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なんでこんな絵が誕生した?アートの歴史背景を知ろう①

皆さん、こんにちは!Design Switchです🍁 。前回は「Figmaの「Auto layout」を使ってみよう!」について紹介しました。まだ前の記事を読んでいない方はこちらからどうぞ!

今まで生きてきた中で様々なアート作品と遭遇したことがあると思うのですが、中には「なんでこんなものが誕生したんだろう。。」と一見全く理解できないような作品もあります。ですが、それらが作られた背景を知っていくと、何を伝えたかったのか、何を私たちに教えて広めたかったのかが分かるようになってきます。ただとても奥が深くて全てを記述することは出来ないので、今回は浅くさらりと伝えていけたらなと思ってます。
それではさっそく見ていきましょう!👉

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産業革命 ~ アーツアンドクラフト運動

デザインの歴背景を振り返る前に、まずは前提のお話をしていきます。デザインの誕生は1760年代から1830年代まで続いた産業革命が発端となります。産業革命が起こるまでは人が手作業で物を作っていましたが、機械で物を大量に効率よく生産できるような時代になりました。これによってイギリスの産業は大きく発展しましたが、まだ機械で物を生産し始めて間もないため大量生産はできても粗悪な物しか作れませんでした。

それによってイギリスは大量生産はできた質の悪いもので溢れるようになり、これに不満を持ったウィリアムモリス機械を使用しない職人技の質の高い物に回帰しようという運動が起こります。これがアーツアンドクラフツ運動で1870年から1910年ごろまで続きます。機械生産を嫌ったモリスは当時の機械では作ることができないであろう有機的な曲線や植物をモチーフとした工芸品を多く作り、着色料も植物由来のものしか使わないという徹底ぶりでした。イギリスではこの運動の実現には至りませんでしたが、この運動はフランスやドイツ、日本にも影響を与えることになりました。


アール・ヌーヴォー (1880 - 1910)

アートアンドクラフツ運動は特にフランスに大きな影響を与え、有機的な形や植物のモチーフを残しつつも鉄やガラスなどの新しい技術を取り入れたより新しいものを作っていきます。これが1880年代から1910年代くらいまで続くアール・ヌーヴォーという流行です。ポスターでいうとアルフォンス・ミュシャが作成したポスターなどが有名ですね。

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アール・デコ (1910 - 1930)

アール・ヌーヴォーが流行したのですが、やはり職人が一つ一つを手作業で作る高価なものであるため富裕層の人しか手に入れることができませんでした。
そのためもっと作りやすいかつ綺麗なものが欲しいという主張が増え、アール・デコという流行が誕生します。この流行は1930年代ごろまで続くのですが、アール・デコはアール・ヌーヴォーとは対照的に直線を使用したり、幾何学な模様を使用しており、作りやすさと美しさを兼ね備え一気に人気になりました。また、作りやすさを実現することができたため、価格を少し抑えられるようになり、美しい製品が富裕層だけでなくても購入することができるようになっていきました。アール・デコが流行ったことにより、シンプルで機能的であるということが世の中に受け入れられるようになってきました。

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キュビズム (1881 - 1973)

キュビズムについてですが、少し時代は遡ります。キュビズムは歴史的、社会的背景に大きな影響を受けた芸術ではないのですが、この後の「ダダ」「未来派」「ロシア構成主義」などの前衛芸術運動にも影響を与えることになるので軽く触れておきます。
キュビズムといえばパブロ・ピカソの「アヴィニオンの娘たち」や「ゲルニカ」が有名ですよね。中学校のころに美術で習ったのですが斬新すぎる絵に衝撃を受けました笑
今までは一点から見えるものを遠近感を用いて描くのが一般的だったのですが、キュビズムでは遠近法をなくし平面的な絵の中に複数の視点が入るため歪みが生じています。様々な視点から見た物体を一旦解体して、絵の中で再構築する、というようなイメージです。
なんでこんなことを思いついたんだろうと思いますよね。キュビズムに大きく影響を与えたのは大きく2つです。1つは後期印象派として活躍していたポール・セザンヌの考え方です。当時セザンヌは「円筒、球、円錐で自然を表現したい。たとえば木の幹は、円柱、りんご、オレンジの球で構成される」と語っており、さらに複数の視点での美術的表現を追求していました。その考え方がピカソに大きな影響を与えました。もう一つピカソに大きな影響を与えたのがアフリカ彫刻です。いわゆる原始美術と言われるものなのですが、アヴィニオンの娘たちで描かれている女の人の顔がアフリカ彫刻にそっくりなので気になる人はぜひ調べてみて下さい😄


イタリア未来派 (1909 - )

第一次世界大戦前の1909年に「未来派宣言」をしたのが始まりで、この運動は前衛芸術運動の火付け役となりました。そもそも前衛芸術運動とは何かというと、もともと前衛(アヴァンギャルド)という言葉は軍事用語であったのですが、今までの考え方や常識に捉われず、革新的で先駆性のある芸術を生み出していこうという意味で使われています。話は戻り、イタリア未来派は機械自体や機械によって進化した「速度」に美しさを見出しており、時間や運動感を絵の中で表現しているため、とてもダイナミックで躍動感のある絵となっています。
また、イタリア未来派は機械を賛美し、戦争にも友好的な危険な思想を持っていたため、他の前衛芸術と比べても最も政治との結びつきが強いことでも有名です。後にイタリアのファシズムと結びつきを強めていき批判を受けますが、未来派は絵だけでなく、音楽やタイポグラフィーにも大きな影響を与えました。

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ロシア・アヴァンギャルド (1915)

1917年に起きたロシア革命の時に誕生した芸術運動の一つ。後に「ロシア構成主義」「シュプレアティズム」に分かれていきます。ロシア革命下のデザインは政治との結びつきがとても強く、ロシアの芸術家たちはプロパガンダのポスターを作るようになります。そんな中、エル・リシツキーシュプレマティズムの手法を取り入れつつ、「鑑賞するものに行動を促す」というテーマの元デザインを作成していきました。例えば左のデザイン。幾何学模様がバラバラと配置されているデザインですが、赤の図形を革命政府、旧ロシア帝国を白の図形で表現しているというなんとも過激なメッセージを伝えようとしています。。
一方右のポスターはアレクサンドル・ロトチェンコが作成したもの。ロシア構成主義の中心メンバーとして活躍し、「生活とともに機能する」ことを主張した人物です。ロトチェンコのポスターは現代のポスターにも通じるような見やすさとシンプルさがあります。また、明るめの色を複数色使用するので一度見たらなかなか忘れられないですね。

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ダダイズム (1916 - )

ダダイズムで有名な作品が下の右にある作品。これ実は便器にサインが入っているだけの作品なのです。え。。って感じですよね。笑 しかもこの「ダダ」という言葉は辞書で偶然見つけた言葉と言われており、つまりこの言葉自体に意味は持たないのです。そんなに適当でいいの?意味を持たないってどういうこと?っと思うのですが、これがダダイズムの本質なのです。
ダダイズムは第一次世界大戦中の1916年にスイスで起きた前衛芸術運動の一つでヨーロッパはもちろん、アメリカや日本にまでも影響を及ぼしました。世界大戦という今までにない大きな規模での戦争で多くの犠牲者が出たり、たくさんの破壊が繰り返されました。それを通じて芸術家たちは戦争引き起こす人間は理性があるのかと疑問を抱くようになり、そもそも今まで自分たちが信じてきた価値観や伝統は本当に正しいのか、と考えるようになります。そこで今までの既成概念を壊し、新しい芸術を生み出していこうと考えたのがダダイズムの始まりでした。ダダイズムのメンバーとして活躍していたマルセル・デュシャンは「泉」(右写真)という作品を作った人なのですが、デュシャンは「芸術は見る側が決めること」という考えのもと作品を作っており、それはすでに存在する既製品にも当てはまるのではないか?と考えて作ったため、下のような作品になっているのです。この既製品を使った作品を「レディメイド」と言います。

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シュレアリスム ( 1924- )

これはサルバドール・ダリ時計が溶けてる作品で有名ですよね。一見不気味でシュールな絵だなと思うかもしれませんが、なんでこんな絵が誕生したのかというと、当時フロイトユングによって精神分析学が発展していたことが背景としてあります。精神分析学とは心を分析することで精神疾患を治療しようという方法で、無意識の下に隠れた感情や記憶を意識化し、受け入れることで気づきや症状の軽減をしていこうというものです。この精神分析学がシュレアリスムの柱となっており、「現実主義」を意味するレアリスムと、フランス語で「過剰な」「強度」といった意味を持つ「シュル」が合わさった言葉で、現実以上の現実、現実を突き詰めたものという意味を含んでいます。どういうことなのかよく分からない。。。と思いますよね。
先ほど精神分析学が柱となっていると言いましたが、無意識下や夢、など心の奥底に眠る感情、欲求など、はっきりとした意識のもとではコントロールできないものを絵で表現しようとしたのがシュレアリスムです。戦争や革命運動などの社会的な背景ではなく、医療分野の考えが絵に発展するのは面白いですね。


デ・ステイル (1917 - 1931)

これは第一次世界大戦第二次世界大戦の間にオランダで誕生した前衛芸術運動です。第一次世界大戦で失われてしまった秩序を取り戻したいという思いや当時流行っていた派手な装飾がされているアール・デコに反発したいという思いが込められており、新造形主義(ネオ・プラスティシズム)とも呼ばれています。ちなみにデ・ステイルはオランダ語で「スタイル」を意味しておりシンプルであることを徹底的に追求したデザインでした。おそらくみなさんもどこかで見たことがあると思います。キュビズムに大きく影響を受け、垂直線と平行線で構成された幾何学な形と赤・青・黄と無彩色(白、黒)のみで構成したスタイルで後のBAUHAUSへ大きな影響を与えました。
ちなみにミッフィーの作者であるディック・ブルーナはデ・ステイルに影響を受けています。ミッフィーの色合いや黒い線を使用しているのをみるとデ・ステイル調が好きなのが伝わってきますね🌷デ・ステイル調の絵を眺めているミッフィーの絵もあったりします。

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BAUHAUS

ここは余談ですがBAUHAUSについても少し触れておきます。産業革命で進んでいるイギリスに遅れをとっていたドイツでは、ドイツ工作連盟という団体がとにかくイギリスの発展に追いつこうと、機械や新しい技術を積極的に取り入れるようになります。より効率的に質の高いものを作るために「規格化」が進められていきました。これによって見た目も統一され、大量生産もしやすい質の高い工業製品が作られるようになりました。

この工作連盟のメンバーだったグロピウスはBAUHAUSという芸術学校を設立します。ここは今までの学校のように職人の技術を教えるだけではなく、美しいものを作り出すための基礎的な授業や、「美」とは一体なんなのか?のような基本的な概念を教えていた。またBAUHAUSでは、職人の技術(芸術)と機械の新しい技術(産業)をどうにか融合できないかを考え、形状、テクスチャ、色、材料すべてを考え直した結果、生まれたのがシンプルで機能に重きを置いたものでした。「形式は機能に従う」という有名な言葉を残していますよね。ですが1933にバウハウスがナチスの弾圧を受けて解散することになり、教員や卒業生たちはアメリカなどの他の国に逃げていくことになります。


まとめ

さて、産業革命から第二次世界大戦前までのアートの歴史をさらりと振り返ってみましたが、まだまだ先が長いので今回は一旦ここまでとします!最後まで読んでいただきありがとうございます!!🙌

みなさんいかがだったでしょうか?私はこの記事を書くに当たってたくさんの記事を拝見し本も読んでみましたが、アートはポッと出のものだけではなくその背景には社会的な出来事が多くあり、それが今まで学校で学んできたような歴史と結びつくのでとても楽しく学びながら書くことができました!それに芸術の意図を知ると、デザインの幅も広げられそうですよね😌
少しでもこの記事が現役デザイナー、デザイナー志望の方のお役に立てると嬉しいです😆 もし何か描いて欲しい記事などがあれば是非コメントで教えてください!

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