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ことし振り返ってみた。うらうらです。

みなさまこんにちは、うらうらです。あっというまに師走ですね。
今年もあと残り一週間ちょっと。一年を振り返りたいと思います。

今年は

今まで生きてきた25年間で起きた出来事は、なにひとつ無駄なことはなかったのだと実感した年でした。ひとつくらいあるんじゃないかと疑っていましたが、どうやらそうでもないみたいです。

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子どもの頃から食い意地の張っていた私は、出されるおやつ目当てに、姉が通う塾へ度々くっついて行っていました。姉は四つ上なので、授業の内容はちんぷんかんぷんでしたが、英語や古典、化学など授業の内容を分かったふりをして聞いていました。
もう一つ、楽しみとしては塾の近くに素敵な里山があり、夏にはホタルや昆虫を観察でき、サワガニがとれる美しいせせらぎがあったのです。その頃の私の愛読書は「冒険図鑑(1985)」と「野鳥の図鑑(薮内正幸さく・1991)」(共に福音館書店)。飽きもせず沢に降り、夢中でサワガニを捕まえたりキツツキの木を叩く音を耳を澄ませて聞いたものでした。
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10年後、社会人になった私はある仕事中に、あの塾で唱えられていた元素記号を思い出しました。デザインの案を出す時、頭をできる限り回転させて色々な案を出すのですが、奥深くに眠っていた幼い時の知識が掘り起こされ、10年越しに日の目を見たのでした。

そして里山で過ごした経験は植物や動物が好きだという私のアイデンティティとなり、辛い時や落ち込んだ時の心の拠り所となりました。

無意識の経験と知識

子どものころ、私たちは毎日朝起きて通学し、椅子に座り勉強し、体育や美術で体と心を育み、友だちや先生との人間関係を学びます。将来お金を稼ぎ食べていくための練習です。また、学校へ行かない・行けない子どもたちも、自分の良いところを伸ばしたり、遊びの中から大切なことを学んだりする大切な時間になるでしょう。役に立つと言っても、辛い経験や悲しい記憶だったかもしれません。でも、それは自分以外の人の痛みに気づき思いやることにつながるでしょう。

なんの価値もないと思っていた記憶や周りの人が何気なく発した言葉でさえ、気がつかないうちに影響され自分の個性の一部となっていく。そんなことを感じた一年でした。

まずはなんでもやってみよう

ああそういえば、小学生の頃、切り絵をしたり裁縫でマスコットを作ることにはまっていたな。それも根気強くデザインに向き合ったりディテールを作り込むことにつながっていたりして。でも今はキャンプや料理が好きだな…そうかこれもシズル写真を撮るときのこだわりにつながってるのかもしれないな。。。

関係がないと思っていたものでも役立つ時ってあるものです。

デザインはチャンプルー

ゴーヤチャンプルー、豆腐チャンプルー等の「チャンプルー」という言葉には、沖縄方言で「ごちゃまぜにしたもの」という意味があります。持ち寄ったあり合わせの知識と新しく仕入れたアイデアを組み合わせて調理するような様子が、デザインする過程によく似ている気がします。
来年も失敗を恐れずに、ごちゃ混ぜにされた知識とアイデアで、自分らしいデザインをしていきたいと思います。

ではまた!