"しあわせ"の技術
サウナブームで耳にするようになった"ととのう"という言葉には、整列や整体などの乱れを直してあるべき状態にもどす「整う」と、調和や調理などの必要なものがそろって釣り合いがとれた状態になる「調う」の2つの漢字をあてることができます。
1997年に発表されたグレッグ・イーガンの『しあわせの理由』という短編には、脳腫瘍の手術の後遺症で「しあわせ」の閾値を自分でコントロールせざるを得なくなってしまった主人公が出てきます。
この小説にある問いは、"自分で調律した「しあわせ」は、はたして自分のものなのか? "なのですが、サウナが流行ったり、エナジードリンクの種類がどんどん増えていたりするのを見ていると、現代的な感覚では、"ととのう技術"をつかってコントロールしてこその「しあわせ」なのだという気もしてきます。
余談ですが、CBDなどのカナビス・テックに続く最近の摂取系"ととのう技術"の流行は マッシュルームの幻覚作用成分シロシビンのようでSXSW2022で7件だった関連セッションが2023では24件くらいに増えていたり、北米やイギリスではドリンクが販売されたり、少量の成分を用いたうつ病やPTSDの治験がはじまったりしています。(※日本では麻薬原料植物として規制されています)
2500年前に開発された"ととのう技術"とも言えるのが禅宗の修行法のひとつ「坐禅」です。坐禅の心がけとしてよく言われる言葉に「調身・調息・調心」があります。足を組んで姿勢を調え、下腹部(丹田)から呼吸のリズムを調えることで、心を調えましょうという意味です。坐禅によってネガティブな気分の感情が軽減し、精神を安定させる働きのある脳内物質セロトニンの血中量とも相関があるという研究報告もあります。
この坐禅にヒントを得た「マインドフルネス瞑想」がアメリカ西海岸を中心にブームになったのは、2014年ごろのこと。1950-60年代に鈴木大拙を中心に起こったZENブームとは異なり、思想ではなく手法として注目を集めました。 2014年のTIME誌では科学に裏付けられたメソッドとしてマインドフルネス瞑想の特集を行っています
日本でもGAFAMの福利厚生として取り入れられたことで注目され、2016年に復刊された『Search Inside Yourself』はビジネス書として話題になりました。
自宅や会社でマインドフルネス瞑想を習慣づけできないかと考えて、脳波で動く猫耳necomimiなどを開発してきたneurowearチームで、2016年に試作したのが「Onigilin」です。
ひのきでできたオニギリ型のデバイスで、タッチパネルもLEDも木の中に入っているため、触るとすべすべしています。椅子に座るか胡座の姿勢で坐禅の印を結ぶように持つと、ちょうど脈波センサに指が当たるようになっており、鎮静度を計測してくれます。イヤホンからはマインドフルネス瞑想のガイダンスにつづいてシンギングボールや波の音などのBGMが流れ、指先に軽い振動が伝わることで下腹部への注意を促し、3〜15分の瞑想をサポートしてくれます。
当時、量産化には至りませんでしたが、このときに学んだ手法は、パンデミックのリモートワーク中に精神的な助けになりました。
次に取り組んだのが、 2018年に試作した「notte」です。頭に浮かんだことを書くことで客観的に自分の状態を把握してストレスに対処する「ジャーナリング」という手法にヒントを得て、ベッドサイドランプ型の未来の日記帳をつくりました。
眠る前にスマートフォンを置くと、notteが「今日はどんなことがありましたか?」と聞いてくれます。「会議室を取り忘れて、みんなに迷惑かけちゃった。」と答えると、うなずきながら聞いてくれます。声から感情を推定してランプの色(哀しみなら青)で共感も示してくれます。快い感情だけではなく、悲しみや怒りも吐き出しやすいように、事前に膨大な量を用意した質問項目には、良いことと悪いことをバランスよく数問聞くように設計しました。日記はそのときの感情の記録とともに後から読み返すこともできます。
いまならGPT-APIで質問を生成し、会話でも共感を示すこともできそうですが、眠る前の思考の棚卸しには、notteのように静かにうなづいてくれる相手のほうが落ち着くかもしれません。
2008年に発表された伊藤計劃の小説『ハーモニー』は、WatchMeと呼ばれるナノボット技術によってバイタルデータを監視し投薬やアドバイスが行われる、心身ともにかぎりなく健康な世界が到来した世界の話です。
この中に、亡くなった娘の苦悶に気づけなかった後悔を語る母親が、来訪者の前で高ぶった気持ちを律する際のセリフがあります。
小説内でこの母親は、WatchMeに見守られていることはありがたいことだとも話しているのですが、閾値の設定や警告などが他者から行われている描写によってこの小説世界がディストピアであることが表されており、冒頭の『しあわせの理由』とはそこが大きく異なります。
仕事に取り組む前にととのえるOnigilinと、眠るためにととのえるnotte。neurowearで取り組んできた"ととのう技術"が、脈波や声色などから心身の状態を推定して、音や色や振動といった非言語でフィードバックするというアプローチをとっているのは、自分の状態を自分で解釈して決めることができる余白を残したいからです。
自分の状態を知った上でととのえる(もしくはととのえない)のが自分自身であることで、テクノロジーへの過度な依存や恐れ、罪悪感を減らせると考えています。
今回、この記事を書くにあたってはじめて『しあわせの理由』の原題が"Reasons to be cheerful"で、HappinessではなくCheerful だと知りました。Cheerfulはなんとなく"インターフェースとしてごきげん"なイメージがあります。次に機会があれば、思い切って対人フィードバックに重きを置いた「ごきげんテック」にチャレンジしてみるのも面白そうです。
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