ITO派経済学10、資本論についての考察 ~歴史の文脈の中でのマルクスの位置づけ~ 

マルクスを語るとき「資本論」に何が書かれているか。英語版ではどうだドイツ語版ではどうだ、微に入り細を穿ち専門性を追求するのは結構なんですけど果たしてそれがマルクスの本質なのか。

私は哲学者も経済学者も書かれた文献より、どういう歴史的文脈の中でどういった理由でそれを書いたのかに興味があるタイプ。

マルクスが資本論を書いた19世紀は、ヨーロッパ列強が産業革命、帝国主義と利潤を追求するあまり労働者階級の人間的尊厳を踏みにじり続けた、それが極まった時代。21世紀と相通ずる部分が多いが、人間より資本の蓄積を須らく善としていた時代でしょう。

そこに時代の寵児として現れたマルクスは決してゼロから資本論を作り上げたわけではない。カント、ヘーゲルの唯物的な哲学、アダムスミスの流れをくむ古典派経済学、オーウェンなどの共産的なもの。そういった19世紀のエッジな思想を碩学的に横断して創りあげたのが資本論であり、共産主義、インターナショナル。そして最終的にはその後150年間に渡り人類を二分したイデオロギー戦争「東西冷戦」の根拠となった。マルクスは大変な碩学、創造者であり、そして現実の世界、人類史を根底から変えてしまった所が後のあらゆる知識人たちが無視の出来ない部分であった。

こういった見方というのはマルクスに限らず、あらゆる思想家にも言えて。何を言ったかではなくどれだけ現実を変えたかが歴史の評価の対象となるのである。

わたしは大抵、哲学者、思想家たちの仕事を歴史の文脈の中で俯瞰して捉える、そういう習性がある。それが恐らくもっとも本質的な人間の捉え方であると信ずるから。

徹底して唯物的に物事を捉える。そう言いながら、ブルジョワジーでありながら徹頭徹尾プロレタリアートの味方であったマルクス自身が一番矛盾しているというのは使い古された批判だが。結局、「資本論」というのはマルクスの正義。資本論は経済書、哲学書であると同時にマルクスによる人間賛歌であったと。なのでマルクス礼賛はある意味「ヒーローインタビュー」に過ぎない。堀江貴文的に言えば勝った人より負けていった人たちの考えの方が含蓄があるのです。

マルクスはその後の経済学者、哲学者、社会学者その他の分野に多大な影響を与えた。ケインズしかり、第三の経済学、宇沢弘文しかり。私は古典を改めることより新しいものを創造することに関心がある。現在は「ITO派経済学」に夢中です。まあ積極財政を関数、数式にできないかと試行錯誤している毎日。

当然、古典を改める学者、専門領域を深める学者というのも大切。わたしの得意分野がたまたま全体を俯瞰して新しいものを創造する「碩学」であったというだけです。

私の創作研究は基本的に無料ですが、経済的に余裕のある大人にはサポートして頂けると大変ありがたいですm(_ _)m。