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職人という生き方

僕はサラリーマンをしている。
文字通りサラリーをいただきながら働いているという身分だ。
世のサラリーマンがそうであるように、自分一人の一存で何でもかんでも決められない。
文字通り労使関係で言うところ、労働者である。

そう考えると、フラストレーション溜まるシーンも出てくる。ただ、それを会社に対して文句を言ったところで何も変わらない。
会社は僕が「必要だ」と言うことを「必要ない」と判断しているんだろうし、逆も然り。

その経営をされていることに対して文句を言える立場ではない。

そう思うと責任も伴うがその分自分で全て判断できる経営者をやればいい。
自分には今そのスキルはない。身につけないとそっちに行けない。
じゃあやるっきゃないでしょ。

と思っている中で、最近別のフツフツと湧いていることがある。

職人として家具などのプロダクトを、一生懸命に自分の表現をし続けることも幸せの道ではないかと感じる。

組織だったら、リーチの幅を広く(その分浅く)していって幸福の総量を創出する方法。
個人で職人として目の前の人に全力でリーチ出来る幅は狭いがその分深く幸福を提供できる。それを繰り返して幸福を創出していく生き方。

リアルに目の前の人から喜びの姿を感じられる生き方にも憧れる。

今そっちになびいている。生き方改めて見つめ直さないと行けない。
向き合うんだ自分と。

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