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親を想う時間

正直なことを言って、僕の日常の中に田舎に住む親を想う時間が定期的にはない。
思う時間があったほうがいいのは頭ではわかっているのだが、どうも出来ていない。それも理由があり、僕は終わりを具体的に想像できてないんだろうという結論に至った。そう思ったきっかけと親を想う時間について書いてみよう。

僕自身はいつ死んでもいいということとそもそもこれは生きているのか。という感覚に揺れながら、息苦しさを感じた時にお酒で解放をしたり。どうしようもない人間だ。ここで出てくる登場人物が僕ただ一人。言い表すならば「自分勝手」の「自己中心的な思考」。まぁこの現代からすると褒められたものではない。包み隠さずいうと、冒頭に言った他者を想う時間を持っていない現状の姿である。
他者を想う余裕がないという方が正確なのかもしれない。

そんな僕が昨日から親のことばかり考えている。

きっかけは兄弟のグループLINEに福岡に住む兄からのメッセージ。
「土日に実家に帰って親を桜を見に連れて行ってきた」というなんとも微笑ましいエピソードが。3兄弟の中で、比較的実家の近くに勤めている兄の存在が心強いとともに、甘えさせてもらっている今を見つめる。
その微笑ましいエピソードの最後に「父が結構痩せていた」という一文があった。

1〜2年前から肺機能が低下しているという話は聞いていて、このコロナ禍では大事に至る可能性が高いので2020年1月からは実家に帰れていない。その「痩せていた」という情報だけで、痩せた姿が少し想像ができないという自分が居て情けない。

父は17年前に白血病を患ったことがある。僕が高校生の時だ。
母が泣きじゃくる姿を初めて見たのはその時に一度だけ。母はそれからは泣く姿も見せず毎日ほぼ毎日のように往復100kmもの距離を移動して病院にお見舞いに行っていた。僕は今よりももっともっと子供だったこともあり、現実を直視できていなかった。死を連想する病名を聞いたこと、思えば僕はうまく想像出来ていなかった。いや、想像することを拒否していた。
結果、ドナーからの骨髄移植をして無事退院することができて今に至るわけで。

それから17年。平穏が訪れた。
この平穏は、僕に死を想像することを許してくれていた期間に過ぎなかった。
甘え過ぎていたな。その結果、親を想う時間が少ない。
心配させないようにと父も母も体調が悪い時ほど連絡をしてこないところがある。

そんな時に考えた。心配する時間は果たして無くすべきなのか。僕自身は心配することなく過ごす時間を平穏と置き換えて過ごしていただけ。親を心配する時間はそのまま親を想う時間であること。その時間で満たされるということは必要だとおもう。そこに揺れる感情こそが、その瞬間を生きていることと等しい。
思えば僕が子供の頃、親に心配をかけることで気にかけてもらいたいという思いから心配をむしろかけていたように想う。今度は自分が心配をする番だとすら思う。

いつか終わりが来るという世の常をわかっていても、向き合うことをしなければ意味がない。これほど実家に帰りたいと思ったことはない。コロナの収束を改めて心から祈る。

いつまでもあると思わないこと。それが今日の教訓。


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