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木漏れ陽が消えるまで。

ひとつの時代が終わったなあ、と。

Laputaは僕の10代を支えてくれたバンドで、今でも時折昔の曲を漁っては懐かしさと思い出に浸っている。

やはり、あのダークでコアな曲にマッチする艶やかな声をしたボーカリストって、なかなかいないんです。
音楽にも刺激が必要なので、世間の人には破壊力のある声をしたボーカルがウケるのもわかるけど、僕に刺さったのはもっと幻想的な部分なのかもしれない。

幻想的な部分。
Laputaの楽曲には、不思議な既視感があるのだ。

みなさんにも、初めて聞いた曲なのに「あれ、なんか聴いたことあるかもしれない」と思った経験はないだろうか。

10代の頃なんてそんな大して物を知らないのに、Laputaの曲を初めて聞いたのにも関わらず「あれ、なんか聞いたことあるかもしれない」と思わされた。
もちろん盗作などではないと思うが、あの不思議なデジャヴにものすごくインパクトがあったのだ。

結局、どの曲も誰が作った曲で、一体どこでいつ聞いたのか未だにわからない。
しかも、これは僕だけじゃなく、ファンの人のほとんどが感じてるらしい不思議な感覚なのだ。

もしかしたら、僕たちの脳内にはもともと生物として生まれ持っている「共通したイメージ」みたいなものがあるのかもしれない。
それを、いつだったか、ふと夢の中に現れたのを聴いたメロディなのかもしれないなあ、と。

そんな不思議な感覚を生み出せる、数少ないアーティストの一人でした。

akiさんの旅は終わってしまったけど、僕たちはまだ、旅を続けなければいけない。
時には、木漏れ陽を掴み、振り返る間もなく消えてしまうかもしれないけど、彼が遺してくれた音楽を聴きながらこれからも憧れの場所に向かって、僕たちは旅を生きていくのだろう。

木漏れ陽が消えるまで。


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