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ぼくらは「木を見て道を見ず」

それなりに正しい忠告をするのは容易いが、実際に自分がやるとなると何もできない。
俺に限った話じゃないと思う。ゲーム実況のコメント欄に湧くエアプの指示厨、サスペンス見ながら犯人を予想する主婦、クイズ番組見ながら俺も決勝残れるなって言う微インテリ。
ゲーマーでも、名探偵でも、東大王でもないヤツが、外側からだといくらでもイイコト言えるのはなぜなんだろう?反対に実地に立ったら途端に思考が制限されてしまうのはなんでだろうか?

今日はそんな、岡目八目なのに五里霧中な人々(ぼくら)の話をしたいと思います。

前提として: 人がはたから見て言ってることの多くは、的外れでないばかりか、かなり的確だったりする

よね。
どう考えても現場にいる人の方が集中してるはずなのに、判断材料も多く持っているはずなのに、野次馬の方が答えに至るのが早いなんてことはザラ。現場がそれを後追いして「だから言ったのに」とか、本当によくあると思うんですよ。
なんで?どうすりゃいいの?

可能性①: 実際にやってる人間は緊張している

力んじゃって、視野が狭まっちゃって、ベストなパフォーマンスが発揮できない。
分かる〜!
正念場にいる人間の状態は、“いつもの自分”と違うから、そこのズレを知覚するのは難しいように思いますね。
だからこそ「いざという時には深呼吸」とか言われるのかもしれません。

可能性②: 実際にやっていない人間にはリスクが実感できない

これがむしろいいんですよね。失敗のリスクがただの情報に成り下がっているからこそ、失敗しやすそうなものまで含めた幅広いアイデアを扱えて、そこから的確な解を導き出せる。
株のトレーダーとかも、うまい人は額面に執着なさそうですよね〜!はい、ただの偏見です。まず株をやる知り合いがいない。
これをうまく利用した方法は「ブレインストーミング」とかですかね。ダメなところは一切言わずに何でも出す!という仕組みが、リスクを恐れない、擬似的なヨソの人思考を実現させるんじゃないでしょーか!

可能性③: 両方

身も蓋も無ェな。
ただ、多分可能性①②って本質的には同じことで、要は
“やってる人は本能的にリスクにビビっちゃって目が行く”
“見てる人にはルートが俯瞰できているからもどかしい”
これだけなんですよね。

スキーとかで例えてみると分かりやすくって、
スキーで林を抜ける場合、滑ってる人は(特に初心者は)木を避けようとするんですけど、実際に通るところは木と木の間の空間なんですよ。
ギャラリーにはそれが分かる。だからアドバイスが山ほど飛ぶわけです。

本日のまとめ

以上の話をまとめたものがこちら!

・何かを実際にやっている人は、身の回りのリスクに意識が分散している。
・見ている人にはゴールにたどり着くための“安全な”道筋が俯瞰できる。
・この認識の差が『指示厨と非効率なプレイヤー』という構図を生み出してしまう。

アドバイスをする側も活用する側も、うまくやろうと思ったら「相手に見えているもの」のことを考えなくちゃいけない。
読者の皆さんも、周りの人に助言や忠告をしたくなったときには、相手の目線がどこにあるのか、少しだけ意識してみてはいかがでしょうか?


(読者目線を意識できないあくび侍より)

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