雑記1087「ザ・日常茶飯記事」
昨日の記事にナウシカの内容で、
まさか「少し肺に入った」っていう瘴気自体があの気体だったとはーっ!
って書いたんだけど、よくよく調べたら違うっぽい。
違うっぽいんで書いとくけど、あの気体っては「酸素」のことだったのねん。そう解釈してるサイトもいくつかあったりした。が、どうもより詳しそうな人のをいくつか見てみると、腐海が毒を浄化する時にできる副産物らしい(何とは書いてない)。
「毒」のほうは放射線だと言われてるしこれはそうだろと思う。「毒の光」って言い回しとか、巨神兵のビームに当たってないのに近くにいるみんながだんだん弱ってくるとか(ナウシカの髪の毛が散ったりテトが死んだり)、これはまぁ100パーでしょ。
うーん、この話やめるか。広げちゃってもどこまでも広がるしな。
いうても、考察のあれこれを見まくってそっちのほうで7割ほど意味がわかってきたオレが広げちゃうとか恥ずかしいこと言うなよって話だけど。
ただ、考察バリバリの人たち(心理学者なんかもいた)でも、「これは言い切れない」ってのがザラにあるんだね。描写されてないとか、されてても何を表してるのかわからんとか。
そんなもんだから、オレみたいなホゲーッと生きてる人間がそうそう読み解けるわけもなく、んでまたそんなもんだから、これほど伝説の作品なのかもしれんね。
いろんな人が漫画版の映画作ってくれーって言い続けるほどに。
こないだも糸井氏と伊集院氏が対談で言ってたけど、「なんでもかんでも伏線伏線言うなよ?」ってことだった。
「あの伏線が回収されてないじゃないか」なんて最近の世間はすぐ言っちゃうけど、そんなもんリアルの人生は何が伏線なんてことも見えないだろと。
おっしゃるとーーーりなんだよねー。ネットの氾濫で正否があると思い込むことの弊害が創作物にまで影響を与えるんだねー。作品が商業と切り離せない以上、たとえ受け手がアホでも、その気持ちよがる人が多くなきゃいけない。そしたらどんどんどんどん、物語ってのはわかりやすーくわかりやすぅ~~~~~く、なってっちゃうんだねぇ。
こんだけ考察に頼らんとナウシカ読解できなかったお前が言うなよってのは思うんだけどさ。てへぺろ。
オレが好きな『海皇紀』とかね。あ、『修羅の門』の人が描いたヤツね。
あれもまーぁ伏線が回収されてないんだ。伏線ってのもなんだかバカっぽいんで、単に名詞が数回出てきてそれ以来出て来なかったってだけのことなんだけどね。
あれ作者はわかり切ってやってると思う。人気あったんでオトナの都合で切られたってわけでもないはず。「勝手に伏線だと思ってれば~? もう出さないよ~?」なんて思ってんじゃないかな。あいつ、ヤなやつだからね(笑)
ヤなやつなんだけど、オレこの人に相当文章上の言い回しの影響受けてんだよね~。悔しいけど。「なおのこと」とか「いや、逆だ」とか「もし何々であったならその時は…ごめんなさい」とかね。
どーっでもええ話してんな。
あー、一番顕著なのは谷川俊太郎の詩「生きる」かもしれないな。
この詩は谷川氏も驚くほどのロングセラーらしくて、自分では全然良くできたとは思ってない詩だっていうんだな。未完成でほころびがあると。
でもだからこそ、読む人が「生きるって、他にはたとえばどういうこと?」なんてふうに入って来れる。それは固有名詞がちょこちょこと出てくるからだろうって本人さん言ってた。
これめっさ勉強になったんだわさ。オレの歌詞、ほっとんど固有名詞出て来ないんよね~。だからなんとなーく、うすっぺら…やかましわ!
で、ちょいちょい入れてこうと思ったんよ。ホンマ。
あー、そう言う意味じゃ、ジッタリンジンの「プレゼント」なんて強烈よなぁ。22個の名詞言ってるだけだもんねー。だけいうても、ディスってんじゃないのよ。これはホンマようやったで。発明だよね。
作中のふたりの思い出が、彩りもバインバインに伝わってくるじゃーないか。しかも結構古い世代のラブストーリーってこともわかるんだよねぇ。
なんかヘンにダラダラ伸びた雑記になっちゃった。
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