極端なケースだが、今いる場所から抜け出す方法がない、あったとしても未知の世界に何の保証もなく飛び込む気力がないという人々は多い。
もう一つ指摘されているのは発展した地域の家賃の問題だ。低技能労働者の場合でも豊かな地域の方が給料は高くなるが、法外な家賃を払った後に残る可処分所得は貧しい地域の方が多くなる(そして部屋の広さなどの住環境も貧しい地域の方が良いはずだ)。
絶望と怒りと尊厳
経済には浮き沈みがある。ここ数年は成長が鈍い時期でパンデミックによって一時的に減退したが、もうすぐまた経済が活気を取り戻し多くの人々が裕福になれる日々が来るかもしれない。
だが、少なくとも現状では親の成功を子が模倣するのは極めて難しくなっている。アメリカン・ドリームは人々の価値観・規範として残りつつも、それが時代遅れになっていることは数字が証明している。その古い固定観念と競争社会であるという建前が、裕福になる機会を逃したのは自己責任であり、貧しいのは己の怠惰であるという価値観に繋がる。
その一方で、ほんの少し前にピケティが、1980年代以降不平等が拡大し続けていることを実証したばかりだ。現在の格差の水準は1929年まで遡らなければならない。加齢とともに、自分の人生が自由市場やアメリカン・ドリームが約束した華やかなものではなくこのまま貧しさの中に取り残されるのだと悟ったとき、人々は絶望や怒りを持つ。アメリカでは中年白人男女の「絶望死」、即ちアルコールや薬物の乱用、自殺などによる死が1990年代以降増え続けているという。
また絶望しなかった人も移民や貿易を標的に怒りを持つ。過激な思想に走る多くの人々は、何らかの形で昨今の成長信仰とでもいうべき経済政策の犠牲者であり、尊厳を傷つけられたのだと著者は指摘する。これまで私達は、そうした貧しい人々は自己の判断の結果だと見てみぬ振りをしてきたかもしれないが、怒りや絶望を抱えた人々があまりにも増えすぎると、社会に対する信頼性そのものが崩れると訴えている。そうした実情が現在のポピュリズムが跋扈する政治であり、国内分断という形で顕在化しているのだという。
この本のメッセージは明確だ。経済成長を目指した政策は何の成果も産まない。むしろ、不適切なリソースの分配が社会の信頼性に大きなダメージを与える。著者らは、貧しい人々を敗者とみなして施しのように最低限の保障を与えるのではなく、全員が希望を持って尊厳とともに生きていける社会を創ることを提案している。
日本とコロナと
2019年秋に出版されたこの本には、当然現在のパンデミックについては触れられていない。だが、適切な経済政策が講じられない限りこの本で述べられているような格差や貧困に苦しむ人々の数は今後間違いなく世界中で増える。中心に据えられているのはアメリカとフランスの事例だが、日本でも、失われた30年の中で高度経済成長の亡霊に取り憑かれ経済成長を優先した富裕層・大企業優遇の政策が行われた結果、貧しい人々の数が着実に増えている(しかもその政策に目立った成果はなく、少子高齢化など、30年前に問題とされた多くの経済課題は未だ解決の見込みなく放置され続けている)。
欧米ほど深刻ではないが、日本でも分断は進んでいる。アメリカの議会で共和党と民主党が「同じ言葉を使っていない」と揶揄されるように、日本でもネット上では議論になっていない舌戦が繰り広げられている。
内田樹教授のブログにもあるように今求められているのは、弱者を切り捨てたり、特定の誰かへ利益を供与したりするのではなく、信頼に足る政府が全体を救おうとすることなのだ。
前例のないパンデミックに世界各国は独自の経済政策を掲げ取り組んでいる。それが国内の分裂を加速させたか、減退させたかはきっと数年後には分かるだろう。
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