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ホン雑記 Vol.148「ヒネクレ」

どうしようもなく自分がひねくれ者でしんどくなることがある。自称「ツクリテ」を豪語するなら、多少のひねくれは要るのかもしれないけども。


ひねくれ過ぎても、ツクリテからは遠ざかるような気がする。ひねる角度は15度ぐらいまでが限界だ。ひねり過ぎたらテリー伊藤みたいになってくる。ひねるのが目的ではダメだ。それはもうツクリテじゃーない。

日本人気質をゴリゴリに先祖たちから受け継いだヘタレ日和見クソ野郎のくせして、誰の何を受け継いだのか、人と同じということを蛇蝎のごとく嫌う傾向がある。傾向しかない。

あわよくば言葉を扱って生きていけたらなぁ、なんてことをたまにここでペラペラとやっているが、言葉のプロでもないくせに、自分にとって一番得意な分野だとなぜか自分を「その道の人」みたいに勝手に思い込むイタいクセがあって、素人さん(どの口が言うの?)と同じような言い回しを好きこのむわけにはいかんよなぁなどと、これまた勝手に雁字搦めになったりよくしている。

普通の日本語ならもちろん普通に使うんだけども、ちょっと詩的な言い回しなのにあまねく使われている言葉がどうにも苦手だ。

「言葉を紡ぐ」という表現はもう使う気になれない。なんかそこかしこで見るなぁと思って調べてみると、「詩作や執筆を表す雅な表現」なんて載ってたもんだからなおのこと使えなくなってしまった。
それを知った時の気持ちは、たとえばハンドメイドもののワークショップなんかで主催者が言う「みなさんが作った作品は世界にたったひとつしかないんですよぉ~?」を聞いた時の、「値打ちコイてるけどそんな唯一になんの価値があるねん。そのへんに落ちてる石ころでも同じ形のもんなんかないわ」と脊髄反射で悪態をついてしまうことに似ている。

「言の葉」なんかもそうで、素人さんがふたり以上使ってるのを見てしまったら、もう粋な言い回しは使えない。
ただ、そういうのを見ると「言の樹」「言の森」などとポコポコっと生まれてくることもある。が、こういった話題の時以外にいきなり出しても、読むほうは「?」だろうから、やっぱりあんまり使えない。

ヒネクレは、言の葉の世界を狭めてしまうんだなぁ。



うわぁ~~~!
さっっっぶ!!!
アカンやっぱり使えんわ。やってみたけどアカンわ。


ということで造語が増えていくわけだけど、ひょっとすると、前に自分で作って使い慣れてしまって、それが普通にある表現だと思って使ってる可能性もあって、それはそれでまた怖いのだ。
ツクリテとしての言葉使いよりも、素で間違えてることのほうが怖い。あえてやってる時は多々あれど。

すんごい好きな歌があるんだけど、「違く」っていう歌詞にさしかかると、いつも多少ゲンナリしてしまう自分がいるんで、それを思うと自分もオリジナルの歌詞でそういうことをやってしまってるかもしれないという恐れがあったりするのだ。


ただ、井上陽水の「風あざみって言葉ないの? あると思ってた」は、いかにも天才っぽくて好きだ。

その言い草には「先に作ってない世界のほうが悪い」というニュアンスが入っていて、いいなぁと思うのである。




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