話を聴くこと 傾聴は人生を深める
こんにちは、三上です。
天気は生憎の雨です。せっかくの桜も雨風により散ってしま可能性もありますが、きっと逞しく咲き誇っているのだろうと思う今日この頃です。
さて、今回のテーマは「傾聴は人生を深める」お話を綴りたく思います。
前に少し触れましたが、人の第一印象は視覚と聴覚で決定しています。
人間関係を円滑に深める上で「聞く」ことは「話す」こと以上に重要であると言うことをお伝えできればと思います。
また、接客や営業をするには対話が必要不可欠となり、相手の安心を得て信用、信頼の獲得になります。
そして必ず対話は先ず「挨拶」から始まると言うことです。
それでは、先に投稿しているところから綴り始めてまいりましょう。
傾聴は自らの人生を深める
コミュニケーションを分類別に考える
・バーバルコミュニケーション
言葉による伝達:相手に話す、伝える言葉の内容「7%」
・ノンバーバルコミュんケーション
言葉以外の伝達:顔の表情「55%」
声の質(高さや低さ)大きさ、テンポ「38%」
私が営業先の相手と対話する際に気を付けていることになりますが、挨拶を終えてからの「3分間」が勝負だと心掛けておりました。
私の場合は、最初の3分間内に重要な言葉を繰り返し伝えます。
もちろん相手にもよりますが、人の記憶や印象は時と共に薄れ忘れゆくこと忘却を前提に考えるていると言うことです。
最後の最後まで印象に残ることは、最初に話をした3分間の内容が脳内に一番記憶されるからなのです。
1.聞き上手になるには
・相手の話を聞く、傾聴すると言うことは相手が体験した事を疑似体験することにあると言います。
・傾聴するには相手に関心を持つことが必要不可欠です。
・言葉で話す事だけではなく、言葉では表現出来ない心のメッセージについても、先に話をしておりました「感性」五感を最大限に活かして聞く事が大切になります。
・しかし、受け身だけではなく極めて能動的な行為を示すことも忘れてはなりません。
・相手の話を聞きたいです、聞かせて欲しいと言った能動的な態度や心が相手に伝わってこそ傾聴が成り立ちます。
2.心理学的な観点の傾聴
心理学者のカールス・ロジャーは傾聴について以下のような考えてます。
・共感
他者と喜怒哀楽の感情を共有することです。
人間に本能的に備わっているものである。
例えば、 友人になったきっかけは「何となく」であることが多い
しかし、その「何となく」の本性は共感である場合が多く、その他は偶然や運命と言った感じでしょうか。
新学期になり自分の席の隣や後ろだったからなどの場合もありますね。
・無条件の肯定的理解
そのとおりであると認めることであって積極的に意義を認めること。
論理学的には、その命題の主語と述語の関係が成立すること。
そして、是認すると言う事になります。(承認する意です)
・自己一致
二つ以上の物事が寸分違わず一つになることに対して、それ自身も同一性を保持し存在であること。
くい違いなく同じであると言うことです。(合致する意です)
3.相手に共感するには自分の心にゆとりが必要
自分の関心が相手ではなく自分に向けていることを共感はとは言いません。
この時は、かなりの集中力が必要になります。
その上で「相手には良い面も悪い面もある事」を自覚した上で全て丸ごと受け入れることが必要になるからです。(それを受容と言いますね)
悩んでいる人は「自分の話を否定も肯定もせずに聞いてくれた」という思いから安心は生まれます。
そうしたことから相手は「自分の考えを判ってもらえた」「理解してもらえた」との思いから、それ以上に話をしたいと思うのです。
その場合「ある一定以上の信頼関係が芽生えた瞬間」となります。
とても嬉しいことですよね。
また、傾聴は聞き手が自分の知りたいことを聞くのではなく、相手が話す内容について「自分自身の考え方」「その気持ちの理解」「生活の誤り」に、
気がつくことで自信ある行動が取れるように支える聞き方をする必要があります。
4.抑制する言葉
相手の話を傾聴する上で、「でも」「しかし」「だけど」に注意する。
前の事柄を一応肯定しながらも、それが結果として予想されるものに反する内容を導くとき使う場合が多いですよね。
(それにもかかわらず。それでも。しかし。)
例えば、その時は風邪気味だった。でも、学校を休まなかった。など、前述の事柄に対して、それを「弁解・反論」するときにも使う場合が多いのではないしょうか。
5.対話する相手への気遣い
その相手と対話する際に、相手との位置関係や態度に気を付けることです。
特別な場合を除き、真正面から相手と向き合い言葉を交わすことは日常生活において、あまり多いことではありません。
本来、人間は自己防衛反応として外敵から身を守るよう脳から指令が伝達されることから、自然と心に壁を作り守る力を無意識に行なっております。
無意識にやや斜めに向き合い真正面を避けてしまうのですね。
これはお互いに視線を外しやすく自然な姿勢をとるために無意識化に行われる行動なのですね。
職業病とでも言えますが、相手との対話の際に「目を見ているかどうか」をついつい観察し判断してしまいます。
話をしている間中ずっと相手の目を見続けることは、時に相手を疲れさせてしまう場合もあることから緊張感を強いることにもなるので注意しなくてはなりません。
相手との関係や立場によって状況は違いますが、要するにお互いに一番落ち着く対話の方法や姿勢を心掛けることが重要です。
身振り手振りや相槌なども同様の注意が必要となります。
6.特に注意すべき表現や言葉
先にも記述しておりますが、気をつけなければならないポイントです。
相手の話を聞いた後の対応として「でも」とか「そうじゃなくて」など相手を抑制する言葉を使うのは避けるべきでしょう。
例えば「食事が食べられなくて…」と困っている話を聞いた後に「それでも食べなければダメ」と応えてしまっては話を聞いてあげていると言うこと以外に他ならないからです。
もちろん、緊急的にアドバイスをしなければならない時、あまりにも論点がズレている場合、人道的、道徳的観点から常識の範疇を超えて考えられ得ることやその認識から外れており、あまりにも乖離のある場合には注意する必要はあると思います。
しかし、それは「相手の受容」と言う枠に収まってはおらず相手に対して何とかしなければならない聞く側の勝手な判断であり押し付けや、その相手の受容枠に対して何かを訴える聞く側の誤りに過ぎないと言うことです。
私は効率良くスマートな物事の運びを好ましく思う人間なので、あぁまたか…、言ってしまった…と後悔する場合が多々あります。
人なのですから致し方ありませんが、それを放置せず収束するよう働きかけます。
その場合、相手はただ聞いて欲しいだけや言いたいだけのことが多く、その話を聞くのは良いのですが「相手からどうすればいい?」と投げ掛けられることに対して結論や結果から話をしてしまいますので、相手の受け取り方や認識が違う時にはそれに違和感が生じることもあります。
時間は有限ですから、その結末に辿り着いた時に相手は気が付くとの思いから「私だったらこうするけど」と、その基準を自分軸に置き換え前置きをした上で話をしておるのですが、相手はAIではなく人なので伝わることも伝わらないことや半分程度なのかなと思ってしまう節もあります。
もちろん最愛の人であったり、旧知の仲間であれば気心が知れているのであまり考えることをしませんが、親しき仲にも礼儀ありと言う言葉があるように義理や礼儀に欠ける事をしないと重んじております。
話を戻しますが、コンビニエンスストアーと同様に考察すると、今必要だから定価だけど購入する。
そのような「受容」とお伝えするとお分かりいただけるのではと思います。
必要だから言うではいけないと言う事です。
また、自分が高みに立って話を聞いて「いる」「あげる」など烏滸がましい意識が強い時には、どうしても伝えなければとの思いや言葉が多く出てしまうのではないでしょうか。
ここで相手を受け入れるか、それともきっぱりアドバイスするべきなのか、本当に思案するところであり迷うポイントになります。
聞く側としては「話し手」「語り手」の意向を聞くという方法があります。
先に述べている通り、「どうして食べたくなくなったのか、思い当たることはないのか?」など、あくまで「その問題の原因に気づき」を促すことではないかと考えております。
そこで対話が進み「スッキリした」人には何も言わない。
それでも、どうしても納得いかない様子の場合は「1つ気づいたんだけど…」や「私だったら…」と的確に端的なアドバイスをする場合もあれば、簡潔に要点のみアドバイスを提案しております。
信頼関係の無い場合「日常的」に相手の行いに否定的な見解を示すと相手からは何も話されなくなることがあります。
信頼関係の無い場合とは、初めて会う人や偶然居合わせた人を指しており、何かしら共に行動をすると言うことは僅かながらも信頼があってのことであり好感を持てない相手ならば、何かを共にする以前に話をする必要性がないから何も話さなくなるのです。
7.聞かせてもらう気持ち
聞くと言うことがコミュニケーションを取ることに於いて重要な要因であり要素でもあるのです。
「話を聞く」ためには、大変なエネルギーが必要となります。
話し聞くことによる「擬似体験」とは、相手の経験を自分と切り離して聞いているのではなく、自分に思い当たる体験を自分自身に置き換えることで、初めて相手の立場に立ち見つめ直すこと以外にありません。
しかし、いくら自分に置き換え考えたとしても、その理解に乏しく至らない場合があります。
その場合は、まず飛び込んでみる以外に方法はありません。
自らが体験しなければ的確な判断やアドバイスをすることは大変困難でありほとんど無理だと思います。
それに安直な考えや言葉では話を聞かせてもらう立場からすると相手に対して失礼にあたりますよね。
何も考えることはなく、ただ自然を眺めている。
それだけで涙が溢れるほど悲しい体験などしたことはありませんでした。
しかし、最近になり無意識の中で涙が溢れると言うことの理解を得られるように思うことがありまして、それを理解できたことには感謝をお伝えしたく考えております。
8.人と人の間にある平等
人間は平等ではないことは確かなことです。
しかし、人と人の間には「助け合いの精神」が本質的に備わっており、誰にでも初めから持って生まれてくると考えております。
新生児の場合に、人肌に触れて授乳した新生児と、一切人肌に触れずに授乳した新生児を研究した際に、人肌に触れていない新生児ではいくら栄養抜群の授乳をしていても命が尽き果ててしまうからです。
以上の事から、人と人の間には「時に助け合い支え合う精神」が平等にあると言うことなのです。
相手に対してエネルギーを与えるだけではなく対話を通して回復する姿やエネルギーに触れたことにより自分も元気になることができる。
聞くこととは一方通行な行為のように見えて実はそうではないのです。
話を聞いて「あげる」のではなく、聞かせて「いただける」ための心づもりが大切であることをお伝えできたのではないかと思います。
どのような場合においても同じように捉えられることであると願います。
本日もありがとうございます。
今回も私の拙い文章力ではありますが、後世に何かを残せればとの思いから、いつも皆々様のご健勝を祈り記事を作成しております。
ご一読いただけた事を心から感謝しております。
三上 拓 ( Taku Mikami )
#仕事について話そう
#大切にしている教え