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雑記1157「信力」

今日は短めで。


才能論に、オレん中では一応終止符が打たれた。

天才はいる vs いない説。
楽しんでる vs 苦痛を伴ってでもやる説。
先天的 vs 後天的説…。

巷でアホみたいに語り尽くされてきたと思うんだけど、羽生さん(善治さんのほう)の言葉が、それらを全部含んでるなと思ったんで、オレの辞書に書き入れることにした。ありがとう羽生さん。

それがですね、
「才能とは努力を継続できる力である」
なのだな。

ま、ここまではうっすらと思うこともあるで。思った人もあるだろさ。
「それは誰々だからできるんじゃーん」
ってことをまったく思わないオレにしたら、そのとーりだし、ま、こんなようなことを定義してはいたさ。オレだって。

が、それをどう言い表すかってのが肝心だなと思ったわけで、羽生さんはこのことを見事に捉えている。

それがですね、
「何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、 誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続しているのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている」
と言うんだね。

メモしましたよ、久々に。
PCのデスクトップの「人様の名言」メモ帳に。

手が届くか届かないか、食えるか食えないか、成せるか成せないか、意味が有るか無いか、そんなことはまったく意に介さない人。

届きそうだからやる、食っていけそうだからやる、向いてそうだからやる…。そういうことじゃない領域。

最初に挙げた3つの説のどっちでもいいんだ。そんなことはまったく関係なくて、運命に流されてであろうが、自分で切り拓いてであろうが、そんなことも関係ない。

共通項はただひとつ、
「条件をつけない」
ってことなんだと思った。

つまりさ、我々の内部の血小板とかと一緒なんだよ。ま、白血球でも赤血球でもいいんだけど。
主が良いヤツかどうか、人間界でイケてるのか下っ端なのか、明るいのか暗いのか、メンタル強いのかいまにも死にたがってるのか、止血したら助かりそうなのかそうでないのか…。
そんなことは関係なく、血小板は止血に走り、かさぶたになって、世界を去る。
天才やね。

「何々だから・何々になったら、おこなう者」じゃなく、最初からおこなう者。それが生まれた時からなのか、どこかの未来からなのか、そうあることが決まってる者。

私はこういう者であると世界に宣誓できる者。


昨日も「好き」はスンゲーって話したけど、「信」もスンゲーぜ。





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