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弱者になりたい。

昨今のLGBTや女性、いわゆる「弱者」と言われている人の声が
国会でもよく取り上げられている。なぜ彼らの主張は称賛されるのだろうか。

誤解して欲しくないのだが、僕は誰かを侮蔑したり、差別する意識は全く無い。あくまでアラサー男の戯言として留めておいて欲しい。

僕は人を属性によって判断するべきではなく、一人ひとりの個人が尊重される社会を望んでいるだけである。

BLACK LIVES MATTERは許されて、WHITE LIVES MATTERは許されない。


白人としてプライドを持つ=レイシストでナチ的な思考
黒人としてプライドを持つ=人種差別に対抗する誇り高い思考
僕は中学・高校を欧米圏で過ごした帰国子女であるため、この雰囲気はなんとなくわかる。

BLACK LIVES MATTERのように黒人を一択にして「尊重」を主張するのに拭い去れない違和感を感じる。黒人であっても広いアフリカで多種多様な民族や風習があるだろうに。
それなのになぜ「黒人」と一つのグループで権利を主張し、またそれが称賛されるのであろうか。

人はそれぞれ個人的な過去があり、感性も性格も誰一人同じではない。
2022年11月に世界の人口が80億人を突破したが、80億人の生き方があるということだ。

真の多様性とは属性に縛られない一人の人間として尊重されるべき世の中なのだ。

民族としてのプライド、女性としての権利、LGBTとしての誇りなど、属性に従った主張よりも、全員が一人ひとりの人格によって尊重されるべきである。
僕はいわゆる「弱者」と定義されているグループに属したことが無い、健康なヘテロセクシャルな男性だが、いろいろな過去があって今を生きている。
そんな人でも住みやすい世界すなわち、真っ当に生きる地球上の人間すべてが評価される世の中にしていきたい。

「I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character. I have a dream today.」-Martin Luther King Jr

私には、私の四人の子供たちがいつか、肌の色ではなく彼らの人格の中身によって判断される国に住めるようになる、という夢がある。私には今日、夢がある。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師




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