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ホン雑記 Vol.102「大器晩々成」

今日はだいぶ手抜き回。コピペ回。

糸井重里氏のサイトに、こんなことが書いてあった。彼が知人の詩人から話を聞いた時のエピソードだ。


人間が自然に働きかけると、働きかけた分だけ自然が変化するという話だった。それには作用と反作用があって、自然を変化させた分だけ、人間のほうも変化するという。

糸井氏は「ほんまかいな」と思ったという。そして読者に、例外みたいなことを探しはじめることも自由だし、働きかけた分だけ、というところに引っかかってもいい、と伴走してくれる。

その話を最初に聞いたのは、人がプロになっていくということを話していた時らしい。その詩人の話はこうだ。

「職人さんが座り仕事で細工をしていたら、何年もやっているうちだんだん背中がまるまってきたり、いちいち確かめなくてもできることが増えてきますよね。
それは、人のほうが変化したっていうことなんです。肉体の変化もあるし、精神のほうの変化もある。変形と言ってもいいんだけど。歪んだりもするしさ。
10年も同じことを毎日やっていると、反作用で、人のほうが変形してきてそのことがやりやすくなったり、歪んできてそれをするために都合のいいものになってね。そうなると、もう素人じゃねぇ。一人前になった、プロになったってことになるんです」

それは職人さんばかりじゃなく、小説書きだって、小説を書く人の目で生きている状態が続いているし、いわゆる事務仕事にしたって、その仕事を続けていたら、それをやりやすいような人間になってくる。プロになるということはある程度の不便や非常識が付随してくるとも言える、と糸井氏は言う。


たまたま昨日の記事に似てプロフェッショナルの話になったが、たぶんオレはこの「特化」が誰よりもなされていない… つまりは子供なのだと思っている。

最初のパソコンショップでの勤務が4年、それからニート歴が10年ほど、そしてお水系のアルバイトが2年ほど。あ、お水系とは言ってもスイミングスクールのインストラクターとプールの監視員だ。それから前職の工場に6年半ほど。
計算が3年ぐらい合わないが、まぁそこもニートだろう。

なーんにもない。
なーーーんにもない。
だいじなことでもないのに2回言ってみた。

ただ、仕事ではそういう手に職を付けた、みたいなのはないんだけど、人生の時間を掛けて異常に特化したことがある。

「泣き虫」だ。

たぶん、柴田理恵やスピードワゴンの小沢を少し超えてると思う。
映画などを見ての感動とかなら、たぶん一般人の2倍ぐらいしかないだろうが、ちょっとした言葉の言い回しなどでいいものがあれば、秒で泣いている。

比喩抜きで、泣かない日はない。
前の工場勤務の時も平均して日に3回ぐらい泣いていた。泣きながら機械の部品を作っていた。

もちろんツラいわけではまったくなく、オリジナルソングを人に聞こえないようにこっそり歌うと感動で泣いてしまうのだ(おめでたいね)。
前述の詩人の例ではないが、ずっとそんなことをやっているもんだから精神が変形していってしまったんだろう。工場で働き始めた時はこんなんじゃなかった。年々この病気は酷くなるいっぽうで、そろそろ生活に支障が出始めるのではないかと恐れている。


ただ、この情けない特化はいつか仕事に… とてもとても大きな、人生の仕事に役立つ日が来ると踏んでいる。




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