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肥後椿展@水前寺成趣園

こんにちは。先週土曜日に、熊本市の水前寺成趣園で開催されていた肥後椿の展示会に行って参りました!肥後六花全てを観賞してnoteに投稿するのが今年の目標のひとつなので、まずは皮切りに肥後椿の投稿が実現できて嬉しいです😊この日は天気も気候も良くて、水前寺成趣園(細川藩主が作った庭園。通称水前寺公園)の景色も素晴らしく美しかったので、合わせてご紹介したいと思います。(川尻散策レポート3回目は現在作成中ですが、お花の記事は鮮度が命なので、こちらから先にUPします🙇‍♀️)

肥後六花と肥後椿について

まず肥後六花と肥後椿の説明をさせて頂きます。
肥後六花(ひごろっか)は、肥後椿(ひごつばき)、肥後芍薬(ひごしゃくやく)、肥後花菖蒲(ひごはなしょうぶ)、肥後朝顔(ひごあさがお)、肥後菊(ひごぎく)、肥後山茶花(ひごさざんか)の6種の花の総称になります。

【肥後六花について】

肥後六花の歴史は古く、いまから250年ほど前の、江戸時代までさかのぼります。熊本藩のお殿様、六代藩主・細川重賢公が、家臣(武士たち)の精神修養に園芸を奨励したことに始まったといわれています。
 六花に共通する特徴としては、「端正な一重咲きで優美な花芯、清らかな色」 であることです。
「花連」と称する肥後六花それぞれの保存団体の厳しい規律と武士の誇りのもと、苗と種は、「門外不出」の宝として厳しく守り継がれてきています。肥後六花の栽培方法や鑑賞方法は、それぞれに独自の作法が伝わっています。「肥後六花」は、先人たちが守り伝えた美と修練の結晶です。季節ごとに美しく咲き誇る花々からは、昔の人たちの思いを感じることができます。

熊本県HPより

【肥後椿について】

細川重賢の藩滋園に栽培され、藩主渡航の「波奈之丸」の天井画にも見事な椿が描かれており、椿が既に重きを置かれていたことが思われる。1829年(文政12年)の「文助筆記」では既に30品種の肥後椿が鉢植え培養法とともに記されている。現存する老樹から推定すると150年から200年以上の歴史があると考えられる。明治20年代に最盛期を迎え、皆花園、名花園が発行した「椿花名鑑」には約120品種が記載されていたが、大正期に椿栽培が衰退し、戦争で多くの品種が失われた。熊本市は1974年(昭和49年)に「市の花」に選定

水前寺成趣園出水神社発行 肥後六花リーフレットより

肥後椿の展示会は、庭園内にある展示室で行われていましたが、先に美しい庭園の風景をご紹介し、最後に鉢植えの肥後椿の写真を掲載します。

水前寺成趣園の風景

水前寺成趣園は、1632年に肥後細川藩初代藩主細川忠利公が熊本城東南の湧水地に水前寺というお寺と御茶屋を建てたのが始まりで、その後三代に渡り作庭が行われ現在の姿となりました。阿蘇の伏流水をたたえる回遊式庭園で、国の名勝・史跡に指定されています。

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正面入り口から入ると、正面の広場には鯉の餌目当てなのか、沢山の鳩がいました。何匹かは地面にベチャッと座って目を閉じていて、大丈夫なのか?と思ったら、前後不覚で寝てるだけでした笑こんな姿、街中では見かけません。警戒感ゼロ😆

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広場の先には優美な石橋があって、その先に出水神社があります。石橋付近で撮った写真です↓

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左側の石橋の先に出水神社の鳥居が見えます
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自ら目の前に飛んできて注意を引こうとする鳩
何アピール?
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湧水なので水がとにかく綺麗です。鯉もそこら辺の川や堀にいるものと違って柄がゴージャスです。高いんだろうな
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カモもたくさんいました。水面がキラキラして綺麗
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白鷺と松。白鷺が飛来してくれて完成する庭園の風景です

出水神社

出水神社は、西南の役後の明治11年に創建されました。肥後細川家初代細川藤孝(幽斎)公ほか三柱を主祭神とし、歴代藩主とガラシャ、あわせて十五柱が祀られています。

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偶然、丁度、結婚式があっていました!
後から調べたらこの日は大安。天気にも恵まれ最高の結婚式日和ですね㊗️

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出水神社を過ぎたら梅園があり、手入れされた梅と松の饗宴が美しすぎました。

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手付かずの自然も荘厳で素晴らしいですが、手入れされた木や花も繊細で美しいですね。自然に対する敬愛の心があるからこそ、人間が手を加えることでまた別の美しさが立ち現れるのでしょうね

細川藤孝(幽斎)公・忠利公の銅像

梅園の先には、細川藤孝(幽斎)公・忠利公の銅像がありました。

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細川幽斎公は室町将軍家に始まり、信長、秀吉、家康に仕えた数少ない武人である一方、諸芸に通じた一流の文化人でした。古今伝授の継承者であったため、西軍に囲まれ万事休すの状態に陥った際も、幽斎の死で古今伝授が途絶えることを危惧した天皇の勅使によって助けられたそうです。天皇家、将軍家、信長、秀吉、家康から重宝されるってどれだけ人徳のある人物だったんでしょうね
この日帰宅したら丁度、NHKで英雄たちの選択スペシャル「プロが選ぶ最強の戦国武将」があっていて、関西ブロックの第10位に、細川幽斎がランクインしていました!タイムリーで嬉しい😊

細川忠利公は、忠興さんとガラシャさんの御子息です。それだけでバリバリなのは想像できますが、徳川家の人質となりながら徳川三代の厚い信頼を勝ちとって、加藤清正を慕っている領民が多い肥後に入り初代藩主として上手く統治し、武芸にも秀でていて宮本武蔵を客人として招くなど、やはりひとかどの人物ですね。気遣いも出来る方だったようなので、人の心を掴むのがお上手な方だったんだろうと想像します。

富士築山の脇を通る小径を歩き、先に進みます。

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何処から眺めても絵になる計算された景観美
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白鷺と甲羅干し中の亀。絵になります
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恵比寿様と子猫のツーショット

庭師の方が丹念に松の手入れをされていました↓
奥に見える茅葺きの建物は、幽斎公が智仁親王に古今伝授した「古今伝授の間」(復元)です。

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因みにこの水前寺成趣園は有料で400円かかりますが、庭木は常に美しく整えられていて、十分有料の価値があります。(個人的に国や自治体の指定史跡はどこでも、きちんと入場料を取って大事に管理した方がいいと思います。みんなで大切に守っていきたいですね。)

ぐるっと回遊して、正面広場の南側に位置する古今伝授の間まで戻って来ました。

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おそらく7月に肥後朝顔展がこの古今伝授の間の中で開催されるので、古今伝授の間については、その時に詳しくご紹介できたらいいなと思っています。そしてこの古今伝授の間の向かいに、肥後椿の展示会場があります。

肥後椿展

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展示室には、数十種類の肥後椿の鉢植えが展示されていました。ただ、やはり全てが開花している訳ではなく、まだ蕾の鉢の方が多かったので、今回は綺麗に開花しているものと、蕾がふくらんでいるもの数点をご紹介します。

新司(しんつかさ)

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王冠(おうかん)

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肥後京錦(ひごきょうにしき)

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日本錦(やまとにしき)

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那古井の春(なこいのはる)

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凛とした佇まいで美しいですね✨熊本藩士の心意気を感じます。六代藩主・細川重賢の時代は江戸中期で、戦のない平和な時代だったからこそ、藩士の精神修養に園芸を奨励できたのでしょうね。お侍さんがたすき掛けとかして、真剣に花と向き合っている姿、とても素敵ですよね💓
 今回は5品種の写真しか載せられませんでしたが、現在肥後椿の種類は100品種以上あるそうです。個人的には「日本錦(やまとにしき)」という品種の花が咲いている姿を見たかったのですが、まだ咲いていなくて残念でした。日本錦は白地に紅の縦絞りが入る肥後椿の代表品種です。こちらの肥後椿展は先週日曜日に終了してしまいましたが、熊本市内には地植えの肥後椿が植えてある場所もいくつかあるので、タイミングがあえば日本錦や他の品種の肥後椿も写真に撮って、スキを押して頂いた際のポップアップ写真にできたらいいなと考えています∩^ω^∩

あとがき

私は水前寺公園に何度も訪れているのですが、年を取ったからなのか、最近の殺伐とした世の中のせいか、この日は格別に庭園の美しさが心に沁みました。訪れている人たちはみんな穏やかな笑顔で、庭園に集っている鳥たちも外敵がいないからか、全く警戒感なく過ごしていて、庭園内はひたすら平和で美しく、まるで桃源郷か極楽浄土みたいだと思いました。
 肥後六花という文化も、平和でなければ生まれなかったし継承されなかっただろうと思います。(とはいえやはり戦争でたくさんの品種が失われたのは残念なことです。)いつも美しい自然を愛でることができ、美しい文化を守り継承していける平和な世界であって欲しいと願う大安のビューティフルサタデーでした。

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最後までお読み頂き、ありがとうございました😊

アクセス情報はこちらから↓
水前寺成趣園HP
http://www.suizenji.or.jp

【参考資料】
出水神社発行 水前寺成趣園パンフレット
出水神社発行 肥後六花リーフレット
Wikipedia

【参考HP】
熊本県HP  熊本の貴重な宝「肥後六花」
https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/attachment/64400.pdf

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