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「変化に適応するものが生き残る」は誤り 〜 ダーウィンの進化論を正しく理解し企業を進化させる方法 〜

1.ダーウィンの名言?

チャールズ・ダーウィンの有名な言葉と言えば、「生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである」だと言われている。小泉首相がこれをスピーチに使ったのは有名な話であり、いまだにこの言葉は様々なサイトに氾濫しており、経営セミナーや社長のスピーチでよく使われている。

某建材メーカーの現在TVで流れているCMでも、このように言っている。

進化論の中でダーウィンは言いました。
「強いモノが生き残れるのではない。環境に適応できるモノが生き残ってきたのだ。」と。

これほどまでに誤解が広まり、今だに信じている人が多くいることに正直驚く。某建材メーカーのCMでは、「進化論の中で言った」とあるが、ダーウィンの著作は「進化論」でなく、「種の起源」であるし、その著作を含めダーウィンがこの名言を書いた、あるいは言った記録はない。そもそも、この「環境に適応できるもの」が生き延びた、という考え自体がダーウィンの進化論にはない。

2.運のいい変異のみが生き残る

ダーウィンは、「種の起源」において、「生存競争」「突然変異」「自然淘汰」について繰り返し説明している。

簡単に言うと、生物はいたるところで「生存競争」をしている。そんな中で遺伝情報のミスなどが起こり「突然変異」が起こる。これは、環境の変化とは何の関係もないし、適応するとかしないというものでもない。突然変異はどのような方向への変異かはまったくわからない。そんな中で、この僅かな変異が生物に生じて、「たまたま」それが生存のためにちょっとでもプラスになる場合、「生存競争」の中で生き延びる可能性が高くなる。そのわずかな変異が長年にわたって遺伝され蓄積していく過程で大きくなり、その種の個体も増えていくという考えである。つまり、「たまたま」「運のいい変異をしていた個体」だけが生き延びるということなのである。

このように正しく進化論を理解すると、残念ながら経営セミナーで皆を「ふうん、なるほど!」と納得させる言葉にならない。しかしながら、実はこのダーウィンの進化論は経営において大いに活用できる。それは、ともに「生存競争」下にある、生物と企業経営においては、その進化に関して共通する部分があるからである。

多くの企業は言うまでもなく、同業他社との厳しい競争の中にある。そしてなんとか「他社と差別化」すべく日々奮闘している。少しでも有望な商品やサービスを日々追い求めているのである。また、メーカーや技術ベンチャーにおいては、技術開発において、少しでも有利になるような新技術や発明を狙って日々開発に明け暮れている。また別の企業は、他社の商品よりデザインで有利に立とうとするかもしれない。これらの「差別化」の源こそ、ダーウィンの進化論における「変異」に他ならないのだ。

3.突然変異を起こす

生物と同様に企業が進化するためには、「突然変異」を起こすことである。それはわずかな変化でいい。「有望で画期的な新ビジネスを探せ」では、おそらく考え込むだけではないだろうか。進化論では、その変異の方向性は決める必要はない。つまり、あらかじめ特定の変異にフォーカスしてはいけない。あらゆる変異を具体的に生み出してみることだ。どんな小さな改良や変更でもいい、さらに一見なんのメリットもないように見えることでもいい、想定しない分野の変化でもいい。これらはすべてが「突然変異」となる。

トーマス・エジソンはこう言った。
「私は失敗はしていない。ただ1万通りのうまくいかない方法を発見しただけである」

つまり、無数の変異の中から、意味のある変異を見つけることである。それがわからなければ、実際にやってみることである。もし、意味がある変異であれば、必ず「自然淘汰」によりマーケットで生き延びることになる。テストマーケティングや、事前にアンケートで消費者に選ばせるなどの方法で、市場への投入前に自然淘汰を行っているケースもある。いずれにせよ、最も重要なことは、予め恣意的な判断をすることを避けることである。

4.自然は飛躍しない

ダーウィンが「種の起源」を発表した当時は、「すべての生物は神が個別に創造したものだ」という創造説が幅を利かせていた。そのため、ダーウィンは自らの進化論に対して、創造説からの攻撃をあらかじめ想定した反論を周到に用意している。その中の一つが、進化の移行途中の中間段階にあたる種類の不在についてである。長い間に徐々に種が進化し分岐してきたのであれば、その移行段階にある多くの形態の生物がいないとおかしいではないか、という批判である。

これに対して、ダーウィンは進化の過程で新しい種は、原種や移行段階の変種にとって代わることで、それらを根絶させていることや化石としての保存の可能性が小さい等の説明をしている。ここでは詳細の説明はしないが、現実に移行段階の種は根絶されたことで、現在私たちの前には殆ど存在してないのが事実なのである。

これと全く同じことが、ビジネスの世界にも起こっていないだろうか。つまり、画期的なサービスや技術が一足飛びに発明されたという印象を私たちは持ちがちである。その移行段階にあった中間的な商品やサービス、技術といったものが今は存在していないからである。しかし、実際はそのような中間商品やサービスはかつてはあったのだが、最終的に成功した商品やサービス、技術がそれらの中間的なものを残らず排除したため根絶してしまったのだ。

例えば、独り勝ちのようなマイクロソフト社であるが、ここまでのソフトウエアの開発において、多くの競合他社と熾烈な争いがあって、それに勝ち残ったのである。その時に他社のソフトの方が秀でていた場面もあったのだが、マイクロソフトが様々な戦略を駆使して打ち勝ち、最終的には多くのソフトウェアにおいて成功をおさめ、非常に高いシェアを保有することになったのである。そして今や、競い合った競合他社はほとんどが消滅してしまっている。わずかな差で敗れたソフトや、開発争いをしていた途中のソフトはすでになく、私たちは今の勝者の完成形しか見えないのである。つまり、私たちが考えるほど、新ビジネスや新技術は画期的なものではない。多くの場合、現状の延長線上の創意工夫の積み重ねなのである。

ダーウィンは、「自然は飛躍せず」と言う自然史学の格言を「種の起源」において紹介している。進化はあくまで少しづつ、長い長い時間をかけて蓄積していくのである。

これらのことから言えることは、私たちは、自然の進化の過程である「突然変異」と「自然淘汰」を新たなビジネスや技術の開発に生かすことが出来るし、現実に、意識をしていなくとも、その過程を通過して大きな成功をおさめた企業や技術がたくさんあるということである。しかもそういう企業や技術の進化は、現状を少し変える「突然変異」でいいこと、そしてその小さな変異を積み重ねることが大事なのである。

5.突然変異に賭ける

実は、従来から徹底して「突然変異」と「自然淘汰」の考え方を重視してきたビジネスがある。それは、特にアーリーステージ、つまり早い段階からベンチャーに投資をするベンチャーファンドである。

このようなアーリーステージのベンチャーファンドは、1社に大きく賭けることはない。なるべくたくさんのベンチャーに、ある程度決めた一定額を投資するファンドが多い。例えば、5千万円から1億円を100社に投資するようなやり方である。どんなに有望なベンチャーであっても、1社に50億円を投資するようなことは絶対にない。また、10社に満たないような数のベンチャーにしか投資をしないということもない。

このファンドにとって、ベンチャーの技術は変異のようなものだ。どの変異が本当に意味があり、大化けするか、投資する時点ではまったく分からない(分かっている積りでも、結局そうはならない)。生物の突然変異はその方向が様々で、事前にどういう変異が生き残るのかわからないのと全く同じである。従って、ベンチャーファンドはなるべく多くの変異に投資をして、そのあとの「自然淘汰」を待つしかないのである。

6.まとめ

最初に述べた「適応するものが生き残る」というのは、ある意味で、目的をもって行動することによって「生き残る」という考え方であり、これはダーウィンの進化論にはない。すでに述べたように、ダーウィンは、多くの突然変異(遺伝上のエラー)の中に偶然有利な変異があった場合、その個体から同じ変異が遺伝されて増大し、新たな種が生まれる。つまり「運のいいもの」が生き残る。

この進化論を、私たちが企業やビジネスの生き残りに活用するならば、なるべく広い範囲で、固定観念を捨て、例え小さな改善であっても、アイデアをできる限り創出することに全力をあげることがとても大事であることがわかる。また、そのメンバーに多様性があればあるほど、新たな意味のある変異が生まれる可能がある。さらに言うと、その評価も可能なかぎり市場に任せる(「自然淘汰」を待つ)ことである。前述したベンチャーファンドの世界では、明らかにこの手法を昔からとって成功しているのである。