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僕たちは愛すべき朽木だ。

朽木きゅうぼく彫るべからず」という言葉がある。

これは孔子の論語に出てくる1説で、意味としては「朽ちた木に彫刻は出来ない。やる気のない者にいくら教育しても無駄なのだ」と言ったところか。
つまり、どれだけ腕の良い彫刻家でも素材が悪ければ良い芸術品は生み出せない。これは人間にも言えることだという、孔子の戒めの言葉だ。

では、この「朽木」とは具体的に何なのか?

僕はこれを「頑固さ」だと捉えている。

まあでも、こんなことは自分を成長させようというモチベーションのある人には言わずもがなのマインドだろう。
自分の考え方に固執してしまっている人に関わっても時間の無駄、という一言で済むような教えのひとつで、今はどの啓発書にも載っている言わば当たり前の事実だ。

しかし、実はこの言葉にはもっと大切なことがある。

朽木に彫刻するのを止め、自分自身が朽木にならないように気をつけると共に、腕の良い彫刻家が周りに必要なのだ、ということだ。

いくら自分で朽木にならないように気をつけていても、人の心を打つような芸術品を彫ってくれる人がいなければ、自分自身はただの「新鮮な木材」なだけなのだ。
新しい考え方や、新しい価値観、また常に変化している時代を読み取る能力のある人。これがまさに、腕の良い彫刻家と呼べるような人なのだろう。

そんなことを色々と朝っぱらから考えてはいるものの、結局は「頑固さを受け入れないその考え方自体が朽木なのではないか?」という矛盾にも行き当たるので、つまるところは自分が楽しいと思えることで人生の時間を埋めるのが正解なのだろう。

子供の頃、母親に「ゲームは一時間よ!」と言われても「それは無理」とつっぱねていた僕は、母親から見れば朽木だし、僕から見れば時代の変化に気付かない母親は朽木だったので、つまるところはみんな朽木なのだ。

ということで、

どれだけ止めろと言われても聞かない親愛なる朽木のみなさん。

僕と狩りに行きません?

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