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姉と弟のきわめて京都的な会話


私が20歳の頃、ということは1980年頃のことです。父が珍しく「今日は床をおごってやろう」と言い出しました。8月のお盆過ぎでした。
床というのは、京都をよくご存じの方には今更かもしれませんが、鴨川の川岸に張り出したテラスのようなものです。鴨川や高瀬川に沿って店舗を持つ店が、季節になるとその「床」を設営するのです。夕刻になれば川の上なので店の中より風通しがよく、東山を眺めながら一杯、という楽しみがあるのです。

父はそのときすでに母と別居しており、祖母と独身の姉と暮らしていました。その頃はもう祖母は亡くなっていたかもしれません。
父と会う良い機会なので、待ち合わせ場所の祇園に出かけました。
祇園から四条大橋を渡り、父の行きつけの床のある料理屋に行く段取りだったのでしょう。
父と伯母(父より4歳年上)と合流して、四条通りを東に向かました。
「まあ!」という声がして、30歳くらいの女性が振り返りました。
当時住んでいた伏見のマンションの、隣の部屋の奥さんでした。
「偶然ですね」と言うと、彼女は「今日は祇園で同窓会があって…。」と言いました。
彼女はとても綺麗なドレスを着ていました。
そのまま別れ、目的の料理店に到着し、床に座って、伯母はビールを飲みました。父は全くお酒が飲めない人でした。
「あの人はどこの人やねん?」と父は尋ねました。
「マンションの隣に住んではるねん」
「綺麗な奥さんやな」

そして数分して、父がいいました。
「つとめてはるんかと思うた」
それを聞いて、伯母も言いました。
「私もつとめてはるんかと思うたで」
姉弟なので会話が簡略、それでも彼らは理解しあっています。

意味が判るまでに時間がかかりました。
標準語になおすと、こうなのです。
父「あの奥さんは祇園のクラブかスナックに雇われているのではないかと思った」
伯母「私も祇園のどこかのお店で働いていると思う」
それが「つとめてはる」という極めて簡略な言葉で表現されていたのです。

あまり知らない人に随分失礼な姉弟だとそのときは思いましたが、後になって思うに、隣の部屋からしょっちゅうカラオケの練習の音楽が流れていました。

当時は今のようにカラオケの機械も良いものがないので、歌い手のスキルがそのまま出てしまいました。そういう訳で隣の奥さんは練習が必要だったのです。
曲目はもんたよしのりの「ダンシングオールナイト」です。
彼女はあまり歌が上手でないようでした。
もんたよしのりが「Dansin’ all night.」と歌うところを、まるでふりがなを読むように、「だんしんぐおーるないとっ」と歌っていました。
もんたよしのりの大ファンでないとすれば、普通の奥さんにはそれほどカラオケが必要ないので、きっとお店用の練習だったのでしょう。
彼らはなかなかに鋭い姉弟であったと思いました。

お盆過ぎなので床のお客もまばらです。
河原を三味線を弾いて通る人がいて、棒の先にざるをつけて私たちの方に寄越しました。お金を入れろと言うことのようです。
隣の床のお客さんがお金を入れました。京の夜は静かに更けてゆきます。
この「つとめてはる」という京都らしいやんわりした表現のなかに、すべての要素が詰まっている。「なんと京都の言葉は奥が深い」と京都生まれ、京都育ちの私は今更に嘆息したのです。

これがもっと熾烈な標準語や関東方言であれば、聞いた相手の感情を損なう表現になることでしょう。
「あの奥さんは絶対クラブかどこかで働いている水商売の人だよ。お前に知られたくなくて同窓会とか言ってごまかしてるんだよ」「きっとそうに違いないわ。絶対に祇園で働いてるのよ」
彼らはそんなことは言いません。木の葉の上で出会った二匹の昆虫のように、触覚だけで意思を通じ合って、それで終わるのです。最低限の「つとめてはる」という言葉は、言葉というより昆虫の出すシグナルのようでした。

父も伯母ももう故人です。どのあたりで「つとめてはる」人とそうでない人を識別していたのか、今となっては聞くことができません。

似内惠子 NPO法人京都古布保存会代表理事
(この文章の著作権はNPO法人京都古布保存会に属します。無断転載・引用を禁じます)
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