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「ドリアン助川オンライン講演会~小説『あん』ができるまで~」を視聴して

メンターメンターと日替わり弁当のようなメンター群を持つオレだが、その中のキングオブキングスがドリアン助川氏だ。

4年ほど前、たまたまつけたNHKのドキュメンタリーで助川氏を初めて見てから虜になってしまった。『あん』の中の一文には、人生で最も自分を勇気づけた言葉がある。
ありがたいことに、そんな作品の背景を語ってくれるなんていうんだから、これはありがたい。2回ゆーてしまうほどだ。

その内容のほとんどをメモ帳にタイプしながら視聴していたので結構疲れた。心に残った部分を書き残してみる。


若かりしころの助川氏は放送作家として生計を立てていた。と言っても、多くの想像に上がるような華やかな世界ではない。TVの世界は本当に「天皇陛下か」と思うほど偉そうなヤツは偉そうで、どん底の扱いだったという。

彼の人生を変え始めた発端は、'92年にカンボジア取材に行ったことだった。そのころ助川氏は、かの新春のかくし芸大会のスタッフとして携わっていたが、カンボジアの現状を見て「こんなことをしてる場合じゃない」と思ったという。

この取材に突き動かされ、ロックバンド「叫ぶ詩人の会」を結成、気づけばデビューしていた。同時にラジオで流れた電話人生相談の仕事をこなしていた。多い時には、リスナーから1時間に1万本の電話があったという。
『あん』はハンセン病患者・回復者の人生を扱っているが、ハンセン病の存在を知ったのもこのころだった。


そのラジオ番組の中では、リスナーの若者たちに向けて助川氏が質問することもあった。
「生きていることに意味はあると思うか?」という、大きな問いの投げかけだった。
若者たちは一様にこんな意見を持っていた。
「意味はある。それは社会の役に立つことだ。人の役に立たないなら、生きている意味がない」

助川氏に激しい違和感が湧きあがった。
「社会」という、人間が作った枠組みの中では確かにそうかもしれない。だが、生きるということにまで、それを延長させていいのか。
その違和感のひとつに上がってきたのが、ハンセン病の問題であった。

そのころ、2歳になる知人の子供が病で亡くなる。助川氏もプレゼントを買ってあげたばかりだった。
「あの子に生きる意味はなかったのか」
それから数日後に彼は誓う。ハンセン病を背景にして、生きることの意味を書きたい。それを一生の仕事としたい。

それからハンセン病の勉強が始まる。ハンセン病罹患者の歌集や、新聞記事のスクラップなど、あらゆるものに目を通した。
だが、ハンセン病へのその歩み寄りが助川氏を絶望させる。ハンセン病を患った作家たちの文章を読むたび、「これは無理だ。この病に罹ってもいない自分がこんなところに入っていけない」と痛切に感じたのだ。
とどめを刺したのは、読むほどに、すべての苦しみがもう書かれ切っていると分かってしまったことだった。
一生の仕事とすると誓ったのに…。諦めそうになることが何度も何度もあった。

頭がおかしくなりそうな時にはいつも、多摩川に赴いた。
お金も職もない、40を超えて子供もいる。何度も死ぬことを考えた。

そのギリギリのところで、人智を超えた体験をする。
自分と、多摩川と、その向こうに見える太陽。そのすべてが「自分」だという感覚に陥ったというのだ。
この経験は、小説中の「徳江さん」というかつてハンセン病患者であったキーパーソンが(映画では樹木希林氏が演じる)、月を見上げてある種開眼の域に達する描写のきっかけになっている。

ハンセン病療養所という「囲い」に閉じ込められた徳江は、そこで菓子作りに携わっていた。そして、囲いから出られなかったがゆえに、どら焼きに使う小豆の声を聞くことになる(この小説は、スネにキズを持つ男が、気の乗らないままにどら焼き屋を営んでいる物語。あまり繁盛していないが、そこへ現れた高齢の女性にあんこ作りを教わると店が流行っていく)。
現実の助川氏と同様、人間という枠組みを突破した。大いなるものに触れた。絶望的な不自由の中で。


小説を書けないでいる助川氏は、ハンセン病回復者夫妻と知り合う。筆の進まぬ苦悩を吐露すると、こう返された。
「あなた、ハンセン病回復者の知人はいるの?」
「いえ」
「それじゃ書けるわけないわよ。療養所へ来なさい」

ハンセン病療養所「多磨全生園」に連れていかれて、実際にあんを作ってたみたりもした。
ハンセン病は顔や手足などの外観を著しく変形させ、神経も断たれてしまう病気だ。入寮者のひとりがこう言った。
「神様は全部の神経を奪わないんだ。味覚だけは残しておいてくれるんだ」

舌読という言葉がある。点字を舐めるのだ。
光を失い、指先の神経も断絶されて点字さえ読めなくなった人々が、「知りたい」という強烈な欲求を叶えるのに使った最後の学びの方法だ。

「まさにいま甘いものを作ってる自分が書かないで、いったい誰が書くんだ」
助川氏に力がみなぎった。
ずいぶんと長い回り道をした。だが、おびただしい数の縁を巡って、こうして『あん』完成に至るまでのすべての道筋が繋がった。


かつてシェイクスピアは言った。
「天と地との間には、お前の想像もつかないことが行われているのだ」

自分も本当にそうだが、目に見える評価だけに心を奪われがちだ。
だけどこの話は、人の支持を得ているとかそうでないとか、お金があるだとかないだとか、誰が誰より優れているとか劣っているとか、そんなことは重箱の隅をほじくる楊枝の上での出来事に等しいのだと思い出させてくれる。

生まれるべくして生まれくるものがあるのだと。そしてもちろん、生む作家だけがすごいわけでもない。



講演が終わってから、助川氏のFacebookにコメントをしにいった。

講演お疲れさまでした。
チャットで質疑応答があると思ってたので、チャット窓にタイプして待ち構えてました(笑)
(時間が押していたので質疑応答はなくなった)
このまま消すのもごく個人的にもったいなかったので、すみませんが貼らせてください。

「質問ではないですが、4年ほど前『物書きにならずとも、どら焼き職人にならずとも、あなたはあなたらしく立ちあがる日が来る』という一文との邂逅に魂が打ち震える想いがしました。
『あん』の執筆と今回の講演、ありがとうございました。」

すると、もったいないことにこんな返信をいただいた。

仲さん、今日はご参加していただき、ありがとうございました。
あの一文をご記憶なのですね。
これはやはり、文章を書くという行為は気が抜けません。
良き夏になりますように。


「人生で最も自分を勇気づけた言葉が、あなたの言葉の中にあるのです」
そんなことをどうしても伝えたくなった。

ネットの功罪はあれど、こんなに有り難い繋がりもないと心底思う。このことを根こそぎ心と脳に焼き付けておこう。
「天刑病」とまで忌み嫌われ、人が隔絶された病があったことも。


ドリアンさん、良き夏をありがとうございます。




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