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ホン雑記 Vol.147「主客が転換してイワシ」

(今日は肥溜めみたいな中二病文です。何も考えてません)


人の目を気にする日本人がイヤとか思いながら、誰より日本人だなぁと思うことがある。ことがあるどころの頻度ではない。


自称「作り手」なオレからしてみれば、こんな性格がホントにクソ邪魔くさい。ボヘラプ… あぁ、ボヘミアン・ラプソディを観てから余計にそう思う。周りを見ずに突っ走る生き様のなんと美しいことか。
遵法精神がわりと逸脱しているオレにとっては、「気にしぃ」なことはいいことなんだろう。気にしないヤツが常識まで欠けてたら目も当てられないからな。

その反面、実力もまったくないのに、音楽と夢の講釈を垂れてきたいつかの駅前のストリートミュージシャンの形をした何か別の生き物のようになるぐらいなら、右見て左見て右見て横断するぐらいの打算人間のほうが遥かにマシだといつも思うのだ。

でも打算人間はオレも含めてホントに多いし、オレは打算なのにもかかわらず演算装置の具合が悪い。ホントによく止まる。

打算機だらけの世の中で、打算機になるぐらいなら、無知蒙昧なほうがよっぽどいいやっぱりイヤ。


でも、あの映画を観て確かに感じたんだよ。
彼我にたいした差なんかないって。

まるでイワシの大群のように、ステージから客席のしんがりまでがひとつの大きな生き物に見えた。
そして、それ以上の大きさの何かにも見えた。こんなことばっかりやってるから、どんどんそんなものが増えていくんだな。

以前、2mmほどの黒い丸い虫を30分ほど見続けていたら、何か違うものに見えてきたっていう話をしたけど、きっとこれがオレの一番の目的なんだろう。

最期には人間を見てそうありたいのだ。

虫でさえ、もう元に戻ってしまって、また最初から30分ぐらい見ないとゲシュタルト崩壊しないだろうから、それを人間で、しかも常時そうなるようにするには恒河沙(ガンジス川の砂の数)ほどの遥けき色々が要るんだろうな。

あぁ、しんどい。
あぁ、楽しい。

あらゆる書物やネット上のどこを見ても答えのない問いに心を絆されるのはなんと幸せなことか。歴史上そこにたどり着いた人は何人かいたんだろうか。いても説明のしようもないし、ノウハウも伝わってない。

自分だけではやりようがまるで分からない。
なのにこの安心感。



人は不安から「知」を得たがるけど(日食とかクソ怖かっただろうな)、知っても知っても不安がなくなることはないんだなぁ。

この不安があるから、代々強く合体したいと思ってきたのかもなぁ。


最後下ネタかよ。




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