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ホン雑記921「挨は『押す』、拶は『迫る』」

たぶん人生で一番ブチ切れたのは、行動に起こして暴れるってわけではないけどワナワナと怒り狂ったのは、中1の時に観てた「とんぼ」の最終回だと思う。


長渕扮するやくざの英二が敵対組織に刺されて、それでもイキってタバコに火を点けて血だらけで這いつくばるシーンで、周りの人間が見てるだけという状況に意味がわからんほどキレた。
が、これはドラマだ。さすがに中1なのでそのへんは分けられる。だけどドラマとはいえ、その役を受けた演者共を全員ブチ○してやろうかと思うほどキレた。叫びはしなかったけど、何を見せられているのだ自分は? と、呆然となった。

そしてそもそも、そういうタイプの人間が最も嫌いなオレにはあのシーンはキツかった。そもそもあった人間嫌いはそのあたりから余計にひどくなったかもしれない。ベタ過ぎてイヤなんだけど、年相応にスジの通らんオトナの仮面が死ぬほど嫌いになった。
「あれはドラマだから」という思いもあって、あの時の苦虫も忘れていったんだけど、結局あのドラマ(ほぼほぼ長渕の意志だ)はドラマよりもひどい現実を占っていたことになる。

歌舞伎町の飛び降りと刃傷沙汰の2件のことだ。
ドラマでは、観衆は覇気なく見ているだけのクズだったけど、現実のほうは動画は録る、嘲笑する(止血してる人をだ)、SNSではフォロワー稼ぎかと疑う(止血してた人をだ)、まったく謂れもない中傷を浴びせる(止血してた人にだ)という、いまこう書いてるだけでも、座ってるオレがへたりこんでしまうほどの苛立ちを覚える。

SNSのコメントでも多くは「スマホ向けてるのが一番ダメ」っていうものだった。が、たまに「そう言う人たちもここではそう言ってるけど、実際現場に居たら自分も絶対録るでしょ」というこれはもうビックリなお子さんがいて、それに対して「これほど世代間によって感覚の隔絶があるんだな…」という、怒りを綺麗に取り去ったコメントもついていた。
オレもまったく同感で、哲学者デイヴィッド・チャーマーズの提唱した「哲学的ゾンビ」を思いだした。

哲学的ゾンビとは思考実験で用いる架空の存在で、腐って襲ってくる有名なあのタイプのゾンビではない。脳の原子配列まで含んだ、物理的には人間とまったく同じリアクションを取れるというシロモノだ。ただ、本人の意思というものが存在しない。
そいつだけ冷たい、というわけでもない。周りと同じリアクションを返すんだけど、赤い色を見た時に起こる最後の物理反応のその次にある「あー、赤だなー」というクオリア、つまり意識だけがない。だからまわりの人間からも気づかれない。

哲学的ゾンビは運転免許も取れるし、選挙権だって与えられている。恋愛だって子をなすことだってできるだろう。
ただし、運転講習の実技で緊張もしてないし、未来に希望も感じてないし、恋情にドキドキもしていないし、子供の将来を夢見ることもしていない。
ただ、まわりの人間にそれらのことを十分におこなっていると思わせることだけはできる。

言っては悪いんだろうけどね、そういうふうにしか思えないんだよね。もう、そういう人の感情をわからないような人間に対しては。人間の形状をした何かに対しては。
夜回り先生で有名になった、あの仏のような水谷修氏が「人間を人間扱いしない者を私は人間扱いしない」と言ってたけど、これにもまったく同感だ。


話は変わるけど「宇宙は巨大なコピー機」説をオレは信じている。実際に物理的に生み出すという意味はもちろんだけど、それは「伝播する」ということだ。
つまり、隣にある物の性質はその隣にある物に必ず移るということだ。

ついさっき、電車の中で泣き止まない赤ちゃんの親に悪口雑言をブチまけ倒して「ああいうヤツが日本をダメにする」と抜かしてけつかったジジイのニュースを見たけど、それはまさに「いや、おまえだよ」と100人中103人が強制的に思わされる案件だった。

つまり、そのジジイの嘆きとオレの嘆きは、認めたくはなくても必ず同質のものがコピーされている。元々は同じだ。
つまり(よーつまるね)、注意する者は注意を頑張れば頑張るほど、注意したくなる対象に似て来る(もちろん、その母子に似て来るわけじゃなく、自分がけしからんと思っているような人間像そのものになっていく)。

これはホントに不思議なシステムだね。「オレはあいつとは違う」と息巻けば息巻くほど、例外なく同じところがある。そうじゃなきゃ意識に上ることさえないんだろうな。


ということで、オレは諦めない。
哲学的ゾンビになりかかった彼らに「最近の若いモンは」と軽々に言うわけにはいかない。どれだけヘナヘナとさせられても、キレたり笑うわけにはいかない。彼らにけしからんと思えば思うほど、その不思慮は必ずこっちに移ってくる。

彼らは脳内で、クオリアのところで、感情を発火させられていないだけだ。そりゃそうだわな。調べたら答えがあると思わせる世界で、やっていいこととダメなことが存在すると思わせる世界で、はみ出ることを事前にどれもこれも食い止められる世界で、何をどうやって「はっ!」とさせられるというのか。
他者にちょっとした迷惑行為をかけることも許されない、ちょっとしたやんちゃも許されない世界で。

全員が、いちいち自分が刺されないと、そして好奇の目と共にレンズを向けられないと、もしくは大切な人がそんな目に遭ってる場面を経験しないと、もう気づくことはないんだろう。いや、相当気づきにくくなってるんだろう。
あかん、もういま諦めるとこだった。あぶね。


そんな危険な目に彼ら後進を遭わせなくても、気づいてくれる方法はあるだろうか。
一件の表札も出てない、隣人の顔も知らないこのアパートも、その方法の端くれを教えてる気がする。




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【今日の過去詩リーズ】




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